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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第一巻

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「尚宮さま、正直、私もユアの頬をぶん殴ってやりたいと思いました。でも、それをやれば、私もユアと同じところにまで落ちてしまいます。自分という人間をそこまで低俗にしたくなかったから、抵抗しませんでした」
「なるほど、そういうことか」
 ホン尚宮の謹言な表情が束の間、崩れ微笑が覗いた。
「今回の騒動については、罰として謹慎十日を申し渡す」
 言われ、オクチョンは眼をまたたかせた。
「それだけなのですか?」
 これだけの騒動を引き起こしたのだ、軽くてもむち打ちは免れないと覚悟していたのだが。
 あまりに軽すぎる刑罰に、オクチョンは拍子抜けしてしまった。
「実は、ここだけの話ではあるが、そなたらの諍いを畏れ多くも国王殿下(チュサンチョナー)がご覧になっていたのだ」
「え! 国王さまが」
 思いも掛けないなりゆきに、オクチョンは流石に声が出なかった。
「大王大妃さまと国王殿下が親しく行き来なさっていることは、そなたも存じておろうの」
「はい」
「たまたま殿下がお越しであった際、あの騒動が起きたというわけだ」
 ハアっと、オクチョンは大仰な溜息をついて肩を落とした。
「私ってば、本当に、とんでもないことをしでかしたんですね。下手をすれば、不敬罪で死んでいたかもしれないわ」
 ホン尚宮が笑いながら言った。
「それはなかろう。何しろ、十日の謹慎で良いとおっしゃったのは当の国王殿下ゆえ」
「そうなのですか?」
 オクチョンはもう、愕きの連続である。
 何故、顔も見たことのない国王が咎めるどころか、そのような寛大な計らいを見せてくれたのか。彼女には皆目理解できなかった。
 しかし、自分は何も間違ったことはしていないという自覚はあったから、これは天地神明の神々が国王を通して計らって下さったのだと、思うことにした。
 
 十日の謹慎が明けた後、オクチョンは以前にも増して仕事に打ち込むようになった。多分、雲の上の遠い方だと思っていた国王がちゃんと自分の行いを見て、評価してくれた。そのことがオクチョンの励みになったのだ。
 ただ、ミニョンの虐めに対しては期待ほどの効果はなかった。もちろん、ホン尚宮に虐めを知られ、きつく釘を刺されたものだから、表だって虐めはなくなった。
 が、今度は代わりに陰湿な嫌がらせが始まった。ミニョンの靴が片方だけなくなっていたり、洗濯当番になっている日、洗い上げた洗濯物から少し眼を放した隙に、洗濯物が泥まみれになっていたり。直接にミニョンを傷つける行為はないものの、ミニョンがすすり泣くのを見なければならい実情は変わらなかったのだ。
 オクチョンは良い加減、嫌気が差していた。後宮というところは、何という恐ろしい場所だろう。女官というと、綺麗で淑やかで優しくて、理想の女性像のように入宮前は思っていた。現に、宮仕えの経験があるといえば、理想の結婚相手だと引く手あまただ。
 一生奉公が原則とはいえ、途中で円満退職して嫁ぐ者もいる。だが、現実の後宮女官といえば、淑やかどころか、美女の仮面を被った夜叉ではないか。
 その日は、朝から気持ちの良い蒼空が都にひろがっていた。丁度、女官となってひと月が過ぎようという頃だ。
 通常、新入りは見習い期間を経て一人前の女官になるものだが、働き手のない大王大妃殿では、見習いも何もあったものではなかった。生来物覚えも良いオクチョンは、ひと月でもう一人前に仕事がこなせるようになっている。ホン尚宮にも重宝がられていたし、大王大妃も相変わらずオクチョンを可愛がってくれている。
 これでミニョンへの虐めがなくなれば、言うことはない。ミニョンが泣いているのを他人事で割り切るには、オクチョンは人が良すぎたし正義感が強すぎるのだ。
 その日、オクチョンはミニョンと井戸端で洗濯に精を出した。頑張った甲斐があって、随分と早く終わり、後は干すばかりとなった。
「干すのが大変だけど、こっちもさっさと片付けてしまいましょう」
 オクチョンが笑顔で言った。
「実はね」
 ミニョンの耳許に口を寄せる。
「大王大妃さまから美味しいお菓子を頂いているの。砂糖のたっぷりまぶした焼き菓子よ。香草茶も頂いたから、一緒に食べましょうよ」
 ミニョンが嬉しげに頷き、二人の少女は籠に山積みになった洗濯物をそれぞれ手にした。
「私たち、二人とも背が高くないから、干すのも時間がかかるわよね」
 口数の少ないミニョンが唯一、朗らかに喋るのがオクチョンだった。いつもおどおどと怯えているばかりなのに、ミニョンはオクチョンといるときだけは別人のように生き生きと愉しそうだ。オクチョンも、ミニョンが愉しそうにしていれば嬉しい。
 二人の少女はいつしか、しっかりとした絆で結ばれていた。
 ちょっとした広場に綱が幾重にも並んで張り巡らされている。そこに洗濯物を干してゆくのだ。一つ目の洗濯物を押し終えたまさにその時、数人の女官たちがこちらへ向かってくるのが嫌でも眼に入った。
「何かしら」
 ミニョンが小首を傾げ、オクチョンを気遣わしげに見る。
「嫌な予感がするわ」
 オクチョンも頷いた。怯えをはっきりと示すミニョンに、オクチョンは安心させるように微笑みかけた。
「大丈夫、私の側にいて」
 果たして、女官たちはオクチョンとミニョンの前で止まった。
「お前が女官のチャン・オクチョンか」
 十数人はいるであろう女官たちの先頭にいた女がいきなり叫んだ。
―見かけない顔だわ。
 オクチョンは怪訝に思った。少なくとも大王大妃殿の女官でないのは確かだ。
 国王の眼に止まっても不思議ではない―と思うくらいの美女だった。上背もあり、すらりとした立ち姿も絵になる。しかし、どことなく眼許があのセギョンに似ている。彼女たちを見かけたときからの嫌な予感は更に高まった。
「ええ、そうだけど」
 口を開いた刹那、美女の背後にいた女官たちが一斉にクスクスと笑い出した。
「流石は賤しい身分上がりね。上役に対する口の利き方も知らないのよ」
 誰かが言い、更に笑いがさざ波のように走った。オクチョンは屈辱に身体が熱くなるのを感じた。
 何故、自分がいきなり見ず知らずの女にここまで辱めを受けねばならない?
 オクチョンが常々、もっとも怒りを憶えるのは不当な屈辱を受けたときだ。それは何も自分だけではない、親友のミニョンが受けたとしても同じだ。
 美女は取り巻きの発言には頓着せず、仁王立ちになって言った。
「私は繍房に勤務するチェ・ソンイだ。そなたの先輩に当たるソン・セギョンの母方の従姉に当たる」
 オクチョンはハッと息を呑んだ。やはり、顔立ちが似ているのも当然というべきか。ソンイはあのセギョンの従姉だという。だが、何故、見も知らぬセギョンの従姉がこんな場所に乗り込んできたか。
 理由は恐らく一つしかない。オクチョンは挑むような眼でソンイを見た。
「実は、私の大切にしているノリゲが見あたなくなったの。母が誕生日にくれたものゆえ、私にとっては大切なものだから、四方手を尽くして探していたところ、あなたが似たようなノリゲを持っていたと知らせてくれた者がいた」
 オクチョンは鼻で嗤った。
「あなたの可愛い従妹がご丁寧にそのことを知らせてくれたと?」
「そうだ」