短編集43(過去作品)
男の後ろから誰かが見つめているのに気付いた。最近の将人は、どうも癖になっているのか、誰かと目を合わせると、必ずその後ろから誰かが見ていないか気にするようになっていた。
それは相手が自分を見つめている時も同じである。相手が自分を見つめながら、実は自分の後ろにいる誰かを見つめているのではないかと感じるからだ。その発端は、万引きの日に、父の哀愁漂う後姿を見た時からに違いない。
視線の主は女性だった。
会社で気になっている女性、藍子が父の後ろ姿を熱い視線で見守っている。
藍子の表情はすでに会社での表情ではない。だが、どこかで見た表情だという意識は捨てきれない。
妖艶な表情ではあるが、その目に見つめられると、まるでヘビに睨まれたカエルのように萎縮してしまう。そして意識が朦朧としてくる気がするのだ。
――何かから逃げ出したいという思いが強いのだろうか――
と感じていると、手が目の前にある文房具に向っているのに気付く。
――駄目だ、触ってはいけない――
という思いとは裏腹に、自分が本能的な盗癖から逃れられない性格であることに気付く。
目の前にいる藍子の表情が怪しく歪んだ。
――よくやったわ――
とでも言いたげな表情を浮かべたと思ったが、次の瞬間には、カッと目を見開いて、歯を食いしばっている。耐えている様子は小刻みな震えが止まりそうにない様子を示している。そしてみるみるうちに表情はこわばってくるのだ。
――断末魔の表情――
ドラマでしか見たことのない断末魔の表情、まさしく藍子は声にならない悲鳴を呻き声として上げている。
真っ赤に充血した両目から、今にも血が流れ出しそうで恐ろしかった。顔色はすでになくなっていて、石のように硬直してしまっているのが見て取れる。
藍子が恨みを込めたような目を最後に見せるが、力尽きて倒れこんでしまう。その後ろに見えるのは、何と母ではないか。
――私は何もかも知っているのよ――
と言わんばかりの顔に、勝ち誇ったような表情が浮かぶ。
藍子が見つめているのは父だった。父が母や自分を捨てて走ろうとした女、それが藍子だったのだ。
――母は、僕のためにも彼女をこの世から抹殺したんだ――
と感じたが、結局は藍子を抹殺してしまっても心の中に残ってしまっている藍子は永遠に将人に熱い視線を送り続ける。
父が死んだ時の母の落胆ぶりが思い出される。
それは母の思惑を完全に裏切ったことになるだろう。一体何度母は自分の思惑を裏切られ続けることになるのだろう。盗癖が抜けない家系の中で、いつも苦悩しているのは、母なのかも知れない……。
( 完 )
作品名:短編集43(過去作品) 作家名:森本晃次