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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第一巻

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―鳳凰の対は龍だ。龍は古来から皇帝もしくは王を意味する。つまり、そなたは王者のつがいとなるべくして生まれた者ということになる。
―そうおっしゃられましても、私には意味が判りません。
 正直に言うと、大王大妃は笑った。
―今は判らずとも良い。どうやら、そなたには断られたが、主上とそなたとの縁、まだ切れてはおらぬようだ。
―それは、どういう意味にございますか?
―そなた自身の言葉を借りれば、繋がらぬ縁を無理に繋げてはならぬ、つまりは逆も言える。繋がる縁は、いかにしても断ち切れず、出逢うべき者同士はいかにしても出逢う。そういうことじゃ。
 大王大妃は慈しみに溢れた声で言った。
―そろそろ部屋に戻らねば、ホン尚宮が心配しているであろう。伴を頼むぞ。
 オクチョンに手を借りて立ち上がりつつ、この時、大王大妃は心で呟いていた。
―いずれ主上とそなたは出逢うべくして出逢う。たとえ、そなたが私の仲介を断ろうとな。
 この若い女官と義理のひ孫である国王の縁はどういうわけか繋がっている。しかし、彼女の上に現れた鳳凰は限りなく優美ではあったのに、何故か翼が一つだけしかなく、片翼が血にまみれていた―。
 血にまみれているとは穏やかではない。一体、この心優しい娘のゆく末にどのような運命が待ち受けているのか。流石の大王大妃にもそこまで未来を読み解けるすべはなかった。
 廊下を拭いていた手をしばし止め、物想いに耽っていたオクチョンはハッと我に返った。庭沿いの壁にはめ込まれた大きな障子窓に、羽ばたく鳥の影が映じ、次いでバサバサっという大きな羽音が聞こえた。
 あの一件―暑気当たりで倒れかけていたところを介抱して以来。大王大妃は何かとオクチョンを自室に招いては、お茶を淹れさせたり、話し相手をさせる。時には横になった大王大妃の足腰、肩を揉んだりして、この不遇な身の上の高貴な女性を歓ばせた。今やオクチョンが大王大妃の?お気に入り?であることは、この宮で知らぬ者はいない。
 長い物想いから現に立ち返り、彼女は耳を澄ませた。鳥の羽音も止んで物音一つ聞こえなくなった空間は静けさがいや増している。だからこそ、かそけき音ですらも聞こえてくるのだ。
 やはり、泣き声が聞こえる。あれは幻聴ではなかったのだ。オクチョンは意を決して泣き声のする方へと進み始めた。磨き抜かれた廊下には人気もない。そこを真っすぐに進む。すすり泣きと思しき声は益々、はっきりと聞こえてきた。
 とある室の前で立ち止まり、オクチョンは深呼吸した。宮殿の敷地は広大で、まだ大王大妃殿しか知らない彼女は、立ち入ったことのない殿舎がたくさんある。
 その殿舎の中には無人のものもあった。当代の国王粛宗はまだ十五歳と若い。父である前王顕宗が若くして亡くなったため、二年前、十三歳という年少で即位した。既に中殿を迎えてはいるものの、他に側室はいないという。
 ゆえに、国王のために美姫を集めた後宮にも、いまだ王の寵愛を受ける女はいない。そのため、歴代の王の側室が起居していた殿舎などもがら空き状態である。
 そんな無人の殿舎もちゃんと当番の女官がいて、毎日、掃除したり窓を開けて空気の入れ換えをして、管理は行き届いている。しかし、やはり人が暮らしていない殿舎というのは、どことなくうち捨てられたような雰囲気が漂っていて、あまり近づきたい場所ではない。
