【短編集】人魚の島
6
ティアナがハッと息を飲む。ダンに寄り添った。ダンは背後にティアナをかばう。周囲をざっと見回した。
陽の光が届かない、朽ち果てた、薄暗い路地。ネズミとおぼしき小さな黒い影が、足元に転がるゴミとゴミのあいだを走り抜けていく。感覚を研ぎ澄ませると、廃墟と化した建物のなかからひとの気配を感じた。
(囲まれてるな。五、六人というところか……)
ダンの予想は正確だった。ゴミを踏みしめる音──路地の左右に突っ立つ倉庫の入口や陰から男たちが出てくる。人数はジスを入れて六人。全員、抜き身の剣を手にしていた。前から三人、後ろから三人。はさまれた。逃げられない。
流れるような身のこなしから、男たちが剣の扱いに慣れていることが知れた。自由傭兵の剣法の構えとは違うが、それとよく似た体勢をとっている。軍服は着ていないが、おそらくこいつらは軍人だろう、とダンは推測する。
ティアナをかばいながら、右側の倉庫の壁際に急いで移動する。倉庫の壁に沿って、人間ひとりがすっぽりと収まりそうな大きさの、巨大な円筒形の赤い樽が何段も積まれている。樽の壁を背にして、半円形に包囲する六人の男たちと対峙した。
ダンは身動きのジャマになる背中の荷物をおろし、腰の剣を抜く。まだ実戦では使ったことのない、新品同様の剣を。
「……こいつらはあんたの船の乗組員か?」
「違うな。私は船長なんかじゃない」
陽気な口調はそのままに、ジスはティアナをじっと見据えて、
「ずいぶんと手こずらせてくれたな。やっと見つけたぞ」
ティアナの顔から血の気が引いていく。わずかに開いた唇からあえぎ声が洩れた。
「まさか、生きていたとは思わなかったよ。その目はどうした? 病気かなんかか?」
ダンは、不敵な笑みに凝り固まったジスの顔面から目をそらさず、
「強盗なんかじゃねえな。ティアナを狙ってるのか?」
「ティアナ? ああ、なるほど。きみにはそう名乗ってるのか。まあ、それも彼女の名前の一部だからな」
「誰だ、てめえ?」
「きみが知ったところで、なんの役にも立たんよ」
ジスはふくらんだ上衣の懐からなにかを取りだし、ティアナの足元に放り投げた。ダンはチラリとそれを見やる。白く塗った木製の玉だ。ところどころにこびりついた赤黒いシミは……血だ。なにかの目印なのか、玉の真ん中に黒い点が描かれていた。
白い玉を目にして、ティアナが短い悲鳴をあげる。彼女にはこれがなんなのか、わかったらしい。
「あなたの行き先を聞きだすのはたいへんだったよ。思いのほか、強情な男でね。おかげでヤツはもう片方の目玉もなくすハメになった。もっとも、死人に目玉は必要ないけれどね」
「殺したんですか、あのひとを!」
「ああ、殺したとも。いまごろはカラスにはらわたをつつかれてるだろうよ。それとも野良犬かな?」
ティアナの息遣いが激しく乱れる。ここで悪態をつかないのは、彼女が貴族の娘だからか、それとも言葉が出ないほど憤激しているのか……。
(相手を口汚くののしるのは、平民よりも貴族のほうが得意のような気もするけど……誰もティアナにはやり方を教えてくれなかったのか?)
