短編集42(過去作品)
街には、郷土研究をしている学者や大学教授が数人いるが、彼らに会って話を聞いてみたりしたこともあった。
「あなたはお仕事でもないのに、熱心な方ですね。普段仕事での話ばかりなので、こちらもそれなりの受け答えを用意しているが、純粋に興味を持って聞きに来られた方とは肩肘を張ることなくお話できるので、楽しいです。どうぞゆっくりして行ってください」
と、いろいろもてなしてくれる始末である。却って恐縮するが、こんな付き合いも楽しいもので、まるで居酒屋での井戸端会議のような雰囲気で話せるのが嬉しかった。
この街の歴史の古さは知っていたが、実際に研究している人たちに聞くと、知られているよりもさらに昔からこの土地は開かれていたことを聞くことができた。
「これはあまり誰にも話していないんだけどね」
という前置きがあっての話である。それだけに聞いている方も多少なりとも興奮を覚え、時間を忘れて話に聞き入っている。だが、それでも研究はまだまだのようで、事実関係を証明するまでには、もう少し研究が必要なのだそうだ。
古い歴史もそうだが、歴史が進むにつれて、このあたりは落ち武者が流れてくる風潮もあったようだ。その影響からか、あまり知られていない中に、陰惨な歴史も含まれている。例えば、農民によって殺された落ち武者の話、そして、落ち武者が農民を苦しめた話、そんな歴史が繰り返されていたようだ。
中央からかなり離れたところにある村だったので、この村独特の秩序が形成されていた。そこには中央からの支配をいかにして逃れるかという当時の村人の知恵が存在していたようだ。
「そういう事実があるからか、実際に形あるものとして残っているもの以外に、かなり隠された事実があったように思えてならないんだよ」
研究家の人たちは、皆同じ意見である。
歴史を紐解けば、案外どこでも同じようなものかも知れない。要するに興味を持つか持たないかであろう。
ただ、この街の歴史には陰惨なものが含まれているのは、ところどころに残っている石碑が物語っている。ただ石碑には何も書かれておらず、何のために、何を鎮静するためのものなのか、具体的には分からない。それこそ、歴史が古い街らしく、研究すればするほど、奥の深いことが分かってくるようだ。
歴史を研究していると、いろいろな人と知り合いになれるものである。知り合いといっても、プライベートで一緒にいるという人ではなく、研究という一つの目的に向っての話が弾む知り合いという仲である。
そんな中に民話を研究している人がいて、その人とは数少ない呑み仲間でもある。
名前を小沢さんといい、年齢も五十近い人で、普段は大学教授をしている。教授といっても非常勤で、時間は結構空いている。それだけ、研究や研究した資料をまとめる時間もあり、最近ではまとめたものを出版社に持っていって、地元の新聞に掲載したりしてもらっていた。
そんな小沢氏と話していると、自然と自分がこの街から離れられない理由が分かってくるような気がするから不思議だった。歴史のある街がそれだけ好きなのかも知れない。
一度小沢氏の家に遊びに行ったことがあった。
あまり大きな家でもなかったが、家族三人で細々と生活をしていて、歴史の話をしている時とは違い、生活感を感じさせられる。ある意味ホッとしたといっても過言ではないだろう。
奥さんは気丈な人のようで、そのわりには三行半のところがあり、決して目立とうとしない。
――夫を支える妻の鏡――
まさしくそんな感じを思わせる。
娘が一人いるようで、今年都会の短大を卒業して、田舎に戻ってきた。都会を知っている敬介とは話が合い、少し年齢的に離れていると思って遠慮がちだった敬介に対しても気軽に話しかけてくれる。都会と田舎のそれぞれいい部分をうまくミックスしたような女性で、実に聡明な雰囲気のある女性である。
――こんな女性と付き合ってみたいな――
と思うようになったのは、初めて小沢氏の家にお邪魔してから一月ほど経った頃のことであった。
図書館の近くにある喫茶店で、昼休みを過ごすのが恒例である敬介は、その日もコーヒーを片手に、本を読んでいた。いつも郷土研究の本を読んでいるわけではなく、喫茶店にいる時は、主にミステリーを読んでいる。
仕事の時と郷土の歴史に思いを馳せている時、それとは別にゆっくりとしたい時間も持っている。いろいろな時間を持ちたいと思っている敬介は、最近時間の使い方が分かってきたように感じていた。
それだけ充実しているのだろう。あまり人とプライベートで会うこともなくなって、時間を有意義に過ごせるようになったからだと思っている。しかし、反面寂しさのようなものもあり、人恋しいこともあるのだ。
喫茶店で本を読んでいる時間はゆっくりできるのだが、ふと気を抜くと寂しさを感じる時間でもある。本を読んでいて首や目が疲れてくると顔を上げて、気分転換にまわりを見渡す。そんな時にアベックの楽しそうな会話などが聞こえてくると、思わず溜息をつきたくなってくるのは、それだけ寂しさを感じているからだろう。
そんな時だった。
「あら? 田中さんじゃありませんか?」
そこには小沢氏の娘である玲子さんがいた。友達と一緒だったようで、ちょうど喫茶店から出ようとしていたところだった。
「玲子、私は用事があるので、ここで失礼するわね」
と言って、友達は早歩きで出口に向っていった。それを落ち着いて見送っている玲子さんの横顔を見ていると、
「いつものことなんですよ。ここで私と時間を潰して、彼氏に会いに行くんですよ。羨ましいわ」
ニコニコしながら話していた。
「いつもここでコーヒーを飲んでいるんですか?」
「ええ、彼女がこの近くなんですよ。それに喫茶店もそんなに多くないですから。私はここを気に入っているんですよ」
どちらかというと、目立つタイプである玲子さんの存在に気付かなかったというのは、それだけ本に集中していたのか、それとも、女性をあまり気にして見ていなかったのか、どちらなのだろう?
きっと女性をまともに見ていなかったのだろう。いくら集中していたとしても、これだけ魅力的な女性を見逃すとは思えない。やはり、寂しくなる時間だけが、女性を真剣なまなざしで見ることのできる時間だったに違いない。
いつも隆俊に当てられていて、却って意地のようなものを張っていたために、わざと女性を気にしないようにしていたのかも知れない。そうだとすれば、実に小さい人間だったのではないだろうか。恥ずかしい限りである。
彼女は見れば見るほど魅力的である。最初はどこが魅力的か分からなかった。よく見ていなかったのかも知れない。
しかし、目を逸らさずに見ていると、目が潤んできているのに気付いた。唇が光って見える。口紅を塗っているようには見えないし、化粧も薄めで、していないくらいに感じる。
元々化粧が薄めの女性は好きである。下手に濃くしてせっかくの顔が変わってしまうことを望まない。
ショートカットの女性が今まで好きだったが、少し好みが変わってきそうだ。どうしてショートカットの女性が好きかというかというと、
作品名:短編集42(過去作品) 作家名:森本晃次