タイトル未定
しいたけ婆ちゃんが連れていた五人の方を見る。親と思われる二人が微笑みながら会釈をしてくれて、俺は反射的に会釈を返す。
二人の男の子はそっぽを向いてこちらを見ようとしない。そして、俺と同い年くらいに見える女の子は両親さながらに微笑みながら、俺に小さく頭を下げた。その仕草が歳の割にはいやに妖艶で、俺は思わず生唾を飲み込んでしまった。
次いで、こちらをしっかりと見つめてきた彼女の瞳を見て俺は息を飲んだ。
これが一目惚れって奴なんだろうと思った。
別にしらのへの感情が嘘だったわけではない。けれど、夢に何度か出てきて、もしかしたら自分はこの子が好きなんじゃないかと思ったしらのの場合とは違い、この少女は一目見ただけでしらのの時以上の感覚を覚えた。これが本当の恋なのではないかと思った。
俺は今までしらのに恋をしていたわけではないのだとも思った。
正真正銘、俺の初恋が生まれた瞬間だった。
「まぁ、時間があったらこの子たちと遊んでやってな」
しいたけ婆ちゃんは前歯のない口でくぐもった声でそう言い、楽しそうに笑った。
「あ、はい。時間があれば」
そんなことを俺は返したけど、単に照れ隠しだった。時間ならいくらでもある。けれど、それを正直に言ってこの女の子と積極的に遊ぶのはそれもなんだかむず痒いと思えてしまって、俺は必要ないのに照れ隠しをした。
じゃあそろそろ行こうかというしいたけ婆ちゃんの言葉に一行は再び砂利道を歩き始めた。
去り際に二人の男の子が俺のことを凄い目で睨んできていたけれど、その意味を俺は知らない。
それから少しの間、木陰にある境内の階段に座って涼んでいた。自分に湧き上がってきた胸を締め付けるような感覚と意味の分からない動悸、頭の奥がふわふわして何もまともい考えられない感覚。どれもこれも、今まで味わったことのない不思議なものだった。
そうやってよく分からない感覚に浸り、ぼうっと木々の隙間から見える空を眺めていると、「あっ」という声が階段の下から聞こえてきた。保育園の頃から何度となく聞いた女の子にしてはちょっと低めの聞き慣れた声だった。
俺は顔を下ろし、階段の下にいる彼女に向かって声をかけた。
「今日は巫女舞も部活も休みなの?しらの」
「部活は今日バレー部が体育館を使う番だから休みだし、巫女舞は講師の人が熱中症で倒れちゃったから休みだよ」
そう言いながらしらのは階段を登ってきて、当然のように俺の横に腰を下ろした。彼女はスポーティなハーフパンツにTシャツ一枚という少しばかり目のやり場に困るような格好をしていた。
「こんなとこで何してるの?」
「暇つぶし」
「受験勉強しなくていいの?」
「大丈夫。俺天才だから」
自分よりも頭がいいしらのの前でこんなことを言うのはちょっとだけ恥ずかしかった。
「しらのこそこんな所で何してるの?」
「暇だったから散歩。ここに来れば凌《りょう》に会えると思って」
そんなことを言ってしらのはエヘヘと笑う。しらのの家はここから結構離れていて、歩いて30分以上かかる場所にある。とても散歩半分で来れるような場所ではないと思った。
「で、凌はこんなとこでぼーっとして、何を考えて暇つぶししてたの?」
本当に疑問だとでも言うようにしらのは聞いてきた。だから俺はしらのに聞いてみることにした。俺がついさっき抱えた感情の正体が俺の認識の通りのものなのか確かめることにした。
「なぁ、しらの。人を好きになるってどういう感覚なの?」
それを聞いたしらのは一瞬だけキョトンとした後、「何それ」と声をあげて笑った。
「まさか凌の口からそんな言葉を聞くことになるなんて思わなかったなぁ」
瞳に浮かんだ涙を拭いながら、心底おかしいとでも言うようにしらのは笑い続ける。
「そんなに笑わなくても」
「ごめんごめん。それで、なんだっけ?」
「人のことを好きっていう感覚はどんな感じ?」
「それは友人として?異性として?」
「…異性として」
「うーん。考えてみれば結構難しいかも」
腕組みをしながらしらのは考える素振りを見せる。彼女ならば考えなくてもわかるだろうに、わざわざ焦らすように考えて見せた。
しらのには恋人がいる。相手は小学校四年の時に学校の合併の都合で転入してきた男で、俺の親友だ。そいつの名前は長谷《はせ》一輝《かずき》という。運動神経が抜群で、頭もそこそこ良くて、何よりも顔が整っていて俗に言うイケメンだ。
しらのと一輝が付き合っているのだと聞かされたのはちょうど一年ほど前。それでも、俺はしらのと距離を置こうとはしなかった。一輝とも距離感を変えようとは思わなかった。
俺がそんな昔のどうでもいいことを考えていると、しらのは話す言葉をまとめ終えたのか、「よしっ」と小さな声で言った。
「あのね。人を好きになるっていうのはね、なんていうのか、苦しい感覚が一番強いの。その人のことを考えると胸の奥が締め付けられて、その人とずっと一緒にいたいと思えて、その人のことばかりを考えてしまって、でも、そんなのは自分だけが抱いている感情で、相手はきっと同じようには思っていなくて、それだけで苦しい。息苦しくなる。でも、その時間一つ一つがとても素敵に感じて、寝ている時みたいに頭の奥がふわふわとした感じになるの」
と、真剣に語るしらのの言葉を聞いて、俺はなるほどと思った。彼女の言った言葉に俺がさっき見た少女に抱いた感覚が所々で一致する。きっと、俺はあの少女に恋をしているのだと思った。
けれど、やっぱり自分の感情に確信は持てなかった。まだ自分の感情が本物なのだと証明するだけの材料が集まっていなくて、本当に恋をしているのだと言えるほど、俺はあの少女のことを何も知らなかった。
「どう?わかった?人を好きになる感覚的なの」
しらのは自慢げに胸を張りながら聞いてきた。目のやり場に困り、俺は立ち上がった。そのままの伸びをして空を眺めると、木々の隙間から見える青空には雲なんて無粋な存在は浮かんでいなかった。
「んー。わからん!」
笑いながら俺が言うと、しらのはせっかく頑張って答えたのにと頬を膨らませた。その様子はとても可愛らしいものだったけれど、少したりとも俺の劣情を煽るようなものではなかった。
「さぁ。帰ろう」
「えー。私今来たとこなのに」
「じゃあしらのはもう少しここにいればいいよ。俺はもう帰るから」
俺が笑いながら言うと、しらのは不服そうに頬を膨らませながら「それは違うんだよなぁ」と言った。
「ほら、行くぞ。家まで送るから」
家の方向は全然違うけれど、俺はなんだか気分が良かったのでそんなことを言ってみた。
しらのは目をパチクリさせてこちらを見た後、機嫌を直したように笑顔になり、俺と同じように立ち上がって伸びをした。やっぱり目のやり場に困って、俺は彼女から目をそらした。
舗装された歩きづらい砂利道を歩く。ガチャガチャと言う砂利同士が擦れ合う音が?時雨と混ざって耳に届く。しらのと無言で歩いたのだが、その無言の時間は別段苦痛ではなかった。
自分の息づかいとしらのの息づかいが混じり合って聞こえる。交互に互いの息づかいが聞こえてきて、次第にどっちがどっちの呼吸音なのかわからなくなってきた。