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聖夜の伝染

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 理沙はお腹が空いたのを思い出した。今まで忘れていたということは、それだけ緊張していたからであった。考え事をしていたり、集中していたりしてまわりが見えなくなってくると、お腹が減ったことすら分からなくなってしまう。
 理沙が自分を偽ったといっても、普段しないような態度を取っただけだ。
 自分では何でもないことだと言い聞かせていたが、まわりはそう思っていないかも知れない。
 何でもないこととして自分に言い聞かせる態度は、それだけ自分に今まで持っていた自信が、何かのきっかけで瓦解したからではないだろうか。
 自分の偽りを演じることほど難しいことはない。自分を否定することになりかねない事態に、よく相手を諦めさせるためだと言っても、自分を偽れたものである。
 それだけその男と別れたかったということであろうか。
 相手は、熱しやすく冷めやすい男。放っておけば冷めてしまったのかも知れないが、それでは理沙の気持ちが収まらない。簡単に身を引かれては、自分が惨めなだけだ。
 自分を偽ることも惨めなことだと思うが、どちらが自分にふさわしいかと考えた時、自分を偽る方がいいのだと感じた。
 その理由は、元々自分が偽りの人生を今まで歩んできたのではないかという疑念があったからだ。自分で信じていることが、まわりにはまったく相手にされることではないと思うと、何を信じていいのか分からなくなってくる。
 だが、逆に自分が偽りだと思っていることを演じてみて、しっくりくるなら、偽りも本当の人生だ。そう考えてみると、彼氏に対しての態度もどれほど自分を正面から見つめ合えるかということに関わってくる。
 人に嫌いになってもらいたいがために偽りの自分を表に出すのは、抵抗があった。だが、しっくりくるかどうかを確かめるという意味では大いに興味があったし、少しはしっくりくるはずだと思っている自分の気持ちに正直にどこまでなれるかが焦点でもあった。
 だが、やはりしっくりくるものではない。自分が情けなく惨めに感じられたが、自分なりに一生懸命にやったのも事実である。自分で自分を褒めてあげたいと思うくらいで、それが自分に対しての「ご褒美」だったのだ。
 宝石くらいのものを買ってもバチは当たらないだろうという思いを抱いていた。ただ、宝石に対して今まで抱いていた発想が、嫌みや捻くれた感情であったとすれば、輝きが眩しすぎて、見えるものも見えなくなってしまっていたであろう。
 宝石を買ったことで、他にもほしくなりそうな感情をグッと抑えて、理沙は、人で賑わう大通りに出てみた。溢れるような人ごみの中は、好きな人などいるはずはないが、理沙は特別だと思っていた。すれ違っていく人の顔をいちいち見ないのは、見てはいけないからなのだろう。
 街は聖なる一日に変わっていた。恋人たちの一日と言ってもいい日に、自分は一人でいる。待ち合わせをする人がいるわけでもないのに、駅前のロータリーのところにあるベンチに腰を掛けた。
 いくつかあるベンチは、どこもカップルが座っている。空いているところに腰を掛けてあたりを見渡したが、さほど寂しさは感じない。
 足早に過ぎ去る人たちを見上げていると、まるでこのベンチに座っている自分が他人のように思えてきた。客観的に見ると寂しさが感じられないことで、さほど寂しさを感じなかったのだろう。
 寂しさとは、自分自身にしか分からない。客観的に自分を見るのだから、寂しさを感じなくて当然なのだが、それでも少しばかり感じる寂しさは、すきま風が身に沁みるような風を、まともに受けている自分を感じるからだ。
 クリスマスに一人でいても、寂しいと感じたことは元々あまりなかった。それだけ寂しさを感じないようにしようと無意識にでも、客観的に見ることができる目が養われてきたのかも知れない。
 さっき買ったルビーの色とは明らかに違う真っ赤な衣装を来たサンタに扮した人たちが、道に溢れていた。看板を持っている人、ビラを配る人、どこからか聞こえてくるクリスマスソング、この風景は、どんなに時代が変わっても、変わることのない景色に見える。ウキウキした気分になってくるわりには、じっと座って、微動だにしないその姿は、見る人によっては、やはり寂しそうに見えるのかも知れない。
 寂しそうというよりも、モノ欲しそうに見えてしまったら、どうしよう。いじましい女性だと思われるのが一番女性としては、恥かしいことだと思っていた。普段から礼儀正しく、整理整頓には余念のない理沙にとって、まわりから見られる目は、どうしても気になるところであった。
 理沙はベンチに座っていると、人の動きがスローに見えてくるから不思議だった。
 だが、落ち着いて考えてみると当たり前のことで、普段は自分も動いているのだから、まわりの人がたくさんいればいるほど、それぞれに違った動きを示すことで、せわしく見えてしまう。それだけ、動きが機敏に見えて当然なのだが、その動きが一定に見えるように感じるには自分が止まっていないと見ることのできないことだろう。
 前を歩いている人たちの一人に集中すると、まわりの動きが止まって見えるほど、動きには一定の法則が感じられた。しかも下から見上げていることで、人がいかにまわりのことを気にしていないかということが分かってくる。
――私も、いつもこんな顔をして歩いているのかしら?
 同じ目線で歩いていると、楽しそうに歩いている人が目立つのに、座って見ていると、一人で黙々と歩いている人ばかりが見えてくるようで、不思議だった。しかも誰もが無表情、何を考えているのか、まったく分からなかった。
 人の波を見ていると、目が回ってきそうになった。一旦座ってしまうと、腰が立たなくなってしまい、動くことができない。そろそろここから立ち去りたいと思っているのに、目だけは、行き交う人を追っていて、身体が凍り付いたようになってしまっていた。
――もう少し、ここにいるしかないわね――
 と、覚悟を決めて座っていることにした。覚悟を決めると、先ほどまであまり感じなかった喧騒とした雰囲気を感じるようになり、まるで、眠っていた目が覚めたような気がするのだった。
 しかも、吹いてくる風が骨身に沁みる。一刻も早く立ち去りたいという思いが頭を擡げるのだが、思いとは裏腹に、動かすことのできない身体は、複雑な気持ちを表しているかのようだった。
 そんな時、理沙の隣に一人の女性が座った。
――この人も自分と同じような感じの人なのかしら?
 勝手な想像をして、まるで盗み見るように彼女を見た。
 すると彼女もこちらを見返してくる。
 まるでそこにあるのが鏡であるかのようだった……。

                   ◇

 男に対し、引導を渡して、自分が自由になったと思っている恵美だったが、時間が経って落ち着いてくると、
――大人げなかったかも知れないわ――
 と感じるようになっていた。
作品名:聖夜の伝染 作家名:森本晃次