【短編集】人魚の島
5
船を探し、交渉する役はダンが引き受けることとなった。
ティアナは人前に出ることを極端に嫌った。
「女のわたしが交渉すると、足元を見られるかもしれませんから」
と、弁明していたが、それほど頭のよくないダンにも、ティアナが人目を避ける理由は容易に察しがついた。彼女は、自分の顔を見知っている人間にでくわすことをおそれているのにちがいない。
ティアナは逃亡者なのかもしれない、とダンは思う。であれば、彼女に従者がいない理由も説明がつく。誰から逃げているのか? 彼女には敵がいるのか?
(ったく、そういうことを教えてもらえないと護衛がやりにくいんだがな……)
荷物を背負って宿を出て、人ごみで混雑する目抜き通りを、港のある方向へと歩いていく。ダンの左隣を歩くティアナは、初夏の汗ばむ季節だというのに、フードつきのマントをはおっていた。長い銀髪をマントのなかにたくしこみ、顔をフードの陰に隠している。あからさまに怪しい。かえって目立つような気がした。
ティアナの荷物はダンよりも少ない。背中にしょった小さな袋だけだ。そこに全財産──どうも装身具などを売って換金したらしい──がはいっているという。スリの被害にあわないよう、常に目を光らせるのは護衛であるダンの重要な役目のひとつだった。
顔を見られたくないと思っているのはよくわかったから、ダンはティアナになにも言わなかった。それよりも自由傭兵としての初仕事に専念する。不審な動きがないかどうか、周囲に目を配りつつ、ひといきれでムッとする通りを抜けていく。目抜き通りにあふれかえる買い物客や船乗りたちは一瞬、ティアナに目をとめて、そのままなにごともなかったように流れていく。ことさらに注目する人間はいない。何度か背後を確認したが、尾行する者もいないようだ。だからといって油断はできない。
途中、漁師の屋台で小魚と貝柱の串焼きを二本買い、一本をティアナに差しだす。ティアナは首を横に振って、受け取ろうとしない。目顔で、早くさきへ行って、とダンに促す。ダンはひょいと肩をすくめる。串焼きをかじりながら行進を再開した。
まるで魚の群れのようにあちこちで離散と集合を繰り返す通行人の壁をかきわけ、船が帆桁を並べる波止場へと足を踏み入れる。肺が腐ってしまうのではないかと心配になるほどのひどい悪臭がふたりを出迎えた。ここでは、ティアナの香水の香りはほとんどモノの役に立っていなかった。
ふむ、とダンは腕を組んで、居並ぶ船をながめる。ダンは船に乗ったことがない。川を渡る渡し船なら何回か乗った経験があるが、あれは船と呼べるようなシロモノじゃない。それでも、どういう種類の船を避け、どういう種類の船を探すべきなのかはわかっていた。
あたりにぶらつく船乗りの半数は人相の悪い、海賊まがいの男たちだった。波止場に立ち入ったダンをにらみつけ、彼の横に立つティアナをいやらしい目つきで品定めしている。
ティアナが近寄ってきて、ダンの袖をギュッとつかんだ。横目でうかがうと、不安げな顔をしている。悪相の船乗りたちがいまにも襲ってくるのではないかという気がして、心中穏やかではないのだろう。それもまったくの見当はずれであるとはいえなかった。この場所に長居していたら、いずれはそういう危険な目にあうかもしれない。
ティアナを袖にしがみつかせたまま、ダンはゆっくりとした歩調で波止場を横切っていった。船体をざっと値踏みし、周囲にいる船乗りたちの服装や態度などから、どれが乗客にとって安全な船かを判断していく。いくつかこれは大丈夫だろう、と思った船に近づき、交渉を試みたが、期待していた返事はひとつも返ってこなかった。そもそも〈溺れた巨人の島〉へ向かう船じゃなかったり、いっさいの乗客を乗せない貨物船だったりして、条件に合う船がなかなか見つからない。なかには、女を乗せることを拒否する船もあった。船乗りに悪影響を与えるから、というのがその理由だった。その逆に、女だったら誰でもタダで乗せよう、という船もあった。そうした船は女にどういう役割を求めているのかが見え見えだったので、ティアナが即座に拒絶した。
小一時間ほど歩いたが、はかばかしい成果は得られなかった。少し休もう、と提案し、埠頭に放置された木箱に腰を下ろす。緊張の連続で疲れたのか、ティアナは無言でその隣の木箱に腰かけた。
こすからい潮風が吹きつけてくる。この場所で一服したあとらしい、紙巻きタバコの吸い殻が足元にたくさん散乱していた。倉庫が立ち並ぶ一帯では、海鳥が路面に落ちた魚をさかんについばんでいる。
喉の渇きを覚えた。麻袋が山と積まれた波止場のすみに、大きな日傘を広げて銅果水を売っている屋台がある。飲むか、と訊くと、ティアナは素直にうなずく。甲冑魚の丈夫な皮を張ったカップになみなみと注がれた銅果水をふたつ、腕に抱えて戻り、ひとつをティアナに手渡す。ありがとう、と礼を言って、ティアナはカップに口をつけた。
カップのなかの銅果水をグッとあおる。赤茶けた甘ったるい液体がひりついた喉をうるおした。手の甲で額に浮かんだ汗をぬぐい、よく晴れた空を仰ぐ。空にぽっかりと浮かんだ雲の白さが眼底にしみた。
「……簡単には見つからないですね」
ティアナがしみじみと言う。ダンは顔をしかめ、フードで頭を隠したままの少女の横顔を一瞥する。いらだっている様子はない。かたちのよい眉をひそめたその面持ちは、自分の思惑どおりにならないのでとまどっているような、小さな女の子がよく見せる表情とどことなく似ていた。
実際、そうなのかもしれない、とダンはあらためて、ティアナと自分とのあいだに横たわる距離を感じる。おそらく、ティアナはいままでなんの不自由もなく育ってきたのだろう。思いどおりにならないものなど、彼女の周囲には存在していなかったのに違いない。それは、身分の違い、というひと言では簡単にかたづけられない、もっともっと大きな違いであるような気がした。
(所詮、住む世界が違うんだ、おれとティアナでは……)
漠然とした寂寥感(せきりょうかん)を覚える。自分がひどくつまらなく、ちっぽけな人間に思えてきた。農夫で一生を終えるのがイヤで家を飛びだし、自由傭兵になったまではいいものの、そのことにはたしてどれほどの意味があったのか、と自問する。
だけれど、とダンは胸のうちで反問した。
(いまはこうしてティアナの護衛をしてる。おれにはおれの仕事がある。めんどくさいことを考えてもしかたねえ。おれにできることをするだけだ……)
桟橋に泊まる大きな船の陰から、ひとりの男がきびきびとした足取りで歩みでてきた。ダンとティアナを見つけ、足早に近づいてくる。ダンは警戒の目を向ける。きちんとした身なりの優男(やさおとこ)だ。普通の船乗りなんかじゃない。船乗りたちを指揮する立場の高級船員──もしくは、海軍の士官かもしれない。
ふたりのそばまで来た男がおおらかな笑顔をつくる。ゆったりとした緑色の上等な上衣の下に、盛りあがった筋肉の線が透けて見える。腰に帯びた剣はダテじゃないだろう。ひとを威圧する、肉食獣のような鋭い眼差しがダンを包みこむ。ダンも負けていない。精一杯の凄みをきかせてにらみ返す。