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【短編集】人魚の島

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 人間の心はプログラムできない。機械じゃないから。
 制御できない要素が兵器にあれば、それは欠陥となる。だから、わたしは心を持たないように設計された。心がないから、当然に感情もない。悲しみも喜びも、それをいうなら恐怖さえもわたしは持ち合わせていない。それらを感じ、解釈する能力がわたしには欠けている。
 だが、わたしをつくりだした技術者の集団が与えた例外的な感情がひとつだけある。
 憎しみだ。
 敵に対する憎しみ。あるいは、敵を殺したいと欲求する気持ち。
 わたしが存在する理由──敵を滅ぼすためにわたしは存在している。
 わたしのパーソナル・ネームは「峨合院(がごういん)のぞみ」。
 「峨合院」は「ガーゴイル」をもじったものだという。「のぞみ」はわたしが戦争に勝つための「希望」だったから。名前にあまり意味はない。「P152」だと憶えにくい、というのが、わたしに名前が与えられた理由だ。
 その名前で、特務第二課の課長がわたしを呼ぶ。「峨合院三尉」と、感情のこもらない平板な口調で。
 ひび割れた声が、左のこめかみに埋めこまれたインプラントを通じて、わたしの意識を揺さぶる。
 わたしは目を開ける。薄暗い待機室のなか。さして広い部屋じゃない。設備はベッドとトイレがあるだけ。わたしはベッドに身を横たえている。身動きすると、全身の筋肉がきしんだ。
 もう一度、声がする。いらだちをこめた声。
「峨合院三尉、私の声が聞こえるか?」
「はい。聞こえています」
 インプラントの声に応じるには、わたしも声を出さなくてはならない。上官の舌打ちが返ってくる。不快を隠そうともしない声音で彼が命じる。
「任務だ。出動しろ」
 わたしは一拍を置いて返答する。「はい」と。

 国防軍の輸送ヘリがわたしを現場へ運ぶ。パイロットはひと言も口をきかない。わたしも口を開かなかった。目を閉じて、頭のなかを空っぽにする。さして難しいことじゃない。
 なにも考えない。なにも思わない。空白の時間。蒸発していく現実。
 ヘリが着地する。パイロットが「外へ出ろ」と怒鳴る。わたしは地上に降り立つ。
 そこは学校の校庭だった。インプラントから上官の指示が聞こえてくる。わたしはその指示に従って歩きだす。街にひと気はない。住民はとっくに避難を終えていた。
 突然、わたしの視界の端を金色の薄片がよぎる。そちらへと目を向けた。
 金色の翅を持つ蝶。
 一匹だけじゃない。それが数十匹の群れをつくって、灰色にくすんだ情景のなかを乱舞している。
 わたしの背後でヘリが上昇する。ローターの巻き起こす突風が、はかなくも美しい金色の小さな生き物を翻弄する。
 そんなはずはないのに、蝶の悲鳴を聞いたような気がした。
 わたしは風に乱れる髪を右手で押さえつつ、持てあました左手を舞い狂う蝶の群れに向かって差し伸ばす。わたしの指はなにもつかめず、空しく虚空をさらう。
 蝶は散り散りになって、色彩のとぼしいモノトーンの空へと溶けていった。
 わたしはしばらくその場を動けなかった。
 蝶の姿を探す。はがれ落ちた金色の鱗粉が薄くたなびき、ただれた陽射しを吸ってほのかに輝いている。
 耳を聾(ろう)するローターの爆音、わたしをどやしつける上官の声、奔騰する血潮が耳の底をこする音──荒々しい世界が急激に立ち戻ってきて、わたしは言い知れぬ息苦しさを覚える。
 深呼吸を何度か繰り返す。息を整えた。大丈夫、わたしは正常に機能している。
 手足をすっきりと伸ばして歩きだした。この先に設置された封鎖線を目指して。
 蝶は曙光(しょこう)にあぶられた夜霧のように蒸散していた。
 けれども、わたしは怒りを覚えない。
 わたしは兵器だから。兵器は怒ったりしないものだ。

 封鎖線の境界に置かれた国防軍の装甲車の周りには、銃を持った兵士が十数人、群れていた。
 迷彩服に身を包んだ兵士たちは、二車線の道路を封鎖するバリケードを背にして並び、近づいてくるわたしを陰気な顔つきで見つめている。
 一尉の徽章(きしょう)を肩につけた男が、わたしに「止まれ!」と鋭い声で命じた。
 すでに連絡がいっているはずだから、あらためて名乗る必要はないのだが、それでもわたしは、特務第二課に所属するエージェントであることを示す写真つきの身分証明書を彼らの眼前につきつけ、自分のパーソナル・ネームを口にする。
 峨合院のぞみ、と。
 一尉が緊張した面持ちで、写真とわたしの顔を見比べる。一見すると、十七、八歳の少女にしか見えないわたしのことを彼がどう思っているのかは、絶対に目を合わせようとしないその物腰から容易に察せられる。
 そう──多くの人間にとって、わたしは畏怖と憎悪の対象なのだ。
「……それで、彼女はいまどこに?」
 と、わたしが尋ねると、一尉は初めてわたしの顔を直視した。強い光が男の両眼に宿る。階級はわたしよりも彼のほうが上なのだが、わたしに対する口振りはどこまでも慇懃(いんぎん)で抑制気味だ。
「衛星から最後に確認したときはこの先の公園にいる、とのことでした。未処分の戦闘体が一体……それに、この近辺の高校に通う男子生徒がひとり、そばにいます」
「男子生徒?」
「はあ、その……戦闘体とは同級生だったそうで」
「彼女は学校に通ってたということ?」
「そのようです。どうやって血液検査をすり抜けたのかはわかっていませんが、おそらく、なんらかのダミーを使ったのでしょう」
 国防軍は彼女たちを人間扱いしない。単に「戦闘体」と呼ぶ。彼女たちは兵士じゃなく、あくまでも兵器なのだ。
 異国からの侵攻に対抗するために開発された、ヒト型の最終兵器。
 そして、わたしはそのプロトタイプ。それも、ただひとりの生き残り。
 バリケードをどけるよう、一尉に要請する。一尉は命令をがなった。兵士たちは無言で動き、バリケードを横にずらして、装甲車を移動させる。
 国防軍の封鎖線を通り抜ける。住民が避難して無人となった住宅街を歩く。
 背後から、一尉のしゃがれた声が降りかかってくる。
「ご健闘をお祈りいたします!」
 わたしは返事をしない。
 そんなこと、言われるまでもない。わたしが指令に背いたら、課長はためらうことなく、わたしの脳内にある生体爆弾のスイッチを押すだろう。わたしの行動は体内に埋めこまれたインプラントで常時、監視されている。
 国防軍はわたしを信用していない。わたしのことをコントロールが困難な危険物だと思いこんでいる。
 でも、その評価はあながち、まちがっていない。
 わたしみたいなプロトタイプには問題が多い。〈力〉は強いけれど、制御を失ってすぐに自滅する。国防軍の上層部の誰かが廃物利用を思いつかなかったら、わたしは確実に処分されていただろう。
 だが、国防軍は本当の意味で理解していないのだ。
 わたしに心はないかもしれないが、彼らが植えつけた唯一の感情がわたしのなかに息づいている、ということを……。

 緩やかな坂を下っていくと、突き当たりに小さな公園があった。
 錆びついたブランコ、色のはげたピンクのゾウのすべり台、バケツとシャベルがちらばる砂場。
作品名:【短編集】人魚の島 作家名:那由他