そんなことを考える余裕があるぐらい、不思議と落ち着いていた。
初めての実戦のときは興奮して武者震いが止まらないんじゃないか、という心配もしていたのだが、剣をまっすぐに構える腕は震えたりすることなく、素振りをするときと同じようにしっかりとしていた。
こわくない。まったく。平気だ。
絶望的な状況だからかもしれない。敵は六人。勝てる自信はまるでなかった。
ダンは必死に死活路を探る。敵の包囲網にスキはない。ダンひとりだけなら、あるいは包囲網を突破できるかもしれない。が、ティアナを守りつつ、六人もの敵を相手にするのはムリだ。
となると、自分を囮にしてティアナを逃がすしかなさそうだ。問題は、そんな単純な作戦にこいつらがひっかかるのか、ということだが……。ただのゴロツキだったら有効だろう。だけど、相手は手錬(てだれ)の剣士だ。たとえ技量が同格だったとしても、実戦の経験は確実に向こうのほうが豊富だ。
(クソ、どうすればいいんだ?)
迷っている時間はなかった。
ジスが手を振って合図すると、男たちがいっせいに斬りかかってきた。
路地にわだかまる薄闇のなかで、白刃の軌跡がなめらかに伸びる。
男たちが地面に転がるゴミを蹴散らす音。裂帛(れっぱく)の気合。剣が空を斬る音。
間延びする時間。耳の奥で脈打つ血潮。
頭で考えるよりも、身体のほうがさきに反応していた。
敵の剣を受け止める。押し返した。
夜明けを告げるニワトリの構え。
突きだしたダンの剣を、敵が難なく弾いて、横にいなす。
「殺せ!」
ジスが叫ぶ。自分も剣を打ち振って、ダンの間合いに踏みこんでくる。
ダンの剣とジスの剣が交わった。剣圧が重い。押され、足がすべる。
衝撃に腕がしびれる。剣の柄をにぎる指の力が一瞬、弱まる。
「クソが!」
ダンはおめいた。
空を駆けるハヤブサの構え。
が、切り返しが遅い。敵の剣がダンの右の上腕を斬りつける。
激痛。痛みを感じた時間はほんの刹那(せつな)。次の斬撃が容赦なく襲いかかってくる。
とっさに剣をさばいて敵の刺突をしのぐ。
左。ダンの脇腹を狙って銀光が一閃する。
防御が間に合わない。革をなめした防具が断ち切られる。脇腹に痛みが走る。
「殺すんだ!」
ジスががなる。男たちが殺到してくる。白刃がおどった。
足がぬるりとしたゴミを踏みつけた。ダンの片膝が崩れる。
枝の上でうずくまるフクロウの構え。
構えにならない。右の太腿が切り裂かれる。苦痛に息がつまる。
地面に膝をつく。立ちあがれない。剣を手放しそうになる。指に力が入らない。
自分はここで死ぬ。そう覚悟した。
(ティアナを……ティアナを守ってやらないと……)
痛みを押し殺して、顔を上げ──
ギョッとした。
ダンの頭上で、人間の背丈と同じぐらいの高さがある円筒形の赤い樽が、いくつも宙を飛んでいた。
巨大な樽が、あっけにとられる男たちを次々となぎ倒し、下敷きにする。
悲鳴。絶叫。骨がへし折れる不気味な音。
ジスがあんぐりと口を開け、棒立ちになっている。次の瞬間、顔面に樽の直撃を受けた。もんどりうって肩から地面に落ちる。喉からつぶれた声を洩らした。
ゴロゴロと樽が転がる。路地の反対側の倉庫の壁にあたって、ようやく止まった。
肩越しに振り返る。ティアナが顔を真っ赤にして、自分よりも大きな樽を持ちあげていた。ダンが見ていることに気づき、あわてて樽をもとの場所に戻す。
うめき声。六人の男たちは全員、地面に倒れていた。誰も起きあがれない。ひとりは手足がヘンな向きにねじ曲がっていた。ジスは顔面を朱に染めて、白目をむいている。
「おい、あんた……」
「いまのうちに逃げましょう!」
ティアナがダンの肩の下に手を差し入れる。
「立てますか?」
「クソ、立ってやるよ!」
メンツにこだわっている場合じゃない。苦痛をこらえて立ちあがる。幸いにして、右の太腿の傷は浅い。なんとか歩くことができた。