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繋ぐべきもの

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 散々迷った末に、明彦はテレビのリモコンを手にした。
 生中継を見なくても、どうせニュースなどで映像は流れるのだ、辛くなったらテレビを消せば良いだけのこと……。

 午前八時、号砲と共に選手が一斉に走り出す……辛い気持ちにはならなかった、例年と同じに、これからどんなドラマが待っているのだろうと言うわくわくする気持ち……明彦はテレビに見入った。
 一区ではまだそう大きな差はつかない、有力と目されていたチームが先頭集団を作り、その他は少し遅れて集団を作る、コバルトブルーのユニフォームにオレンジ色の襷、湘南学院もその集団の中で快調にピッチを刻む。
 保土ヶ谷中継所が近くなって優勝候補の二チームが集団から抜け出し、第一集団、第二集団の別はあいまいに、選手は長い帯になって中継所を目指す、湘南学院は第二集団から抜け出して五番目で襷を繋いだ。
(いいぞ、その調子だ)
 そのころにはすっかり熱中し、常に頭から離れなかった車椅子のこともすっかり忘れていた。

 二区は『花の二区』とも呼ばれる、距離が長い上に権太坂という長いだらだらとした坂が続く難しい区間。 五区、六区の山登り、山下りも見せ場だがその区間はエキスパートが投入されることが多く、二区には将来を嘱望される各チームのエースが揃う。
 優勝候補の二チームがデッドヒートを繰り広げ、第二、第三集団が形成され始めると、湘南学院は第二集団につけて前を伺う。
 今年の、というよりも伝統的に湘南学院には突出したランナーはいない、その代わり安定した力を持つ選手を揃えて穴のない布陣を敷くのが持ち味、しかし今年二区を任されたのは進境著しい二年生、戸塚中継所が近づくと第二集団を抜け出して三位に上がって襷を繋いだ。
(どこまで行けるかな……)
 この勢いがどこまで続くのかはわからない、だがトップを争う二チームを除けば力の差はあまりない、三位をキープしたまま往路を終えることも有り得ないことではない、明彦はすっかり興奮しながら画面に見入っていた。
 戸塚から平塚までの三区は海沿いのコース、方向は逆だが明彦が走った八区と同じコースだ、しかも湘南学院はこの近くにあり、沿道で応援してくれる地元の人も多い。
 声援に背を押されて、三区の選手は僅かだが二位との差を詰めて襷を繋いだ。

(行けるかも……)
 明彦の興奮は次第にドキドキ感に変わって行った。
 往路だけでも三位でフィニッシュ出来れば湘南学院にとっては快挙だ、目立つ成績を上げれば高校の有力選手も注目してくれる、湘南学院が単なる常連校から一歩ステップアップするきっかけになるかもしれない。
(頼む、このまま行ってくれ)
 祈るような気持ちだった。

 オレンジ色の襷は三位のまま小田原中継所で往路の最終、五区・山登りの選手に繋がった。
 テレビでは何度も「大健闘」と連呼されている。
 確かに例年十位前後を走ることが多い湘南学院にとっては望外の順位ではある、しかし、二十年近く前とは言ってもそのチームの中で切磋琢磨を続けていた明彦に言わせれば必ずしも意外ではない。
 湘南学院には飛び抜けたホープは入って来ないが、練習量なら他校に決して負けない、だからこそ毎年のように本選に出場する常連校なのだ、今年は二区の二年生が快走して順位を上げたが、彼とて入学した時はまだダイヤの原石、湘南学院の厳しい練習で磨かれてあれだけの輝きを放ったのだ、そしてそのままの順位をキープし続ける力は充分にある。
 その証拠に時折聞こえて来る伴走車からの監督の声はいつもと少しも変わらない、明彦が師事した頃は三十代の若さに似合わないほど冷静な監督だったが、二十年を経て冷静さに磨きがかかっているかのようにすら感じる。 
 監督は『練習どおりの力を出せれば上出来』が口癖、オーバーペースにならないように細心の注意を払って冷静に指示を出す、監督が舞い上がれば選手も舞い上がってしまい、予想外のブレーキを起こしてしまう可能性があるのだ。
 補欠にも選ばれずにサポートに徹した一、二年生の頃の記憶が蘇る。
 監督の哲学は一年生に至るまで徹底されていた『練習で出来ないことがレースで出来るはずがない』、『練習は嘘をつかない、だが気持ちは時に体を省みない』。
 その教え故に湘南学院の選手たちは練習の成果を過不足なく試合で発揮することが出来た。
 それは一般社会人になり、市民ランナーとなった今でも明彦に染み付いている。

 五区、山登りの選手が小田原中継所を飛び出して行った。
 前方では二位だったチームの選手が逆転し、差を広げにかかっている。
 湘南学院の選手も山登りには定評のある選手だ、スタート直後に逆転された選手はその際にややオーバーペースになったのか、十キロ過ぎでややペースを落とした。
 先頭は快調に飛ばしていて捉えることはまず無理だが、二位に上がれるチャンスは見えて来た。
(落ち着け、落ち着くんだぞ)
 明彦の気持ちは箱根の山を選手と共に登っていた。
 頑なにペースを守ることは簡単そうでいて実は難しい、前を走る選手を捉えられると感じれば知らず知らずにペースが上がってしまうものだ、ゴールが迫って来てからならまだしも、区間の半ばでペースを乱すのは危険だ、まして消耗の激しい山登り、選手の耳元で『あせるな、落ち着いて行け』と叫びたいくらいだ。
 
 先頭がゴールしたシーンが映し出されると、カメラは二位争いに切り替わる。
 苦悶の表情を浮かべながら懸命に逃げようとする二位の選手、湘南学院は五十メートルまで差を詰めているがこちらにも余力は残っていない、歯を食いしばるようにして追う。
 残り三百メートル地点の直線に入った時、差は三十メートルほどに詰まっていた。
 二人のランナーは最後の力を振り絞るようにギアを上げようとするが、二位の選手にはその余力はない。
「行け!」
 明彦は思わず声を上げた、ここまで来ればもうペースも作戦もない、気力の勝負だ。
 湘南学院の選手もギアを急には上げられない、それでも気力を振り絞ってペースを僅かに上げた。
 最後の角を曲がる、ゴールまであと三十メートル、ほとんど並ぶようにして二人がゴールラインに倒れこんで行くが、最後に追い込んできた湘南学院が僅かに勝った。
「やった!」
 つい大声が出てしまった。
 二十年前に卒業した母校、監督はともかく現役の選手達と面識はない、それでも我が事のように嬉しかった、気持ちが高揚して止まらなかった、病院中にふれて回りたいくらいだった。

「外山さん、あんまり大きな声は……ね……」
 看護婦さんに窘められたが、その表情は笑っていた……。



 翌朝はスタートが待ちきれないくらいだった。
 テレビ放送はスタートの三十分前から始まり、昨日のハイライト、とりわけ湘南学院の躍進は大きく取り上げられた、もちろん胸ひとつの差となった往路のゴールシーンは何度も繰り返して映し出され、明彦の期待はいやが上にも高まる。

 そして復路のスタート。
 トップが元気良く飛び出して行ってから二分ほど遅れて湘南学院もスタートした。
 二位と三位と言っても差はないに等しい、二人の選手は競い合うように併走して行く。
作品名:繋ぐべきもの 作家名:ST