聖夜の伝染
どこを見ても人、人、人……。歩くスピードも皆一緒に見えていたが、目をパチクリさせながらまるでストロボ撮影のようにコマ送りにしてみると、歩き方が人それぞれであることに気付かされた。
そんな状態で、自分だけ歩いているわけにもいかない。
前を見ているつもりでも、横切って歩いている人にぶつかりそうになる。それでも誰ともぶつからないのは、偶然なのだろうか?
――いや、違う。こんなにたくさんの人がいたようには思えない――
見えている人の多さを、そしてそのまま目に映ったものを真実だと思うと、矛盾していることに気付かされる。
歩いている人の数から考えて、歩くスピードが人によってまちまちなのに、誰もぶち当たらないというのはおかしなものだ。よほど人の列が厚いのだろうが、そう思うと、遠くに見える人まで鮮明に見えてくるのが不思議なのだ。一番向こうの人たちが影のように見えるのなら納得もいくが、そうでないとすれば、明らかに錯覚が伴った妄想に違いなかった。
少ししか歩いていないのに、足が棒のようになってしまったことに違和感があった。目の前を通り過ぎる人たちにあまりにも人の気配を感じない。人が多ければ多いほど、一人に対しての気配が薄れていくのは当然なのだろうが、まったく感じられないというのもおかしなものだ。
――本当に眠っていて、夢を見ているのかしら?
そう思うと、歩いているのが億劫になり、どこか空いているベンチがないかとまわりを見渡した。
ちょうど自分と同じくらいの年の女の子が一人、ベンチに座って、行き交う人たちを見上げているようだ。
――あの様子では、誰かを待っているわけではなさそうだわ――
と思い、ベンチに近づいて、座った。隣の女の子は、恵美に気付くこともなく、目の前を行き交う人たちを眺めていた。恵美はその場の雰囲気に普通なら染まってしまうことなどないのだが、彼女の様子を見ていると、自分も彼女の目線になってみたくなり、同じ行動をとるようになった。
隣の彼女は、恵美に気付いた様子はない。恵美の方が勝手にチラチラ見ているだけだ。
最初に目が行ったのは指だった。ワインカラーが綺麗なルビーが光沢を放っている。角度を少し変えれば、微妙に色が変わって見えるが、それも光の屈折による錯覚なのではないだろうか。
指にばかり目が行っていたが、よく見ると、指の大きさからすれば、少し大きめの指輪であった。よく見ないと分からないが、恵美にはハッキリと分かったのだ。
――この人も、細かいことを気にしないタイプなのかしら?
と考えたが、実は自分が整理整頓が苦手だと思っている恵美だが、実際にやってみれば細かいところに気が利く性格であることに、その時はまだ気が付いていなかった。
――それにしても、何かを考えているのだろうか?
と思うほど、まわりを一切気にしていない。無表情ではあるが、暗い雰囲気は感じない。まわりに重たさを感じさせないのだ。
かといって、路傍の石のように、そばにいても存在感を感じないわけではない。よく見ると、笑顔を浮かべているように見え、思わずこちらも笑顔を見せていることに気が付いた。
相手が反応を示さないのであれば、いくらこちらから視線を向けても疲れるだけである。すぐに視線を逸らして、二度とその人を意識しないようにするか、その場から立ち去ってしまうかのどちらかであったが、その時の恵美は、そのどちらもしようとは思わなかったのである。
立ち去ることは簡単だった。別に確かめたいことがあるわけでもなく、後ろ髪を引かれる感覚もない。
隣の女性を意識し始めてどれくらい経っただろうか。その間に無数の人が二人の前を通りすぎていったのを感じながら、恵美は足元が冷えてくるのを感じた。それも当然のことで、季節は真冬のクリスマス。誰かと一緒にいるのであれば、暖かさも感じることができるのであろうが、自由とともに手に入ったものに、孤独があった。孤独を差し引いても自由は満喫できるものであると判断したことで、彼に引導を渡したのだ。その同じ気持ちを隣の女性も今感じていることなど、まったく知らない恵美だったのだ……。
◇
恵美の方はまったく気付いていなかったが、理沙の方はすぐに隣の女性が自分と同じような気持ちを持った女性であることに気が付いた。
正確に言うならば、恵美は同じ気持ちを持った人が、そう簡単に近くにはいないと思っていた。それだけ自分を特別だと思うところがあり、人と同じでは嫌だと思うところもあった。
だが、理沙とは違い恵美は、同じ考えの人が少しでもそばにいてほしいと思っている。それは寂しさからくるものではなく、同じ考えの中でも自分が突出したところを見出して、要するに、輪の中心にいたいという性格であった。
それなのに、理沙は恵美をあまり意識していなかったのに、恵美の方は理沙を思い切り意識していた。このまま仲良くなってしまっては、主導権を理沙に持っていかれてしまうであろう。
だが、恵美は理沙に対してはそれでもいいと思っていた。理沙の方でも、最初から恵美との間に優劣をつけようなど、毛頭なかった。お互いに似ているところがありながら、相容れない平行線を描いているのが、二人の関係だろうと思ったからだ。
二人の関係は言葉はなくとも、お互いに最初から分かっていたような気がする。そんな二人をまわりの人たちは、何もないかのように足早に通り過ぎていくのは、絵にならない。もしここをドラマで映すとするならば、通行人だけがスローモーションで、二人は微動だにせず見つめ合っている姿が思い浮かぶ。冷静な理沙に恵美が興味を示しているかのような感覚だ。
――姉妹だったら、私が妹だわね――
と、恵美は思っていた。
恵美には実際に姉がいるが、最初に理沙を見て感じたのは、
――姉のような落ち着き――
だったのだ。
まさか、理沙も今日自分と同じように男性と別れた後だなどと、思いもよらないだろう。恵美は、自由とともに引き受けなければいけなくなった孤独に対し、今の段階で、自分よりも深く感じている人などいないだろうと思っていたからだ。
遠くでジングルベルのメロディと、トナカイが走る時のイメージに合わせたような、シャンシャンという鈴のような音が聞こえていた。鈴の音は耳鳴りにも聞こえたが、錯覚ではないことは分かっていた。