短編集44(過去作品)
「ちょっといろいろ考えたいの。あなたとのことも含めて、自分のことをね。ごめんなさい、私に少し時間を下さらないかしら」
どこまでの気持ちなのか分からない。面と向って話していれば気持ちも分かってくるだろうが、電話では正直伝わってこない。彼女にしてみれば面と向って話すのが辛いと思っているのかも知れない。それはあくまでも希望的観測で、
――もう会いたくもない――
と思っているとすれば、江川氏にとって辛いことである。
江川氏にはどちらかというと後者のように思えた。
――面と向って言わないのは卑怯だ――
とさえ思えた。
少し鬱状態に入りかかっているからだろうか。今の江川氏は、悪い方に考えると、気持ちは急加速で落ちていく。
那美を諦めようと他の女性に対して目を向けてみた。すると今までに見えてこなかったものが見えてくるような気がしてきたのだ。あれだけ彼女がほしいと思いながら街を歩いていても、それほど気になる女性が目に留まることはなかったが、
――すれ違う女性を何度振り返って見ることだろう――
と思うほどに、他の女性のことが気になってしまう。
声を掛けようとするが度胸がないのは相変わらずだが、まわりの女性が自分に興味があるのではないかと思える素振りを感じることがある。
――失いかけていた自信が取り戻せそうな気がする――
と考えるが、なかなか出会いなどそう簡単にあるものではない。
那美と出会った飲み屋にも行かなくなってしまった。どうしても那美を思い出してしまうからで、完全に別れたわけではないという中途半端な気持ちと、少しずつでもよみがえりつつある自分への自信とで複雑な心境になっていた。
――すべてのことを後になって気付く――
それが今の江川氏である。そのことにやっと気付いた。
――ふふふ、やっと気付いたって、それ自体が遅いんだろうな――
と感じる。
那美という女性が江川氏にもたらしたものは、そのことを気付かせたのが一番大きかったのかも知れない。
鬱状態の時であるが、少しずつゆとりを取り戻している頃……。そんな時、目の前に現われたのが那美だった。那美は江川氏の心の中に入り込もうとしていたように思う。一目惚れをあまりしない江川氏ではあったが、女性と出会うとすぐに気持ちが盛り上がってしまう方である。
しかし、那美が江川氏の気持ちの中に入り込んで見たもの、それは那美にしか分からない。そこで那美は江川氏の何かに触れ、少し後ずさりしたのだ。江川氏は、那美にたった一度打ち明けられたショッキングな話にすっかり気持ちを奪われ、それ以降、ずっと那美が自分の心の中にいることに気付いた。きっと、那美は気持ちの中の敏感な部分を刺激したのだろう。
那美が何かを考えているならそっとしておくことにした。まわりの女性に行っていた目を、もう一度那美だけを見る目にしなければならない。
那美はいまだに自分の心の中にいるのだ。きっと出て行くことはないだろう。
出会いというのはそんなものではないだろうか。寂しさを埋めるだけが恋愛ではないはずだというのは分かっていたはずだったのに、なぜ気持ちがふらついてしまっていたのか疑問だ。今から思えば不思議である。
そう、すべてが
――今から思えば――
なのだ……。
それが自分にとっていいことなのか悪いことなのか、その答えはすべて那美が握っている。
( 完 )
作品名:短編集44(過去作品) 作家名:森本晃次