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暦 ―こよみ―

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如月(一)初デート


 晴天に恵まれた真冬のこの日、真中由紀子は水沢直樹と新宿御苑を散策していた。
 オフホワイトのコートを羽織り、首元には淡いオレンジ系のマフラーを巻いた由紀子の隣には、黒のダウンジャケット姿の長身の直樹の姿があった。そのカジュアルな装いは、店員姿とはまるで違う新鮮な印象を由紀子に与えた。
 由紀子の休みに合わせ日曜に休みを取るというのは、デパート勤務の直樹にとってかなり無理をしたのではないだろうか、と由紀子は気になった。が、正月休みの代わりなので気遣いは無用です、と直樹は笑った。
 
 直樹に会うのは今日で三度目だった。祖父母と直樹の職場を訪れて初めて出会った日だけが偶然で、二度目の時の妹へのプレゼント購入という来店は、明らかに直樹を意識してのものだった。『水沢』というネームプレートに惹かれるように足を運んだのだから。
 そして声をかけられ、アドレスを添えられた名刺を渡されるという、予想もしない展開に当の由紀子は困惑してしまった。
 これまで食事をしたり、二、三度デートらしきことをした人はいたが、きちんと交際した男性はいなかった。一方、姉妹でありながら妹の早紀子ときたら、高校生だというのによく彼を家に連れてくるのには驚かされる。
 そんな由紀子なので、すぐにはメールを送ることはできなかった。
 一週間名刺とにらめっこの末、ようやく決心した。
 
 
〈件名〉お名刺をいただきました真中由紀子です
 
 
〈本文〉水沢様
 
    祖父母とお店に伺った際は細やかなお気遣いをいただき、
    おかげ様で祖父母とのいい思い出になりました。
    改めまして、お礼申し上げます。
    
 
            真中
 
 
〈件名〉水沢直樹です
 

〈本文〉メールありがとうございました。
    もう来ないかと諦めかけていたところでしたので、
    とてもうれしかったです。 
    真中由紀子さん、素敵なお名前ですね。
    とてもよくお似合いです。
    それにしてもずいぶんと堅い文面で、まるでビジネスメール
    のようでしたね(笑)
    正直に言いますが、
    初めてご来店いただいた時の由紀子さんが心に残りました。
    ですから再来店された時はとてもうれしく、
    この機会を逃したくないという思いで、個人的な名刺をお渡
    ししました。
    お客様にこのような形をとることは本来いけないのですが、
    仕事を離れどうしても由紀子さんにお会いしたくなりました。
    来月三日、休みが取れましたので会っていただけませんか?
    良いお返事を待っています。

 
 
 公園内は季節外れとあって人はまばらだった。木々の眺めも閑散としていて、デートの場としては不向きであることは明らかだ。
 でも、これが緑の季節や紅葉の時期だったら、人であふれていたであろうから返ってよかったのかもしれない、と直樹は思った。そうでも思わなければ、この場所を選んだ自分の立場がなくなってしまう。とは言っても、これで次のデートは難しくなったかもしれない――そんな危惧を直樹は感じていた。
「やはり、冬の公園というのはちょっと殺風景でしたね」
 申し訳なさそうに直樹が言った。
「いいえ、お天気のせいかポカポカと陽射しは暖かいですし、何より空いていて貸し切りみたいで落ち着きます」
 由紀子は本当にそう思っていた。人混みでごった返すようなところへ連れて来られたら、すぐに帰りたくなっただろう。
 今のふたりにとって、周りの景色は文字通り背景に過ぎなかった。人気の行楽地より、静かな環境こそがこの日のふたりには、最も大切な要素だった。そして、お互いのことを少しでも知りたいという気持ちが会話を途切れさせなかった。

「由紀子さん、あなたが初めて僕の売り場へ来てくれた時の三人の様子がとても印象的でした。それは僕が幼い頃、祖父母に育てられたからかもしれません。
 父亡きあと、生活を建て直すためだったのでしょう、しばらくの間、母は幼い僕を祖父母の元へ預けました。そのため、小学校に上がるまで僕はそちらで育ちました。小学校に入ってから母とふたりの暮らしが始まりましたが、母には苦労をかけたと思います」
 思わぬ身の上話に、由紀子は黙って次の言葉を待った。
「ですから、由紀子さんたちがとても身近に感じられたのだと思います。急に祖父母を思い出して、その日のうちに電話なんかかけてしまいました」
「まあ」
 由紀子は思わず微笑んだ。
「それはおじいさまやおばあさま、喜ばれたでしょう?」
「ええ、久しぶりの電話に驚いていましたが、とてもうれしそうな声でした」
「お母さまもお元気なのですか?」
「ええ、元気に働いています。この歳になってもふたりで暮らしているものですから、周りからはすっかりマザコンだと思われて……」
 そう言って、照れたように笑った。
「えっ、そうなんですか?」
「やだな、由紀子さんには冗談も言えないな。そんなことないですよ。
でも、もう三十になるのに一度も家に女性を連れてきたことがないのだから、そう思われてもしかたないか」
「あら、私も二十八になりますけど、男性を連れてきたことはありませんよ。ファザコンではありませんけど」
「な〜んだ、由紀子さんも冗談を言うんだ」
 
 楽しい時間はあっという間に過ぎ、直樹に送られ家の前までやってきた。
「今日はありがとうございました。送ってまでいただきまして」
「こちらこそ、とても楽しかったです。また会っていただけますか?」
「はい」
「それからもうひとつ……僕と正式にお付き合いしていただけませんか?」
 予期せぬ言葉に、ちょっと考えて由紀子は答えた。
「では、次は家へいらしてください。初めてのことで家族は驚くと思いますが」
「え? それは緊張しちゃうなあ。でも喜んでお邪魔させていただきます」

作品名:暦 ―こよみ― 作家名:鏡湖