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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第一巻

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 オクチョンは今度は本気で笑った。自分のことでこんなに憤ってくれるのは嬉しいけれど、幾ら上流両班でも後宮の女性に手を出すことはできない。女官は老若含めてすべてが?王の女?であり、国王の所有物と見なされる。
「それに仮にあなたが王さまだったとしても、私は尚宮さまを罰して欲しいとは思わないわ」
「どうして?」
 スンに問われ、オクチョンは言った。
「尚宮さまだって、私を鞭打ちたくて鞭打ったわけではないと思うの。上からのお達しに下の者は逆らえないわ。宮仕えの哀しさね」
「相変わらず、そなたは優しいな」
 スンがポツリと言い、立ち上がった。差し伸べてくれた手を素直に掴み、オクチョンは立ち上がった。
「そなたは容姿だけではなく、心も美しい」
 面と向かって言われ、オクチョンは吹き出した。
「な、何だ。人が真面目に褒めているのに、笑うことはないだろう」
「だって、久しぶりに逢うなり、怒り出したり褒めてくれたり忙しいんだもの」
「泣いたり怒ったり笑ったりのそなたには言われたくない台詞だな」
 スンは拗ねたように言い、改めてオクチョンを見た。
「さりながら、心が美しいと思うのは真だ」
 スンの手がそろりと伸びて、オクチョンの髪を撫でた。ドキンと、鼓動が跳ねる。
 この、感覚。彼に触れられると身体が熱くなったり、動悸が激しくなるのを忘れていた。
 照れくささをごまかしたくて、オクチョンは勢い込んで言った。
「ねえ、シムチョンは元気にしている?」
 スンは一瞬、虚を突かれたようだったが、直に哀しげな表情になり、天を仰いだ。
「ああ、許してくれ、我が友よ。そなたとの約束は守れなかった」
 オクチョンが眼を見開いた。
「まさか、シムチョンを食べたんじゃないでしょうね」
「そう、そのまさかだ。あまりにも丸丸と肥えて美味しそうなので、誘惑に負けて汁飯にしてしまった」
「酷い! 約束したじゃないの。どうして、そんな残酷なことができるの」
 オクチョンが握り拳を固めて振り上げたので、スンは笑い出した。
「冗談だ、冗談。オクチョン、シムチョンは食べていない。今も宮殿で元気に飼われているよ。シムチョンの世話をする専属の係もつけた」
「へ?」
 オクチョンは間の抜けた声を出し、振り上げた拳を見つめてから降ろした。
「シムチョンが宮殿で飼われているって、それはどういうこと?」
 スンの整った面に狼狽が走る。
「い、いや、それはだな。俺の知り合いに預けた―ではなく、いや、俺は王宮にも住まいを持っているから、そこで飼っているんだ」
 オクチョンは下から掬い上げるようにスンを見た。
「本当の話なの?」
「本当に本当だ!」
 自棄のように叫ぶスンを、オクチョンは溜息をついて見上げた。
「スンは王族だったのね」
 道理で、上物の衣服を着ているし、品があるわけだ。これはますます隷民の自分には縁遠い人になってしまった。
 それに、忘れてはならないけれど、彼には歴とした奥さんがいる。既に決まった女(ひと)がいる男性を好きになっても、報われないのは判っている。
―私は大勢の中の一人はいやだもの。
 オクチョンのその気持ちは変わらない。その想いはスンへの恋情とはまた次元が違うものだ。いや、彼を大好きだからこそ、余計に彼にとって?一番?になりたいと願うのかもしれない。
 オクチョンはどこか哀しい気持ちで彼を見つめた。
「私とは住む世界が違う人だと最初から気づいてはいたけど、これで益々遠い人になったわね」
 オクチョンは淋しげに言った。その儚げな様子に、スンは胸をつかれたようだ。
 彼女は重くなった空気を変えるように明るく言った。今は折角逢えたスンとの時間を大切にしたいから、暗い顔をするのは止そう。
 私が哀しめば、スンも哀しい表情をするもの。彼が王族だとなれば、今後、ますます逢うのは難しくなる。今日はたまたま王宮内で逢えただけに過ぎないのだ。
「冗談にしても過ぎるわ。私の大切なシムチョンを食べただなんて。スンは意地悪ね。私が慌てるところを見て楽しんだでしょう」
 悪戯っぽく言えば、彼は笑いながら頷いた。
「ごめん。だが、冗談といえば、オクチョン、そなたも先刻、盗人の嫌疑を掛けられたと言っていたが、あれは笑いながらする話じゃないだろう」
 オクチョンは頷いた。
「そうね」
「そなたを鞭打った尚宮を庇うのも、そなたらしい優しさだと理解はするが、人が良すぎるのもたいがいだぞ。一歩間違えれば、そなたは重罪人として処刑されていたかもしれないんだ」
 また沈んだオクチョンに、スンが続けた。
「なあ、教えてくれないか。一体、後宮で何が起こったんだ?」
 オクチョンは小さく息を吸い込み、口を開こうとしたものの、すんでのところで噤んだ。微妙な異変を感じ取ったのか、スンが訝しげに彼女を見やる。
 オクチョンが淡く微笑った。
「今度の一件には大妃さま(テービマーマ)が拘わっておられたの」
「何だって、母上(オバママ)―」
 言いかけて、スンは小さく首を振った。
「大妃さまが?」
 彼の愕きがあまりに烈しいものだったので、当のオクチョンの方が当惑したほどだ。
「さりながら、大妃さまがどうして」
 スンは言葉を続けようとして、絶句した。
 彼の言いたいことは判った。
 明聖大妃が何故、下っ端にすぎない一女官の盗難騒ぎに関与しているか、ということなのだろう。
 オクチョンは淡々と続けた。
「スン、後宮は怖いところね。今度の一件で、私はつくづく感じたわ」
 突如として別の話題をふられ、スンは戸惑ったようだ。整った面に、はっきりと困惑の表情が刻まれている。彼の変化には構わず、オクチョンは続けた。
「少し長くなるけど、聞いてくれる?」
「ああ」
 スンが頷くのを見て、オクチョンはまた話し始めた。
「私は大王大妃さまにお仕えしているの。ここだけの話だけど、大王大妃さまは、今や大妃さまの輝くご威光の陰で、すっかり忘れられた存在よね」
 スンがたじろぐのを見て、オクチョンは謝った。
「ごめんなさい。王族であるあなたの前で、こんな話は―身内の方のお話をするのは良くないのは判っているのだけれど」
「いや」
 スンは首を振ることで、気にしないという意思表示をしたようだ。オクチョンは続けた。
「だから、大王大妃殿には女官の数も少ないわ。仮にも国王殿下の曾祖母君に当たられる方なのに、私が見ても随分と粗略にされていると思う。その数少ない女官もおおかたはご年配か、若くて中年以上の方が多いわ。私がいちばんの若手なの。他に四人の若い娘がいて、いちばんの仲良しはミニョンというわ。とても優しい良い娘なのに、どうしてか私が入る前から、虐めを受けていたみたい」
「女官同士の諍いというのは、割とよくある話のようだな。俺は詳しくは知らないが」
 スンが相づちを打ち、オクチョンはムッとしたように言った。
「諍いじゃないわ。諍いというのは喧嘩でしょう。喧嘩は対等にやるものだけど、ミニョンは一方的に虐げられているばかりだったのよ。それを喧嘩とは言わないわ、虐めというのよ」
「済まない。俺の言葉が悪かったなら、謝るよ」