英雄譚の傍らで
1.当日:立証
アルクスが立ち去った後も、私は座り込んで泣き崩れていました。涙が枯れ果て、具体的にステラの弔いをどうするか考え始めたのは、もう太陽が西で真っ赤に燃えている時分でした。
弔いをするにあたってまず問題になったのは、彼女の形見が何も残っていないことでした。あの魔法使い然としたとんがり帽子も、ダサいとからかわれても頑なに替えなかっただぼだぼローブも、武器としての用を全く成さなかった木の杖も、それどころかあばらの一本すら、一瞬の内にあの劫火に焼き尽くされてしまって残っていないのです。強いてあげれば、この一面シロツメクサが咲き誇る草原で、劫火によってぽっかりと土がむき出しになった箇所。皮肉にも、ステラを奪い焼き尽くした火力が、ステラの臨終の場所を指し示す目印を形作っていたのでした。
生前、敢えて彼女の出身地や家族の話など聞く事はしませんでした。どんな人生を歩んできたかも聞いてはいません。私は今更それを後悔すると共に、ステラの存在がもう記憶の中にしか残されていないことを改めて思い知らされ、のた打ち回りたくなるような悲しみに包まれました。
「……こうしてばかりじゃダメだ。まず、このむき出しの箇所に墓石を据えて、ステラが生きたという証を立てよう」
私は、まだ脱力感の残る体を奮い起こし、墓石になりそうな大きさの石を探し始めます。しかし、見渡す限りのこの草原では、見つかる石はせいぜい手の平に収まる小石程度でした。
「私には、墓すらも建てることができないのか……」
嘆きながら、探す範囲を少しずつ広げていきました。それでも、この広い草原では漬物石大のものすら見つかりません。私は自身の無力さ、不運さに苛立ち、半ば自暴自棄になってステラの墓石を捜し求めていました。
血まなこになって石を探していたせいでしょうか、私は坂になっている箇所で突然足を滑らせてしまいました。そのまま斜面を滑り落ち、したたかに体を打ち付けてやっと滑落が止まります。
しばらく痛みに悶えながら、周囲を見回しました。なぜでしょう。真っ暗です。突然夜にでもなったというのでしょうか。いや、そんな馬鹿げたことがあるはずはありません。動揺しつつ顔を上げると、遠方にか細く光が差し込まれてくるのが見えました。
「あぁ、そうか。洞穴に落ちたのか」
私は状況が把握できて、やや落ち着きを取り戻します。そして、外から射す光で周囲を見渡してみたのです。
どうやら、私は坂道で形作られている洞穴の中程で、土の隆起に引っかかっていたようです。洞穴の入り口までは数メートル。多少上り坂ですが戻れない距離ではありません。私はそれを理解して安心し、痛みの残る体を起こして、逆に洞穴の深部に下りてみることにしたのです。
洞穴の行き止まりにはわりとすぐ辿り着くことができました。ですが、そこにはなにやら白いものがたくさん置かれていたのです。私は暗くて良く見えない中でそれを一つ手に取り、よく見ようと顔を近づけます。球形の上部、大きく落ち窪んだ二つの穴、中央に位置する小さめの穴、横二列に並んだ格子状の物体━━それは人の頭蓋骨でした。
私は思わず悲鳴を上げそれを放り投げます。そして、洞穴から逃げ出そうと踵を返し駆け出そうとしました。その時ふと、ある疑問が頭に浮かび上がったのです。
「そういえば、あのドラゴンはどこを住処にしていたんだ?」
下級のドラゴンならいざ知らず、上級のドラゴンは我々人類より知性の高い種族も多いはずです。私達が倒したあのドラゴンが勇者の言うとおり上級種なら、子供とは言え雨露すらしのげない草原などには住み着かないと思われるのです。
「もしかしたら、あのドラゴンはここを住処にしていたんじゃないか」
この予想が正しければ何も恐れることはありません。これらの頭蓋骨を作った主は、もうすでに退治されているのですから。
「……と、いうことは」
陽が落ち始め、ほとんど光が射さなくなっていく中で、私は洞穴の深部を探し回りました。推測が正しければ、目的のものを含めて幾つか今後の役に立つものが得られるはず。
案の定、小さな横道の奥に、大きい物は人体くらいの、小さいものでも酒樽程度の岩石が多数見つかりました。他にも、ドラゴンの食事となったであろう先ほどの頭蓋骨たちが装備していたと思われる、折れ曲がった剣やひしゃげた盾、鎧なども奥のほうに打ち捨てられているのを発見したのです。
人智を超えたドラゴンといえど、やはり爬虫類という枠からは逃れられません。彼らが成長するためには、脱皮をしなければならないのです。そして脱皮の際は、人間の感覚で言う『かゆみ』を覚えるものだと、かつて私は神官学校で教わりました。
あの子供のドラゴンも、脱皮時の激しい『かゆみ』をなんとか解消するために、洞穴の土壁より固い岩石に自身をこすりつけたかったのでしょう。それ故、適度な大きさの岩石を探し出し、洞穴内に溜め込んでおいたというわけです。
私はとりあえず手近な酒樽大の石を転がしながら洞穴を出て、ステラを失ったむき出しの大地にそれを備え付けました。ですが、こんな粗末な石をステラの永遠の住処にはしたくありませんし、ステラの名を永久に忘れ去られないようにするにはいささか貧相です。無論、豪奢にすればいいというわけでもないのですが。とにかく今後、少しずつでも良いから、私自身の手でより良い墓、より良い手向けにしていこうと決意しました。
私は再び洞穴に戻り、憐れな頭蓋骨たちをかき集めて洞穴の片隅に埋めました。そして折れ曲がった剣の中でも比較的まともなものを突き立て、こちらも墓代わりの目印にしました。ステラと同じドラゴンによって命を落とした彼らも、本来なら同じ場所に葬るべきなのかもしれません。ですが、申し訳ないことに私にとってステラは特別なのです。私は言い訳をするかのように刺さった剣の前で少し長い間、十字を切って神に祈りました。
今後、私はこの洞穴で生活をしていこうと考えていました。ステラを弔えればもう何もいらないと思っていましたが、やはり最低限風雨をしのげる程度の環境は必要です。私は洞穴の最深部の比較的平らな部分で、火を起こしその近くにごろんと横になりました。食事の調達はどうしようか……。あの曲がった武器を加工して、削石の道具にして、墓石を作ろうか……。立派な墓石さえできれば、きっとステラの名は人々の記憶に永遠に残り続けるだろう……。これからのことを考えているうちに眠気に襲われ、気がつくとうつらうつらしていました。そして気付けば、ステラを失った日は過ぎ去り、何も変わらない朝日が洞穴の入り口から差し込まれているのでした。