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短編集42(過去作品)

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 店の中ではクラシックが流れているが、朝らしく静かな曲が多い。小学校の頃、朝授業が始まる前、校舎全体にクラシックが流れていたのを思い出した。
 クラシックを聴きながら表を見ていると、人が歩くのも、車のスピードもゆっくりに思えてくる。
「ガシャン」
 どこからともなく聞こえてきたように思えた音だったが、目の前で起こったこととすぐに信じられなかったからだ。
 音がした瞬間、目の前が青く光ったような気がした。紺碧の青さで、それは昨日の砂時計の色だった。
――どうして今?
 と感じたのと、音を感じたのとどちらが先だったろう。音に気付いて現実に戻った瞬間、真っ赤な光景が目の前に飛び込んでくる。全体的な赤い色は、その前に感じた紺碧の青さに対する反動であることに間違いない。だが、それ以上に目の前に広がる血の海は、今まで見たものの中で一番衝撃的でグロテスクだった。
 誰もいないと思っていた場所に人がいっぱい集まってくる。
――これだけの人がどこにいたんだろう――
 と思うくらいで、あっという間に事故現場は人で埋まって見えなくなった。
 救急車と警察が飛んでくる。救急車と警察が来てからはさすがに手際がいいせいか、とんとん拍子にことが運んでいった。時間的には結構経っていたのだろうが、電光石火のごとくの手際よさにすっかり見入っていたことがあっという間だったように思う原因に違いない。
 それにしてもあれだけの大事故なのに、喫茶店の中から見ているとまるで他人事、目の前にあるガラスがあるのとないのとで全然違うのだろう。釘付けになっていた事故現場から目を店内に戻すと、いつもより薄暗く青さが目立つのに気付いた。皆何ごともなかったかのように行動しているのを見ると、
――世の中って、冷酷なものなんだ――
 と思えてくる。事故を目撃してショックを受けている綾香にしても、すぐに事故のことなど忘れてしまうだろう。いつまで引きずっていても仕方がないことだからである。
 確かにしばらくすると事故のことは急激に忘れていった。まるで潮が引いていくがごとくである。夕方頃にはすっかり忘れてしまっていて、食欲が落ちるということもなかった。
 しかし、夜になって一人部屋にいると、朝の事故が思い出される。砂時計を意識すると目の前が青く見えてくるからだ。しかし、明日はまた違う人生が見えてくる。それを見ないではいられないことを今まで以上に感じている。
 いつもの時間だった。それは休みの日であっても、仕事の日であっても同じことだ。
 砂時計を取り出して、いつものようにひっくり返す。胸の鼓動が聞こえる。嫌な予感がしたとすればその時だっただろう。
 息を飲んで見つめる時間というのは、実に長く感じるものである。あり地獄のような溝はどんどん深まっていくのに、下に落ちてくる砂はなかなかたまらない。いつもであればすぐに確認できるはずの色が、ハッキリとしてこないのだ。
 お腹に痛みが走った。
――あっ、始まっちゃった――
 月のものがやってきたのだ。緊張感が増しているせいか、お腹に力が入っているのが分かる。痛いという感覚ではないが、脈を打っているのが分かってくる。
 砂時計を見ていると、やはり下に溜まってくる砂の色は赤だった。それも濃い赤。月のものが来たことを示す赤である。
 しかし、それよりも、今日の朝見た事故、それを暗示させるような赤に見えて仕方がなかった。何事も自己暗示に掛かりやすい綾香にとって、今日の事故はあまりにも衝撃的だった。事故の大きさというよりも、目の前で繰り広げられたことが他人事のように感じられなかったからである。
 目を瞑ると横になって倒れている自分を覗き込んでいる人たちが目に浮かぶ。彼らは一様に心配そうに覗き込んでいるので、自分が気絶したままだとしか見えていないようだ。
 その表情が恐ろしい。
 どうしてそんなことを思うのだろう? それはきっと明日自分に起こることを暗示しているように感じるからだ。
――明日になんかなってほしくない――
 初めて感じたことだ。どんなに明日に希望が持てなくても、明日になってほしくないなどと考えたことはない。それだけ砂時計の色は鮮明だった。
 しかし、どんなに祈ったとしても明日にはなるもの。しかも一晩すぎれば恐怖心はほとんどなくなっていた。
――私は臆病じゃないんだ――
 ということを証明できるではないか。
――赤い色結構、堂々と表に出かけるわ――
 それこそ開き直りというものだろう。
 それにしても、たった一晩でのこの変わりようはどうしたことだろう。綾香自身にも不思議なくらいだった。
 表に出た綾香は、その日も休みだった。連休を取っていたのだ。同じように喫茶店に行って、モーニングサービスを頼む。いつもと変わらない平和な朝。昨日はこの後それが一変したのだ。
 何事も起こらない。時間だけが過ぎていく。綾香の気持ちは次第に落ち着いてきて、開き直っていてもさすがにあった恐怖心は、時間の経過とともに薄らいでいく。日が暮れることには、ほとんどなくなっていた。
 部屋に帰っていつものように砂時計をひっくり返す。月のものによる腹痛は相変わらずで、赤い色も相変わらずだ。
――よかった――
 安堵で胸を撫で下ろす。本当は怖かったにもかかわらず、自分を奮い立たせることができた一日だった。たった一日でこれだけの成長があるなんて今までにはなかったことだ。まるで自分ではなくなってしまったかのようにさえ思う綾香だった。
――砂時計に勇気をもらったのかしらね――
 いや、砂時計は無言で何も言わない。ただ事実だけを映し出していると言わんばかりに赤く光っている。
――昨日、開き直った時の気分に似ているわ――
 と感じ、妙な予感がして時計を見た。
 日付を見ると昨日の日付ではないか。どうしたというのだろう。
 もう一度昨日を繰り返している。しかもそれは昨日とはまったく違う昨日で、生まれ変わった自分に用意された日なのだ。
――昨日の朝に遡って、自分は生まれ変わったんだ――
 と思うと月のものの痛さが麻痺してくるようで、いずれ自分の中に宿る新しい命を準備しているかのように思った。
――田代さんに思い切って声を掛けてみよう。きっとうまく行きそうだ――
 と考えられるのも、生まれ変わった気がするからだ。
 綾香にとっての砂時計、それは、自分を気付かせるための鏡でもあったのだ……。

                (  完  )

作品名:短編集42(過去作品) 作家名:森本晃次