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【短編集】人魚の島

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 農村で暮らしていたときは同世代の女の子といっしょにいても平気だったのに、なぜだかティアナのまえでは過敏に反応してしまう。どうしてだろう。やっぱり、彼女の裸を見てしまったからだろうか……。
 あのときの情景を克明に思い浮かべると、今度はこぶしの下にある別の部位が非常にわかりやすい反応を示した。
 痛かった。切実に。
 冷静になろうと必死に努力しているダンを尻目に、ティアナは今後の計画を楽しげな口調で語っている。身振り手振りをまじえるたびに、ティアナの胸が悩ましく揺れる。まるでそこだけ別の生き物のように、右に、左に、ときには上下に、プルプルと。
 冷静になれなかった。ますます痛くなる。
 自由傭兵の養成所ではさまざまな鍛錬をくぐり抜けてきたが、指導教官は女性の扱い方についてなにも教えてくれなかった。その方面に関して、いかに自分は無知であったかを、ダンは身をもって思い知ることとなった。
 教訓、その二。妄想はときと場所を選ぶべし。
 われながら至言である、とダンは自画自賛した。

 やっと給仕の娘をつかまえて朝食を注文した。
 テーブルに並べられた盆には白リンゴがついていた。
 刃物をつかわなくても手で割れるぐらいふやけているのかと思っていたら、リンゴの実は石のように硬かった。

 騒がしい漁師たちに混じって、ひとりで食事をしている男がいた。一見すると行商人のような格好をしているが、目つきがやたらと鋭い。海草を煮こんだスープをチビチビとすすりながら、ときおりダンとティアナのいるテーブルに注意を向ける。
 男に見られていることに、ダンもティアナもまるで気づいていなかった。

 護衛を引き受けるにあたって、ダンはひとつの条件を出した。
「本当のことを教えてくれ」
 ティアナは苦笑いを浮かべる。なおもダンがせまると、やんわりと手で制して、
「いまはまだ話せません。でも、いつか必ず……」
 それで納得したわけではない。けれども、ティアナが真相を口にしないのは、ダンを信用していないから、というわけでもなさそうだった。むしろ、すべてを打ち明けたら、ダンの仕事にさしさわりがある、と考えているフシがある。おれは気にしない、と伝えてみたものの、ティアナの返事は否(いな)、だった。
「自由傭兵には雇い主の秘密を守る義務があるはずです」
 口をとがらせるダンに向かって、ティアナは右手の人差し指を左右に振る。
「忘れてもらいたくないのですが、わたしはあなたの雇い主なんですよ? つまり、あなたにはわたしの秘密を守る義務があるし、わたしが明かしたくないと思う秘密も当然に守る義務があるのです」
 理屈ではティアナにかなわない。農村の出身で、最低限の読み書きしかできないダンに複雑なことは理解できなかった。せいぜい、もとは農民の息子だったから、どの季節にどの作物を育てるのがふさわしいのか、をよく知っている程度だ。それに対してティアナはこの国の貴族階級の出身だ。知識も教養も、ダンとは比較にならない。
 ティアナが政治や軍略にも明るい、と知って、ダンは驚く。自由傭兵でも指揮官クラスのごく一部の人間しか修得しないような知識を、彼女は豊富に持っていた。〈暁の王国〉が建国されて以来の戦いを全部、そらんじてみせたのには恐れ入った。
「……あんた、何者だ?」
 ティアナは小さく笑ってなにも答えない。けれども、地方領主の娘、というのがウソだったのは正直に認めた。どうしてそんなウソをついたんだ、と問いつめると、
「あなたに断られたときのことを考えたまだです」
 という、率直な返答が返ってくる。なるほど、そういう用心深さは確かに必要かもしれないが、それにしても、だ。
「あんた、演技が絶望的に下手だな」

 ティアナはそのあと、しばらく口をきいてくれなかった。

 報酬は破格だった。ダメもとでふっかけてみたら、あっけなく承諾されたので、かえって困惑したほどだ。
「相場ってものを知らねえのか?」
 自分から言いだしておきながらそれはないが、それでも言わずにはいられなかった。
 ティアナは明るく笑うだけだった。
「おカネだけはたっぷり持っていますから、心配しなくてもけっこうです」
 それはそれで危険なような気がした。強盗にあったらどうするつもりなのか。まあ、そのために護衛を雇うのかもしれないが……。
 ティアナの計画はごく単純だった。あたりまえといえばあたりまえだが、〈人魚の島〉へ渡る船の便は存在しない。それどころか、船乗りは〈人魚の島〉の近くをとおることすらいとう。たとえ遠回りになっても、島を迂回する航路が一般的になっていた。
 ダンの部屋でティアナは地図を広げる。いったいどこから入手したんだ、とダンがいぶかるほど、精密な地図だ。手前の、つまり南側の、こんもりと盛りあがったお椀のような地形が〈暁の王国〉の領土。領土の中央を流れる大河、〈紅い河〉の河口に位置するのが王国の首都、〈満月の城塞〉。真ん中がふくらんだ三日月のかたちをした細長い海が〈精霊の海〉。対岸の、指を伸ばしたような大陸塊が〈風の帝国〉の本土だ。
「〈人魚の島〉はここです」
 と、ティアナが青く塗られた〈精霊の海〉の一点を指でつつく。〈満月の城塞〉からだとほぼ真北、ふたつの大国からちょうど等距離の位置に、芽が出た豆のようなかたちの島が浮かんでいる。ダンは地図に書きこまれた地名を読んだ。〈人魚の島〉とある。不気味な別名も小さく添えられていた──〈呪われた島〉と。
「この島の一番近くをとおる船は、この町と……」
 ティアナの指が地図上をすべり、〈暁の王国〉の西部、海に向かって突きでた三角形の半島の先端を指し示す。〈英雄の石碑〉──要するに、ダンとティアナがいまいる港町だ。
「〈溺れた巨人の島〉とを結ぶ便です」
 三角形の半島から北西の方角に、つぶれた菱形の大きな島があった。それが、〈溺れた巨人の島〉だ。この島は良質な砂金を産するので有名だった。この島の領有をめぐって〈暁の王国〉と〈風の帝国〉とのあいだで何回も紛争になったことがある。
 ダンは地図をながめる。こうして見ると、いかにも〈人魚の島〉と〈溺れた巨人の島〉は近いように思えるが……地図の縮尺が正しいとすれば、そのふたつの島のあいだの距離は、この町から〈満月の城塞〉までの距離のおよそ三分の一ぐらいだ。言い方をかえると、馬で旅しても五日はかかる距離、ということになる。そいつは……ひどく遠い。
「で、〈溺れた巨人の島〉にたどりついたら、そこからさきはどうやって〈人魚の島〉へ渡るつもりだ?」
「誰が〈溺れた巨人の島〉へ行くと言いましたか?」
「へ?」
「そんなところへは行きません。わたしたちはここで……」
 ティアナは船便の航路をたどり、海のど真ん中で指をとめる。
「船を降ります。ここからはボートに乗って、〈人魚の島〉を目指します」
 ダンは絶句する。
 もしかしたら、そこに岩礁でもあるのかと思って地図を探したが、なんにもない。海の真ん中だ、そこは。
「このあたりの海域には西から東へと流れる海流があります。その海流に乗っていけば、労せずして〈人魚の島〉に着くはずです」
「はずですって……漂流するだけじゃねえか!」
作品名:【短編集】人魚の島 作家名:那由他