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短編集43(過去作品)

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 確かにそうだ。後で感じたことを遡って原因を思い出そうとしても最初が漠然としてしか見ていなければ思い出せるものではない。分かりきっていることだ。
 最初に見た閃光は真っ白だった。暗黒の世界に目が慣れてくるまで、自分が断崖絶壁の上にいることを頭の中では理解していたが、実際に目で見たわけではなかった。だが、実際に目で見たその時、自分の置かれている状況を把握したと感じた瞬間だった。
 目の中に飛び込んできた閃光に影があった。目の前に広がっているのは果てしない水平線で、どこまでが空で海なのか分からないほど、グレーと暗黒に支配された世界だった。そんな世界が一瞬まるで映画のセットのように狭く感じたのである。
 それが影による影響であることに気付いたのは、その時だったのか、さっき目を覚ました時だったのか定かではない。だが、明らかに意識がハッキリとする前だったことに違いはない。
 白い閃光を感じたと同時に、記憶に残っているのは、虹のようなものを見たことだった。ハッキリと七色を確認したわけではなかったが、空に薄いカーテンのようなものがひらひらと浮かんでいるように見えていたが、閃光に影を感じた瞬間に、色も一緒に感じた。
 白い閃光は、光の凝縮である。白という色はすべての色が交じり合った時にできる色で、混じりけのないものになってしまった時にだけ許される色でもある。白い色だけが本物で、後はすべて白い閃光からの副産物のように思うのは突飛な発想であろうか。
 思い出すと寒さを感じた。目を瞑っていると凍死してしまいそうな寒さである。身体が寒さで麻痺してしまわないようにしないといけないという意識だけは残っているが、残っている意識はそこまでで、後は気付いた時にベッドの上だった。
「だいぶ、いろいろなことを思い出してきているかも知れませんね」
 伊崎先生は、坂下が考えていることが分かるのだろうか。あまりにも的を得ているので、少し怖くもなってきた。
――今の状況は誰かによって作られた世界ではあるまいか。そして少なくとも伊崎先生はそのことを知っている――
 と勘ぐってしまうほどだ。
――そんなバカなことがあるわけはないか――
 とすぐに打ち消してしまう。だが、少なからず自分の状況を理解していく中で、不安が募ってくるのも否めない。
 誰も見舞いに訪れないのが一番の不安だった。身元が分かっているのだから、誰かに連絡を取っているはずなので、誰かが来てくれても不思議はないはずである。
 それとも身元が分かったのがつい最近のことなのかも知れない。そういえば警察も来ていない。行き倒れ状態で病院に担ぎ込まれたのであれば、警察の事情聴取があるはずだ。喋れる状態ではないということで、ドクターストップが掛かっているのだろうか。
 いろいろなことを考えてしまう。過去のことよりもそっちの方が少し不安に感じられた。
 そんな不安を解消してくれたのは、やはり久子だった。
「坂下さん、面会の方が見えられていますよ」
 と看護婦が一人の女性を連れてきた。
「面会時間はあまり長くならないようにしてくださいね。疲れやすいようですから」
 扉の外で伊崎先生の声が聞こえた。扉の向こうでシルエットに浮かんでいる女性が軽く頭を下げるのが見える。まさしく待ち望んでいた人、久子であった。
 開いた扉からは、少し俯き加減の久子が立っている。遠慮深いところがある女性だが、性格そのままで立っているのを見るといじらしく感じる。顔を上げようとしないので、長い髪の毛が顔に覆いかぶさるようになり影を作っている。
「久子?」
 だんだん不安になって声を掛けると、やっと顔を上げて坂下を見るが、一瞬血の気が引いたような顔に見えたのはなぜだろう? だがすぐに安心した顔に戻って坂下に近づいてきて、
「身体の方は大丈夫ですか?」
 と気遣ってくれる。
「ああ、だいぶよくなったみたいだよ」
「よかった。私が分かるのね?」
「分かるよ。久子だろう?」
「うん、それならよかった」
 また顔を下に向けて少し考えているようだった。久子のことが分からなくなるほどの重症だと思ったのだろうか。確かに身体に受けた傷はそう簡単には治らないようで、身体全体に巻かれた包帯がそれを暗示していた。実際に少しでも身体を動かそうとすると、全身を火にあぶられているような熱さが走り抜けるのだ。
 それからしばらく無言だった。すべてを知っているはずの久子に対して不安など感じたことがなかったが、それがどうしてなのか、その時になって分かった。
――久子の見つめる目にまったくの穢れがなかったからだ――
 今も穢れなどないのかも知れない。だが、どこか不安な部分が見え隠れしていて、他に穢れが一切ないだけに、ちょっとした綻びが却って目立つ。真っ白だったところにいろいろな色が染めようとしているのを見ているようだ。
――閃光の後に感じた虹のプリズムに似ているのかも知れない――
 光というのは、白い色が一番強いということを、目の前に広がった閃光で思い知った。きっと今ここで重症を負って治療を受けているのも、強い光を浴びたからだと思っている。人に説明しても分かってもらえるものではないだろうから、誰にも話していないが、学者にでも話せば興味を持って聞いてくれるに違いないとさえ思う。だが、ここは病院、一歩間違えば気が触れたと思われても仕方がないだろう。
 そんなことを考えているのが顔に出ているのかも知れない。久子の普段と違う様子を引き出したのは他ならぬ坂下本人ではないだろうか。
「元気そうなのでよかった。また来ますね」
「ありがとう。楽しみにしているよ」
 という会話を最後に交わして、久子は踵を返し、扉の向こうに消えていった。
 またしても天井をじっと見つめる坂下、
――久子の癖は治っていないな――
 と考え一人ごちた。
 最後の言葉が久子の口から出た時、久子の右手が髪の毛を掻いていた。表皮を掻き毟っているように見えるほどの掻き方は、久子の癖で、その癖が見えた時の久子は、焦りと不安が渦巻いている時である。表情は普通だったのに不安が見えるということは、久子は話している相手を普段の坂下だとは思っていないのではないだろうか。そんな風にさえ思えた。
 会話らしい会話はほとんどなかった。付き合っている時でも久子はあまり自分から喋る方ではない。いつも坂下の方から話題を振って、それに対して時々相槌を打ったり、返答を返したりする程度だった。
 どれくらいの時間が経ったのだろう? 考えてみればこの部屋には窓がない。全体的に白い明かりを感じていたのは、すべて蛍光灯の明かりなのだ。
 窓がないことに気付いていたはずなのに、なぜ今頃になって気になってくるのだろう。そのことが気になり始めると、臭いや色に対しての感覚が次第に戻りつつあるのではないかと思えてきた。きっと光に対しての思い入れが強くなった証拠に違いない。
――蛍光灯の明かりだけにしては、かなり明るい感じがするな――
作品名:短編集43(過去作品) 作家名:森本晃次