短編集43(過去作品)
だが、仕事は無難にこなしていて、先輩社員からの信頼は厚い。仕事上だけのこととはいえ、他の人から信頼が厚いと思っただけで、気を揉むように感じることがあったのは意識していた証拠である。
まさかそれが恋愛感情などと考えたこともなく、ただ気になって見つめることはあったが、人から指摘されるような行動を取っているつもりはなかった。それだけに青天の霹靂である。
――それにしても、やばい連中に悟られたな――
と感じた。給湯室でたむろする女性事務員に対してのイメージは、会社内でのある意味私的宣伝部さながらに、あっという間に会社内に広まってしまいそうで、気持ちのいいものではない。別にそれ自体はあまり気にならないのだが、会社に入ってから仕事をある程度覚えるまでは、目立たないようにしようと考えていた計画が頓挫してしまうのが嫌だった。
「どうして分かったんだい?」
「だって、伊吹さんの視線ですぐに分かりますよ」
「そんなに露骨な視線なの?」
三人の中で一番背が高く、一番目立っている女性が代表で話しているようだ。冷静に話す彼女とは対象的に、他の二人は頷きながらニヤニヤしている。却って気持ち悪く感じられるというものだ。すぐには答えなかったが、
「露骨というよりも、チラチラって感じが、結構女性の目には目立って見えるものなのよ」
「そんなものなのかなあ」
と、話をぼかしてみたが、自分では分からないものだ。
「そんなものですよ。伊吹さんって本当に根が正直なんですね」
複雑な心境だった。
自分では正直者だと思っていたが、こうもハッキリといわれてしまって、しかも会話の内容か言って、いかにも皮肉っぽい状況である。皮肉と取る方が正解ではないだろうか。
気付かれてしまったのでは仕方がない。
「そうだね。きっと気になってるんだと思うよ」
分かっているなら妙に言い訳をしない方がいい。下手に言い訳がましくなると、却って変に勘ぐられてしまうからだ。それは避けたかった。せっかく正直者というイメージがあるなら、貫き通した方がいい。
早苗という女性がどんな女性なのか、実はよく分からない。分からないところが魅力であると言ってもいいくらいで、早苗が仕事以外で人と話をしているところを聞いたことがない。
今年の新入社員は十名ほどだが、皆他の部署に配属になり、本部へは男性社員ひとりと早苗だけの配属となった。女性と言えども今年の新入社員は短大を出ているので、勤務地も地元とは限らない。早苗も短大時代からアパートを借りて住んでいたらしいが、今も一人暮らしだ。学生時代に住んでいたアパートから、コーポに住み替えたようだが、心機一転にはいいかも知れない。
三郎も同じで、大学時代から一人暮らしだが、地方の大学だったので、都会での暮らしは初めてである。都会というものがこれほど大きなものだとは思っていなかった。きっと学生時代に住んでいたとすれば、見方も違っていたことだろう。
都会での暮らしになかなか慣れないのは、三郎の性格的なものが大きい。
まわりが必要以上に大きく見えてしまうのだ。臆してしまうというべきか、特に学生から社会人になるということは、学生として最高の学年から、新入社員という一年生になるのである。まわりの見方や考え方をまったく逆にしなければならないだろう。そんな時、見えてくるまわりの人が必要以上に大きく見えるのも無理のないことだ。
人の噂も気になってくる。最初こそ、
「新入社員だから仕方ないね」
と言われて自分でもしょうがないと思ってしまうが、いつまでも甘えてはいられない。分かっているつもりだが、どうも上司に甘えてしまう。大きく見えることと一見矛盾しているようだが、根底では繋がっているのだ。
――見るもの聞くものをそのままに受け取ってしまう――
三郎の性格を司っている根底には、そういう思いが根付いているに違いない。
早苗への思いが募るにつれて思い出してくる学生時代の自分、しかし思い出すにつれ、次第に学生時代が遠い昔のように思えてくるのはなぜだろうか。学生時代の恋とはまったく違った感覚が、今の三郎にはある。まわりの環境の違い、そして相手も自分も社会人だという感覚、この違いを三郎は序実に感じていることだろう。
人吉の秋はひっそりとしている。
初めてきたのだから他の時期がどうなのか分からないが、少なくとも最初に想像していたよりものんびりとした佇まいに、
――来てよかったな――
と感じさせられた。
駅を降りて目の前に広がるロータリー、まわりに大きなビルなど何もなく、八代から肥薩線に入ってから見えた球磨川の景色を思い出していた。
肥薩線は、別名えびの高原線ともいい、途中吉松から鹿児島方面と、都城方面に行く路線に別れる。特にこの人吉までは球磨川渓流に沿って線路が帯びていて、谷になって蛇行している渓流を走ることになる。直線距離では測れない長さを感じることができるのも、この路線の醍醐味であった。
以前ドラマで見た路線を思い出した。主人公は小説家で、作品が完成して余暇と気分転換を兼ねての旅行に出かけたのが、渓流を走る路線だったのだ。
「ゴトンゴトン」と響く車両に、西日が差していた。主人公の乗った車両には他には二人しか乗っていない。最初に乗り込んだ時には数人いたのだが、途中でほとんど降りてしまう。目的駅に到着すると、そこは終着駅とは思えないほど寂しいところで、
――これじゃあ、終点まで乗っている人も少ないな――
と感じたものだ。
そんな路線はドラマの中だけのことだと今でも思っているが、その反面、
――本当にそうなのだろうか――
と半信半疑でもあった。
――実際にあるとすれば行ってみたいな――
と思っているが、そんなところにこそ、温泉があったりするのではないだろうか。温泉ブームのおかげで、健康にいい温泉がたくさん紹介されて嬉しいのだが、あまりにも観光化されたところは面白くない。誰も行かないような静かな温泉がないかと探してみたくもなるというものである。
温泉での出会いにも憧れたことがあった。
温泉宿を出ると近くに小川が流れていて、そこには赤い橋が架かっている。伊豆の踊り子のワンシーンを思い起こさせるような佇まいの山間の温泉には、そういう情緒があるように思えてならない。ただあまり観光化されていては意味がない。そう考えると、なかなか理想に感じる温泉を探すのは至難の技かも知れない。
温泉でなくともよかった。歴史にも情緒を感じる三郎は、小さな城下町にも憧れている。学生の頃には小さな城下町を旅したものだ。観光化された小京都と呼ぶにふさわしい場所で、その中でも山口県の萩は最高だった。
幕末から明治にかけての元勲を多く輩出した街として有名な萩は、それだけではなく江戸時代以前にも毛利氏の支配下にあった時代のものも残されている。いくつもの顔を持つ萩は、それぞれに素晴らしかった。
人吉という街は、萩に及ばないまでもこじんまりとして興味をそそる街である。むしろ今の三郎にとっては、ひっそりとしていて落ち着ける分、人吉の方がありがたい。
城下町といっても城址が残っているだけで、城壁の一部を垣間見ることができるだけである。
作品名:短編集43(過去作品) 作家名:森本晃次