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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Deep gash

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 あやめは、母親にべったりで育った。短く言うなら、それ以外の言葉はない。繁華街が近づいてきて、春美はタクシーから降りた。まっすぐ歩くことを忘れた酔客の間を縫うように歩き、路地のちょうど真ん中にある店の赤い暖簾をくぐる。大勢の客でひしめき合う中、カウンターでマイペースに野菜炒めを食べながら舟を漕いでいる常連客と、それを見つめる強面の店主。
「おー、はーさん。こんばんはです」
 順はそう言うと、衛に目配せした。春美は衛の後をついて客でごった返すテーブル席を抜け、厨房に入った。祐介が盛り付けをしており、春美は小さく手を振ると、衛に話しかけた。
「忙しいときにごめんね」
「いえいえそんな。忘年会特需でありがたいことです」
 衛はそう言うと、事務所のドアを開けた。少し間が空いて順が入ってくると、ドアを後ろ手に閉めた。春美は二人の様子を見ながら、様子に変わりがないことを確認して少し頬を緩めた。順はシンプルで単純明快、本題にすぐ入る男だ。情緒が間に挟まることは、ほとんどない。だから、ほとんどの人間は、初対面で話すと怒られたように感じる。衛は相手の隙を常に探している。順に比べると抜け目がなく、頭の中で本当に起きている考えを読むのは難しい。だから一見人当たりが良く、初対面だと好印象を与えることが多い。それが百八十度転換する瞬間も、春美は見たことがあった。
「忙しいときはやめてーな」
 順の本題。衛がとっさに隠した本心。春美が『週末』と言えば、それは相手が『週末』まで二十四時間いつでも動けるように待っていなければならないということを意味する。
「暇なときやったら目立つやろ」
 春美が言うと、順は眉をハの字に曲げてうなずいた。衛は春美の頭から足先までに、一瞬で視線を走らせた。考えていることは想像がつく。庶民的な居酒屋には場違いな派手な格好だから、どっちにしろ同じだと思っているに違いない。
 順が鞄を取り出して、中を開いた。全ての札に検分された跡があり、発信機などがないか確認するため、鞄の内側は一枚抉り取られていた。春美は言った。
「ええ仕事するやん」
 順は鼻で笑うと、鞄の中の札束から分け前を取ろうとした。その手を春美がぴしゃりと叩き、犬をしつけるような所作に衛が笑った。春美は百万円の札束を三つ、順に手渡した。それを受け取ると、順は叩かれた手を大げさに押さえながら笑った。
「どない取っても一緒やんけ」
 春美はもう一つ束を取ると、それを差し出した。順と衛が顔を見合わせていると、笑った。
「一緒ちゃうやろ」
 全ての文句を頭から消したように、順はその束で衛の頬を軽く叩いた。
「やめんか」
 衛が顔をしかめながら皺の動きだけで笑い、春美は立ち上がった。鞄を持って裏口から出て行くのを衛がタクシーまで見送り、戻ってくるなり言った。
「次はまだ決まってないやて」
「そんなぽんぽん殺してたまるかいな」
 順はそう言って笑い、金庫を開けた。コルトM一九〇三と、三二口径が八発置かれた隣に、四百万の札束を入れた。衛は歯をむき出しにして笑うと、言った。
「クリスマスに間に合うたな」
「今年はもう終わりじゃ、誰も殺らんぞ」
 順はそう言うと、金庫を閉めて安楽椅子に深くもたれた。二十年前、順は衛の知り合いが経営するちゃんこ屋の料理長だった。祐介は三歳で、愛子は着せ替え人形のように可愛がった。独立するときは反対されたが、『和音』という屋号は愛子が決めた。軌道に乗りだすのとタイミングを合わせるように荘介が生まれ、理想と現実に少しずれが生じてきているときに杏奈が生まれた。春美と顔見知りになったのは、ちょうどその頃だった。順は、煙草を一本箱から抜きかけていたが、愛子が煙草嫌いだったことを思い出して、結局元に戻した。
 今のこの姿を見たら、愛子はどう思うだろうか。


 日曜日の昼前。家長である順はまだ眠っており、杏奈は所構わず家の中を占領する。思いついた場所に教科書を広げたら最後、それが台所でも、居間の中途半端な床の上でも、しばらくはそこが定位置になる。勉強ならまだいいが、絵を描き出したら一時間は動かない。荘介は床に寝転がる杏奈を踏みつけそうになって、よろけながら柱でバランスを取った。
「なんちゅうとこで勉強してんねん」
「すぐ終わるから」
 杏奈はべったりと横になったまま顔だけを起こして、荘介の表情を伺った。荘介はだぶついたジャージの上着を引き寄せるように腕組みし、体を震わせた。
「風邪引くやろ」
「兄ちゃん、それ夏用やで」
 荘介は自分のジャージの生地を手で触って確かめると、説得力を失くしたことを自覚したようにうなずいた。
「これしかなかってん」
「洗濯もんの中にあるはずやで、見たもん」
 杏奈は勉強を中断して体を起こすと、庭に出たところで大きなくしゃみをした。荘介が通う大学の名前が書かれたジャージを洗濯ばさみから解き放って、荘介に手渡した。着替えたところで、杏奈が言った。
「なあ、のいちんと映画観にいきたい」
「映画?」
 荘介はわざとらしいしかめ面を作って言った。のいちんとは、家庭教師で週に二回やってくる野市のあだ名で、すでに一家の一員と思えるぐらいに、横井家に馴染んでいた。一年前から週に二回、決まった曜日に遅れることなく、毎回面白そうな課題を持ってやってくる。荘介は通う大学の名前を聞いたことがあったが、それは自分の学力では到底及ばないような難関大だった。
「んー、おれはよう決めんわ。お父さんに相談しいや」
 荘介はそう言うと台所まで戻り、祐介が作り置いたラザニアを電子レンジに放り込んで時間をセットすると、冷蔵庫からオレンジジュースを出した。
「ヒマそう」
 杏奈が言い、荘介はコップにオレンジジュースを注ぐ手を止めた。
「おれ? そうかな」
「うん、生き方そのものが、ヒマそう」
「マジで親父に言えって」
 荘介は突然始まった個人攻撃に笑いながら、冷蔵庫を開けてチキンサラダのタッパーを取り出した。
「先にメシ食う?」
「うん」
 杏奈は自分用のコップを出すと、祐介がテーブルの上に忘れていったリストバンドを見て、呆れたように笑った。
「いつもなんか忘れるやんな」
「それが祐介やで」
作品名:Deep gash 作家名:オオサカタロウ