タイトル未定
果たしてそれは大丈夫なのかと思ったけれど、ご飯食べてけよとしつこく誘ってくる和志に根負けし、俺は朝食をお世話になることにした。
端的に言って、彼女の作った食事は美味しかった。
この日から、俺と彼女たちの距離は急速に縮まっていった。
最後の瞬間が急に訪れるのだとも知らずに、俺たちは仲を深めていった。
彼女が居なくなって最初の夜。俺は夕焼け空を眺めながら涙を流した。昨日と同じ、初めて彼女と会った場所で、境内の階段に腰を下ろして涙を流した。
大切なものは失ってから気づくものだという吐き気のする言葉が間違ってなどいなかったのだと、俺は身をもって感じた。
空に広がり始める暗い青色。藍色。群青色。でも、それはまだ深い色には染まり切らない夏の夜空。それは、多くを隠してしまうものであり、見えるべきものを見えないようにしてしまう卑しいものだ。
もしも昨日、この空に広がる群青色がなかったのだとしたら、俺は彼女にかけるべき言葉を違えずに済んだのだろうか。
そうなのだとしたら、俺はもうお前の姿なんか見たくない。
いなくなれ、群青。
お前さえいなければ、俺は後悔なんかしなかった。
姿を現した一番星に見られないよう、俺は顔を伏せて静かに泣いた。
第3幕:スターティング・オーヴァー
「部活には来てくれないのにあの知らない子とは野球やんのかよ!」
唇を噛みながら、シゲは怒鳴った。俺の胸ぐらをつかむシゲの手は震えていた。
「別にやりたくてやってるわけじゃない」
「じゃあどうしてだよ!野球なんてやりたくないんじゃなかったのかよ!それがどうして!」
シゲの言葉に返すべき答えを俺は見つけることができなかった。だから俺は沈黙を返した。
「っ…!もういいよ」
黙って目を逸らす俺を見てシゲは何かを言いたそうな顔をしたが、言いたかったであろうその言葉をぐっとのみ込んで場から去っていった。やっぱり俺は、その背中を眺めるしかしなかった。
結局、これ以降はシゲと遊ぶことがなくなった。8月になってすぐのことだった。
「めんどくせぇなぁ」
「何がめんどくさいんだよ」
「そうだぞ。誰がめんどくさいんだ」
ぽっと呟いて空を眺める俺の言葉を拾いながら和志と彰人が詰め寄ってきた。
「お前らには関係ねぇよ」
「なんだと!」
和志がツリ目をさらにつり上げた。
「そんなことより、今日もキャッチボールしてくれよ!」
彰人が和志を真似るように目をり上げながら言った。
「少しだけだからな」
「「やったぁ!」」
「もう。毎日毎日りょうくんに迷惑をかけたらダメじゃないですか」
そう言いながら頬を膨らませるけーちゃんからスタンプカードを受け取り、スタンプを押す。
「いや、大丈夫だよ。俺は好きでこいつらとキャッチボールしてるだけだから」
「そんな……」
気を使ったことは言わなくていいと言おうとしたのだろう。だが、彼女は途中でハッとした顔になって言葉を中断した。
「えーっと…。今日もご飯を食べていかれますか?」
俺は返答に困った。なにせ、俺は初めて彼女のご飯を食べた日から、もう1週間も連続で朝食をお世話になっていた。流石にそろそろ罪悪感のようなものが湧いてくる。
どうしようかと俺が悩んでいると、けーちゃんは「もしかして、気を使ってくださってるんですか?」と首を傾げた。
彼女の揺れる髪の毛から自分のものとは違うシャンプーの香りがして、俺は思わず目を逸らしてしまった。そして、俺のそんな動作を目ざとく見ていたようで、
「あ!凌がエロい顔してる!」
と、和志が指をさしてきながら言った。
和志の言葉を聞き、俺とけーちゃんが互いに「「えっ」」と声を漏らしながら互いの顔を見た。日差しのせいなのか彼女はほんのりと顔を赤くしていて、その様子があまりにも艶めかしいものだから俺は思わず顔が熱くなるのを感じた。
夏というものは本当に厄介な季節だなとしみじみ実感した。
結局、三人に朝食を食べていけと言われ、俺はそれに甘えることにした。
「じゃあ作ってきますから待っていてくださいね」
そう言って微笑んだ後に踵を返して家の中に入っていったけーちゃんの背中を見ていると、和志がニヤニヤしながら「何エロい顔してんだよ」と言ってきた。そんな和志に同調するように、彰人が「ねーちゃんはあげねぇからな」と言ってきた。俺は二人の頭にゲンコツを落とした。
その後三人でキャッチボールをしていると学校の制服を着た一輝がやってきた。
「そんなとこで何してんの?」
しいたけ婆ちゃんの家の庭でキャッチボールをする俺を見て、一輝は興味なさそうに聞いた。興味がないなら聞くなよと思うかもしれないが、こいつは昔からこういうやつだった。だから俺は特に気にならない。
「見てわかるだろ。キャッチボールしてんだよ」
「まー見てわかるわな」
鼻で笑いながら一輝は学校指定のカバンからプリントの束を取り出し、それを俺に差し出してきた。
「これは?」
「みればわかるだろ」
してやったぞみたいな顔で一輝が不敵に笑った。
一番上にあるプリントを見ると、‘あの’神社で開催される夏祭りの運営についての案内だった。しらのが巫女舞を踊る祭りだ。
「まさか…」
「お前祭りの運営やれよ。どうせ暇だろ」
珍しくわかりやすく笑顔になった一輝の顔を見て俺は固まった。
「嘘だろ…」
「マジマジ。先生に誰かいい人いないかと言われたから凌がやってくれるはずだと答えといたぜ」
「お前ふざけんなよ……」
いいじゃねぇかよ暇人という嫌味に反論できるほど俺は充実している人間ではなかった。渋々「わかったよ」というと、一輝は「俺も雪乃もいるから心配すんな」と言った。そういう問題ではないだろと思った。
「つーかさ」
何か聞きたいことがあったようで、思い出したように一輝が口を開いた。けれど、言葉の出だしを口にしただけでそこから一輝は黙り込んでしまった。
「どうしたんだよ」
心配になって聞いてみても、一輝は「あぁ。いや」と上辺だけの返答をしてきてそこから先を語ろうとしない。しばらくそんなやりとりが続いた後、「やっぱりいいや」と、もう帰るからと一輝は言った。
ちょうどその頃合いでけーちゃんが俺たちを呼び、俺は一輝にまたなと言って家の中に入っていった。最後に一輝が「へぇ。なるほどね」なんて言っていたけれど、その言葉がどういう意味合いだったのかなんてもう誰も知る術がない。
「そういえばさ、今週の土曜日って三人とも用事あるか?」
「土曜日ですか?私たちは特に何もないですが、何かあるんですか?」
まだしいたけ婆ちゃんは起きていなくて、老人を無理矢理起こすのはかわいそうだからと四人でご飯を食べている時、俺はふと昨日思いついたことを提案することにした。
「あぁ。今週の土曜に川祭りっていう大きな夏祭りがあるんだよ。ちょっとだけ離れた場所だからバス乗って行かないとダメなんだけど、よかったら俺たち四人で行けないかと思ってさ」
「え!祭り?!祭りがあんの?!」
「凌!りんご飴ある?!」
「祭りがあるから言ってんだよ。りんご飴もあるぞ。なんだ、彰人はりんご飴が好きなのか」
「りんご飴うまいからな!」