 そういう殿舎の中には、亡霊が出るという噂もあった。当代の粛宗で数えて十九代になる国王が立つまでには、長い王朝の歴史がある。必ずしも歴代の王の即位が順当に行われたわけではなく、政変によって殺戮が起こり血塗られた王座に座った国王もいた。
 無実であるにも拘わらず、讒言によって陥れられ、毒刑や斬刑に処せられた無念の咎人も無数にいる。そういった非業の死を遂げた罪人たちの亡霊が宮殿内を夜な夜なさまようといわれていた。不寝番の内官や女官が飛び交う火の玉を見たとか、白装束の若い女がすすり泣いているのを見たとかの怪談は枚挙に暇がない。
 そこで、オクチョンはとある話を思い出した。それは直属の上司コン尚宮から聞いた話だった。この殿舎は元々は王の寵愛を争って破れ、陥れられて亡くなった不幸なお妃の住まいだったというのだ。
―大妃さまは大王大妃さまを嫌っておられるゆえ、わざとそのように曰く付きの殿舎を勧められたのですよ。
 大王大妃を煙たがりつつも軽んじている大妃。その大妃を大王大妃殿の女官たちはけして快く思っていない。
 眼の前の部屋は、掃除をしに入ったことはある。そのときは別段、変わり映えはしなかったように思うが―。まさか、この室が件(くだん)のお妃さまの部屋だったとか?
 耳奥でコン尚宮の不気味な声が甦る。
―この殿舎にも以前、そのお妃さまのアレを見たという女官がいたそうだぞ。
―アレといいますと?
―ですから、アレです。
 コン尚宮は無類の怪談好きで、わざと作り声を出し話に尾ひれをつけて話すことで、若い女官たちを怖がらせるという困った癖がある。しかし、この時、オクチョンはまだそのことを知らない。
―お妃さまはよほどのご無念ゆえか、それはもう恨めしげなお顔で立っておられるそうですよ。白いチマチョゴリは全身血みどろで。
―血みどろって、それでは尚宮さま、お妃さまは殺されたのですか?
―いいえ、毒を飲まされたのですよ。それも、王命によって毒を賜って、おのみになったのです。
 厳かに述べたコン尚宮の顔つきを思い出し、オクチョンは身を震わせた。
「ああ、本当に女の嫉妬は怖いわ。さっさと、こんなところは出ていかないと」
 それにしても、気の毒なお妃さまだ。そのお妃さまが王さまを愛していたのかどうかは知らないけれど、お仕えしていた王さまから毒を飲むように命じられただなんて。
 オクチョンははるか昔、非業の死を遂げたお妃に心から同情し、改めて一刻も早く恐ろしげな後宮からは出ていこうと決意を新たにしたのだった。
 彼女は扉越しに耳を近づけた。やはり、誰かがこの中にいる。一瞬、中にいるのが血に濡れた白装束の幽霊だったらどうしよう、それは思った。けれど、基本、この世に亡霊なんているはずがないと、現実志向のオクチョンは信じている。
 ええい、ままよと扉を開けた彼女の眼に映ったのは、ガランとした室の片隅に身を縮めてすすり泣く女官の姿であった。
「ミニョン」
 オクチョンはミニョンと呼んだ娘に駆け寄った。床に膝を突き、ミニョンの細い肩にそっと手をかける。
「どうしたの、何があったというの?」
 ミニョンはこの殿舎で数人いる若手組の一人だ。オクチョンより一つ上の十八歳だと聞いている。
「オクチョン」
 ミニョンがいきなり抱きついて号泣し始めたので、オクチョンは面食らった。
「泣いてちゃ判らないわ。何があったのか、どうしてそんなに哀しいのか教えて」
 オクチョンはミニョンの身体を引き離し、両肩に手を乗せて彼女の顔をのぞき込んだ。
「ね?」
 ミニョンの顔を見たオクチョンは息を呑んだ。涙でぐしゃぐしゃだったからではない。ミニョンの頬にはみみず腫れのような惨い傷が走り、青紫に変色していたからだ。
「どうして? 何で、そんな怪我をしているの」