暦 ―こよみ―
霜月(一)新居
十一月に入り、晩秋の気配を感じるようになった頃、招待状の返事がちらほら届くようになった。準備がより具体的な作業に入ってきたことで、由紀子は一層式が近づいた実感が湧いてきた。今日は、仕事帰りに直樹の家へ行き、招待客の席次を話し合う予定になっている。この日直樹は休日だったので、由紀子が訪れた時はもう、仮の席辞表が出来上がっていた。
「あら、すごい、もうできているわ」
「由紀子さんが働いている間に僕も働いていただけだよ」
「それは、お疲れ様でした」
「持ち帰って目を通しておいて。お父さんたちにも了解していただくように」
「ええ、そうします」
「さ、じゃあ、何かおいしいものでも食べに行こうか?」
「あら、お母さんは?」
「あちらもデートだよ」
いつもの店で、ふたりは向かい合った。食事を取りながら、話は自然と結婚生活のプランになる。
「直樹さん、この前言っていた新居のことなんだけど、とりあえず借りるっていうのはどうかしら?」
「とりあえずってことはいずれは買うってことだね。それでは、その間の家賃が無駄になるんじゃないかな」
「とりあえずっていうのは、期間限定という意味よ」
「何の期間?」
「お母さんたちが帰国するまでの期間」
「それ、どういうことかな?」
「私、お母さんたちと二世帯同居できないかなと思っているの。最低二年ということは、二年で戻ってこられる可能性があるわけでしょう? それを待てないかなと思って」
「最低だから、二年で戻るかわからないよ。その前にそもそも、どうしていっしょに暮らしたいの?」
「金沢のおばあちゃんたちを見ていて、私思ったの。子どもが三人もいるのに、歳をとったら二人だけだなんて寂しいなって。そしてもし、田舎暮らしを諦めていれば、そうはならなかったのかな、とか。私の独りよがりで、おじいちゃんたちにとってはあの故郷での暮らしが一番なのかもしれないけど……。
直樹さんのお母さんだっていつかは歳をとるでしょ? その時にお年寄りふたりだけの生活は寂しいんじゃないかしらね。
今年の初めにおばあちゃんたちがしばらくウチにいたでしょ? おばあちゃんたちだけでなく、私もとても楽しかったの。もちろん、嫁である母は大変だったでしょうし、長く暮らすとなればいろいろ問題も出てくると思うわ。それでも、私は一緒がいいと思うの。離れて暮らしても、結局は心配なわけだし。
もし同居となっても、お互いの暮らしが出来上がってしまって途中からというのは二の足を踏んでしまいそうで、それなら最初から一緒がいいかなと思ったの」
「由紀子さんて本当にやさしいんだね。ありがたいけど、嫁姑だよ。距離を保った方がお互い楽だと思うけどな」
「私、夢みたいなことを言っているのかもしれないわね。
でも、結婚と同時に新居を買うというのも勇気がいるような気がするのよ。生活パターンや、子どもの有無など、最も変化が激しい最初の間は、賃貸で様子を見た方がいいんじゃないかしら?」
「そうだな、そう言われてみれば、結婚式の準備で忙しいこの時期に、何も一生の買い物を慌ててすることはないかもしれない、たしかに一理あるね」
「だから、とりあえず、どこか便利な賃貸物件を探さない?」
「そうだね、とりあえず、そうすることにしようか」
「そうこうしているうちに、お母さんたちが帰国するといいなあ」
「そうこうしているうちに、子どもが生まれてそれどころではなくなる気がするなあ」
毎月恒例の有給休暇取得は、由紀子の分は新居探しに、直樹の分は母の見送りに充てることになった。
由紀子の休暇の日、ふたりは朝から電車を乗り継ぎ、予め候補に挙げていた町の不動産屋を回った。そして、一日がかりでようやく、ふたりの意見が合う物件にたどりついた。
そこは、ふたりの勤務先のほぼ真ん中の駅から徒歩十分のところにある、三階建てのマンションだった。ワンフロア―六部屋ほどのこじんまりとした造りで、築年数が浅い上に駐車場も備わっていた。いささか、家賃は予算オーバーだが、共働きなのだから利便性に費用がかかるのは仕方がない。
その場で仮契約をしたふたりは、ホッとした思いで、駅へと向かう道を歩いた。
公園のわきを通りかかると、由紀子はちょっと寄って行きたいと言った。夕方の公園は、子どもたちが元気に駆け回っていた。近所の人だろうか、散歩している老人もいる。老若男女の憩いの場に、ふたりは足を踏み入れた。
「来週には、母たちが日本を発つから、そうしたらすぐに、ここに越してこようと思うんだ」
「え! じゃあ、今月中ということ?」
「別に急ぐ理由もないんだけど、早く新生活をスタートさせたいくらいかな」
「いいえ、お母さんのいなくなった部屋にいたくないからよ、きっと」
「そんなわけないよ、トラブルで出て行くというわけでもあるまいし」
「いいえ、理由の問題ではないのよ。だって、長い間、ふたりきりで生きてきたんですもの。いなくなったら寂しくて当然よ」
「ホントにそんなんじゃないって。僕、何歳だと思っているんだい?」
「歳なんて関係ないわ。今まで当たり前のように存在していたものがそこにない、そんな喪失感は大人だって辛いものよ」
「そんなに言うなら、由紀子さんが埋め合わせしてくれないかな?」
「ええ、来年になれば、イヤでも私がいつもおそばにいますからね。覚悟してね」
「来年か。待ち遠しいなあ」
由紀子は、誰もいないブランコに向かった。そして、気持ちよさそうにブランコをこいだ。