タイトル未定
来た道は鳥居のある大きな参道ではなく、参道に続く横道の部分だった。それを今度は神社の境内正面入り口の鳥居に向かって歩く。
相変わらず人気《ひとけ》というものがなかった。
互いに無言で歩いて鳥居をくぐった時、俺は気付いた。呼吸音が自分のものしか聞こえないと。思い返せば途中からしらのの足音が聞こえ無くなっていた。サンダルを履いていたのだから靴紐を結ぶとかそう言ったことをしているわけではないよなと思いながら後ろを振り向くと、そこにしらのの姿はなかった。
ここで俺は気がついた。
また、同じ夢を見ていた。
目がさめると、自分の綺麗ではない形の手のひらが目の前にあった。右の掌だった。
なんでこんな体勢なのだと寝起きの頭で考えると、自分が考え事をするためにそうしたのだと思い出した。どうやらそのまま二度寝をしてしまっていたようで、俺はまた、よく見る幾つかの夢の中の一つを見ていた。
俺はよく同じ夢を見る。それはきっと後悔しているから。それはきっと忘れられないから。
それはきっと、未だ、何かが変わるのを期待しているから。
よく見る夢の一つは初めてアイツに会った日の夢。
もう一つはアイツに最後に会った日の夢。
他にも二つほどよく見る夢があるが、俺はいつもそのあたりの夢を繰り返し見る。何度となく、結末を変えられるわけでもない過去のことを見せられる。
正直なところ、苦痛でしかなかった。けれど、俺にとっては過去の綺麗な記憶《おもいで》に浸っていられる貴重な時間だった。
今年もまた夏が来てしまった。アイツに初めて会い、アイツとの別れがあった忌々しくも美しい季節が来てしまった。
俺は今も未だ、暑かったあの夏の日々に囚われている。アイツと過ごした一夏の記憶を忘れられずにいて、今も変わらずそれに縋っている。
今も未だ、俺はアイツを好きでいる。
こんなことを君に話したら、今更好きだと伝えたら、君は僕を笑うだろうか。
窓の外から蝉の騒々しい鳴き声が聞こえて来る。俺はエアコンの設定温度を下げ、汗ばむ部屋着を取り替えて、汗でベタベタと粘る髪の毛に不快感を抱きつつも、テレビをつけて全てをかき消した。自分の心に巣食う雑音をかき消した。
きっと、明日はもっと暑い1日になる。
第2幕:いなくなれ、群青
一目惚れとは言ったものの、俺が自分の抱く感情の正体にはっきりと気がついたのは、タイムリミットがやってきて、アイツが俺の前からいなくなった後だった。
失ってから気づくとはよく言ったものだと思った。
そんな吐き気がするほどの綺麗事、俺には一生理解できないと思っていた。けれど、俺も類に漏れず、大切な人を失ってから気がついた。
「なんか、雰囲気変わったよな」
夏休み明け、一輝に言われた言葉だった。
しらのが部活動に顔を出しに行くからと、俺と一輝の二人で帰路についている時、あいつはバス停でバスの時間を確認しながら、俺の方なんか見ることをせずに、まるで興味がないかのような口調で唐突に言った。
「どうした?急にそんなこと言って。気持ち悪いぞ」
俺が笑いながら言うと、一輝は俺から目を逸らしながら、今度は興味がないとかそういうのではなく、確実に俺から視線を逃しながら口を開いた。なにか、疚《やま》しいことがあるのだろうと思った。
「おまえ、もうすぐ死ぬ人間の顔してるぞ」
その言葉を俺は受け止めることができなかった。
「ばかいうなよ」
そうやって誤魔化して、会話を無理に終わらせることしかできなかった。
一輝の兄は自殺している。だから、一輝は人の死というものに他人よりも敏感だった。こいつと話をしている限りでわかったことだが、こいつは兄に異常なほど懐いていて、今でも、死ぬ前に急な変化があったことをはっきりと覚えているらしかった。
そして、こいつは…一輝は、俺にもその変化があったのだと言った。
…。
………。
…………………。
図星だった。
アイツが俺の前から居なくなって、俺は生きていると言う実感がどんどん薄れていった。それはきっと、アイツがもう俺にとってかけがえのない何かに成っていて、俺と言う一人の人間を構成する重要なピースに成っていて、それを失ったことで、俺の心が欠けてしまったということだったのだろう。
だから、どうしても生きていける気がしなかった。この先、俺が彼女のいない世界で無事に暮らしていける自身がなかった。
だったら、もうここで俺はリタイアをしてもいいのではないかと思っていた。
だからこそ、一輝の言葉に俺は肝を冷やした。図星だった。俺の内情にズカズカと入り込まないでくれと思った。
でも、一輝の言葉を俺は間違った意味合いで捉えていたようで、本当に変わってしまったのは一輝の方だった。結局の話、この世界に別れを告げて死んでしまったのは一輝の方だった。
警察は事故死か自殺だと言っていた。
「もうすぐ死ぬ人間の顔をしているぞ」と一輝言われた1週間後、一輝は学校に来なくなった。担任の先生は体調不良が理由だと聞かされていた。けれど、そんなことはなかった。
一輝が学校を休んでから四日目の早朝のこと、一輝の家の近くにある大きなダムの貯水湖《ちょすいこ》で、その真ん中に一つだけポツリと佇んでいる人工島に一人の人間の死体が流れ着いていた。死後二日経過していると言われたその死体は、よく見慣れた人物のものだった。
しらのの恋人で俺の親友。一輝の死体だった。
一輝はご丁寧に遺書を書き残していて、内容から見ても、自殺であることは明白であった。それでも警察が事故死の可能性を考えていたのは、一輝の部屋が自殺に使う道具で溢れていてどれが本命なのか全くもってわからなかったこと、それだけの道具がある以上、入水自殺を選んだ根拠が見つからなければ自殺として扱うことができないと話し合いの結果で導き出されたことが原因だった。
葬式の際、すすり泣くしらのの肩を俺は抱き寄せた。アイツの肩を抱きよせることはできなかったのに、随分と薄情なやつだなと俺は自分で自分を卑下した。
あの日からもう三年近く経っていて、俺は、始まってしまった夏という季節に言葉へと昇華できない感情を抱きながら、一輝の墓参りに言った。
一輝の墓は我が家の近くのバス停からバスに乗り、一輝の家へと向かう途中の山の中腹部分に、開けた土地をうまく活用して造られた集合墓地の一角にあった。
最下段の右端。入り口から見れば同じ段の反対側だった。
まだお盆前と言うだけあってなのか、それぞれの墓に供えられた花々は取り替えられることなく枯れてしまっている。俺の他には誰一人として人がおらず、墓地には静寂を上書きするように?時雨が響いていた。
「なぁ一輝。俺、もう疲れたよ」
『長谷家』と書かれた小柄な墓の前でしゃがみ込み、俺は乾いた喉で言葉を紡ぐ。
「どうしてお前は死んだんだよ。しらのを残してさ。お前はお前を愛してくれる人間がいたのに、その相手の想いを踏みにじってまで、どうして自殺なんかしたんだ」