タイトル未定
俺は二人にかけられた言葉を反復して見せた。それに深い意味はなかったけれど、明らかな嫌悪の色を顔に浮かべてこちらを指差す小学生男子にちょっとばかり腹がたったからかけられた言葉をそのまま返してやろうと思った。
「あってなんだよ!」
「そうだぞ!あってなんだよ!何があっなんだよ!」
二人が立て続けに強い口調で怒鳴ってきた。声変わり前だからか、それは怒鳴っていると言う印象よりもただ大きな声で話していると言う印象の方が強い。よく見ると、二人の容姿には若干の違いがあった。先に声を放った男の子の方が、背が低く若干つり目でキツイ印象を受ける。もう一方は目元は普通だったけれど、眉毛が薄くて目の下に薄くクマがあった。
「お前達こそあってなんだよ。俺は珍しい動物か何かかよ」
「うるさい!なんでお前こんなところいるんだよ!」
「そうだぞ!まさか、後を追ってきたのか?ダメだぞ!お前なんかには姉ちゃんを渡さない」
なおも俺に対して嫌悪の態度を示す二人の言葉で確かになったことがあった。まず、この子達とあの女の子は姉弟《きょうだい》の関係であるということ。この子達があの女の子のことを、姉のことをかなり慕っているということ。そして、この子達は俺がお向かいさんであることを知らないということだった。
思わずため息が出てしまった。
なんというか、小学生の考える力がまだ未成熟なのはわかっているけれど、それにしても程度というものがあるだろうと思った。
「後を追ってきたとか、俺はストーカーかよ」
「だからそう言ってるんだろ!」
「アホみたいなこと言ってんじゃねぇよ。俺は家に帰ってきただけだ」
そう言いながら、俺は背後の家を親指で指差す。
「「え」」
漏れた驚愕の声には濁点がつくのではないかというほど濁った声で、俺はその様子がおかしくて笑いそうになった。
「な、なんでこんなところに住んでるんだよ!」
つり目の方が苦し紛れに言ってくるけれどそんなものは俺が選べたことではない。
「そんなこと俺が知るはずないだろ」
「くっそぅ。じゃあ引っ越せよ!」
ビシッと俺を指差しながら、眉が薄い方が言い放った。
その時だった。
「こら!そんな事と言ったらダメですよ」
少し濁ったような高い声が聞こえてきた。
「「でも!」」
二人が振り返って庭の一角にある小屋を見た。
あの場所は、しいたけ婆ちゃんがキノコを作っている場所で、それを販売している直売所でもある。
俺も二人に習ってそっちに視線を送った。
「でもじゃありません!」
そう言いながら出てきたのはあの少女で、彼女はこちらを見て小さく頭を下げた。
思わず俺も小さく頭を下げてしまった。
「これから少しの間とはいえ、お向かいさんになるんですからそんな失礼な態度をとるのはダメです。二人ともいい子だからわかるよね?」
言い聞かせるようにそう言うと、男の子二人は納得していないというような様子ではあったものの、「はい」と一応の返事をした。なんというか、実に姉らしい姉なのだなと思った。
「あの…二人が失礼しました」
「いや、大丈夫だ……大丈夫ですよ」
相手が敬語だったから自分もそうするべきなのだろうと思い、俺は慌てて語調を訂正した。すると、そんな俺の様子を見て、少女は「ふふふ」と、手の甲で口元を隠して可笑しそうに小さく笑った。
「大丈夫ですよ。敬語じゃなくても。きっと同じような歳でしょう?」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「ふふ。ありがとうございます」
嬉しそうに笑う少女を見て、俺は思わず目を逸らしてしまった。
「君も敬語じゃなくていいよ」
「いえ。私はこの話し方が通常ですので」
そうなんだと俺は言葉を返したけれど、心の奥底では壁のようなものを感じてしまった。
「朝はいつも早いんですか?」
「いや、今日はラジオ体操の当番があったから早く起きただけ」
「じゃあ偶然という事だったのですね」
だからそう言っているだろうと言いたかったけれど、彼女に対してそういったキツい当たりをしてしまう事に後ろめたさを感じてしまって、俺は言葉をぐっとのみ込んだ。
「君はいつも早起きなの?」
そう聞くと、少しだけほおを赤らめて彼女は目を伏せた。
「いえ…その。朝は苦手なんです」
恥ずかしさを殺して上目遣いでこちらを見てくる少女を俺はやっぱり直視できなかった。
「姉ちゃん寝起きはすごいんだぜ」
つり目の方の少年が言った。
「お前は一生見れないけどな」
眉が薄い方の少年が言った。
「和志《かずし》!彰人《あきと》!」
ほおを膨らませながら少し怒った様子で少女は二人の名前を呼んだ。二人は逃げるように家の中に入っていった。
「あはは」
なんて苦笑いをしながら俺はその様子を見ていた。本当に仲のいい姉弟《きょうだい》なんだなと思った。
それから少しの間。俺は彼女と世間話をした。本当に他愛のないただの世間話だった。
歯が浮くような会話をした。思ってもいない事を言ってしまった。
本心ではなく、彼女との時間を繋ぐために俺は言葉を紡いだ。
けれど、そんな時間が驚くほど心地よかった。
どれくらいそんな経ったのかはわからない。でも、あまり長い時間ではなかったのは確かだ。
そして、心地のいい俺と彼女の時間はすぐに終わりを迎えた。
「けーちゃん。ご飯できたよー」
しいたけ婆ちゃんの声が聞こえた。
「姉ちゃん早く!早く来ないと彰人が姉ちゃんの分の目玉焼き食べちゃうよー」
そう言いながら、つり目の方の少年が玄関の網戸を開けて顔をのぞかせた。
なるほど。彼が和志なのか。
少女は和志の方を振り向き、「すぐ行きます」と言って今一度こちらをみた。
「私、もう行きますね」
「ああ」
「またお話ししましょうね」
両の手のひらを軽く合わせ、少女は言った。
「ああ。またな」
俺はそう返しながら小さく手を振った。少女は俺のそんな様子を見て少し驚いた顔をした後、昨日のような大人びた様子で微笑むと、俺の真似をして小さく手を振り返してくれた。
「ではまた」
ついさっきのラジオ体操の時と同じ言葉を置き去りに、彼女は今度こそ踵を返して家の中に入っていった。
空は青く澄み渡っていて、飛行機雲が二本、水を差すように伸びていた。
「凌くん。今日こそは部活に来るでしょ」
以前よりも来てくれという懇願の色を強くして後輩のシゲが言ったのは三日後の事だった。
この日も俺はラジオ体操当番で会館に来ていて、並ぶ人々のスタンプカードにスタンプを押していた。
「いや、今日も行かない」
「なんで」
「面倒だから」
「そんな−「他の人も並んでるから横にズレろよ」」
納得していないといった様子のシゲの言葉に言葉をかぶせる。
別にこいつを面倒だと思ったわけではなく、単純に作業の邪魔だったから退《ど》いて欲しかっただけだった。
「…わかったけど」
渋々といった様子でシゲは列からズレる。
スタンプ待ちの列は再び動き出した。
「でも、一回ぐらい来てくれてもいいじゃん。他の人たちはみんな来てるよ」
次から次へと差し出されるスタンプカードに黙々とスタンプを押す俺に、シゲは尚も説得のようなものを続けてくる。