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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Deep gash

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 衛はコルトM一九〇三に弾倉を差し込み、スライドをパチンコのように引っ張って離した。聞き慣れない金属音に桃子がぴたりと動きを止めて、宙に向かって拳銃を構える衛の姿を見守った。春美から住所を聞いてから、まだ五時間しか経っていない。桃子は、月曜日は体調不良で休むと、会社に連絡を取った。そう伝えたときの所長の嘆くような声以外は、息をするように自然に段取りが整った。まるで、こうするのを心待ちにしていたように。高速道路の真下にがらんと空いた、コンクリートだけの土地。暴走族が破壊した廃車が並んでいて、残土とショベルカーの置かれた敷地の入口には、分厚いチェーンが巻かれている。粘りついた海の音に、キャラバンのマフラーから漏れる排気ガスの匂い。午前二時。桃子は野球チームのロゴがあしらわれた帽子を目深にかぶり、後部座席に乗り込んだ。楢崎が運転席に座って再度座席を調節し、シフトノブに触れた。最後に助手席に乗り込んだ衛が、言った。
「ほな、いこか」
 前園の自宅は、工業地帯にぽつんと建つ四階建てのアパートで、近くにコンビニがある以外は、意図的に隔離されたように何も建っていない区画の真ん中にある。楢崎は要塞のように殺風景なアパートの前を一度通り過ぎ、衛は前園が住んでいるらしき部屋の電気が点いていることを確認した。駐車場にぽつぽつと停まる車に視線を走らせる楢崎に、衛は言った。
「車は持っとらん」
「もう一周します?」
 楢崎は言いながら、指示器を出した。衛はうなずいた。信号待ちで、中々思うように動けない。衛は、前園の部屋に目を凝らせた。三人で誘拐したなら、全員で見張る必要はない。前園は、確実にあの部屋にいる。衛はダッシュボードの中に入れた拳銃に手を伸ばすように一度前屈みになると、信号が青に変わったことに気づいて再び背もたれに体を預けた。ここで楢崎と桃子を帰し、一人で前園の家に乗り込んだって構わないと、個人的には思う。今さら殺人で死刑になったって、どうってことはない。しかし、それでは目的にたどり着けない。順は、野市を見殺しにできないと言った。それに、祐介の話が正しければ、杏奈を轢いたのは前園じゃない。
 楢崎がシフトノブを一速に入れて、指示器を出しながら角を左に曲がった。でこぼこの港湾道路に入りかけたとき、桃子があっと声を上げた。
「出てきた、出てきたで」
 楢崎は咄嗟にヘッドライトを消してゆっくりとサイドブレーキを半分だけ引き、その場にキャラバンを停めた。ブレーキランプを光らせることなく、キャラバンは街灯のない暗闇に溶け込んだ。衛はその手際の良さに小さくうなずき、桃子の視線を追った。部屋の電気は点いたままだ。ワイヤーたわしのような頭の男が駐車場で寒そうに肩をすくめながら、手に持った小さなリモコンを不器用に押した。駐車場に停められた車の一台がハザードを光らせて反応し、衛は顔をしかめた。
「はーさん、情報が不正確やな。車持っとるやんけ」
「アテンザですね、お、追いつけるかな」
 楢崎は不安そうに瞬きしながら、黒色のアテンザが動き出すのを見て、クラッチを踏み込んだ。
「信号抜けたら、U切ろか」
 衛はそう言うと、ダッシュボードから拳銃を取り出し、上着のポケットに入れた。アテンザは市街地の方向へ走り出し、楢崎が言われたとおりにUターンすると、街灯の連続する国道に入ってから目立たないようにヘッドライトを点けた。 
   
   
 あやめは夜中の一時にようやく、自分の部屋に戻っていった。悲しそうな顔のままそわそわとして落ち着かず、通夜に連れて行かない方が良かったかと、春美は後悔した。昔から、ちょっとしたことでも人一倍敏感に捉える感性を持っていた。人の死がどう作用するか。その衝撃は計り知れない。あやめは、自分の父親が『抗争に巻き込まれて』殺されたことを知ったとき、大好物のオレンジジュースを飲んでいた。全く交流がなく、建造が父親らしいことをしようとしても一切受け入れなかったが、あやめはその日以来、オレンジジュースを飲まなくなった。
 がらんと広い居間に取り残され、L字型のソファに一人座った春美は、テレビをつけて音を最小限に絞ると、移動できるように買ったのに、結局居間に据え置きされているノートパソコンを立ち上げた。ニュースではまだ、野市美知子の捜索願は出ていない。記事の見出しは、映画館で轢き逃げ事件発生。まだ、小学五年生の女の子が亡くなったということと、逃げた車はライトバンという情報のみ。誘拐なら、対象の車ごとだろう。誰もそれに気づいていないということは、ライトバンで野市の車を塞いだか、車と車の間にいる隙にさらったかの、どちらかだ。少なくとも前園ならそのようにするだろうし、そう報告を受けたこともあった。
『ハマチ』という名前の、斡旋用アカウント。専用のブラウザでログインし、春美は暗いトーンの画面をじっと見つめながら、考えた。直接連絡を取ると、疑われてしまうだろう。普段、ピンポイントで前園を使いたい時は、公開相手を絞ってから掲示板を立てる。
 仕事は、簡単なものがいいだろう。春美は適当に内容をでっち上げて、頭の中で練った。報酬は、それに応じてやや減額する。細部に注意を払わないと、するりと網を抜けてしまう。適当なタイトルを決めて、春美は掲示板を立てた。順と衛がたどり着くのが先なら、それでも構わない。
 どうせなら、自分が死ぬということを知ってから、考えうる最も残虐な方法で殺されればいい。八年前のように、うちの事務所を使えばいいだろう。

『眠れませんか』
 あやめからのメッセージが届いて、荘介はSMSのメッセージを開いた。返信を送る代わりにうなずき、月曜日の講義用に準備を済ませたリュックサックに一度触れた。普通に大学に行く。でも、講義を聞いていられる自信は、あまりない。もう冬休みが近いし、周りも休みの計画を立てるのに必死だから、講義自体も気が抜けたようになっている。
『なかなか難しいね。明日、昼休みに図書館で爆睡しよかな』
『わたしは、ちょっと学校にいけそうにないです』
 通夜に訪れたあやめの表情を、荘介は思い出していた。横井家のことをどう思っているのか、今まではよく分からなかった。居酒屋を経営しているだけにしてはいい家に住んでいて、三人の子供は何不自由なく育った。祐介は無職だが、誰もあまり気にしていない様子だし、気楽にやっている。そして、常に親父の周りにいる、ガラの悪い変な親戚や、関係者たち。それも全部含めて、あやめは心配しているように見えた。
『家におったら余計、体調崩すかも』
 荘介は返信した。あやめは、湿気て重そうな制服に潰されそうになっているように見えた。あの、真っ白に血の気が引いた顔。忘れられるわけがない。ずっと思っていたことが強調されただけだった。あのガラス細工のように繊細な身のこなし。花を選びに行ったときは、お互いデート用の殻を被り、事前に頭で考えた理想像から逸脱しないために必死だった。通夜の席は、それとは全く違った。三年前に初めて会ったときのように、相手に値踏みされることを恐れない、素直さがあった。通夜の席で不謹慎だと思っていても、頭の中に渦巻く考えを止めることはできなかった。
作品名:Deep gash 作家名:オオサカタロウ