タイトル未定
「そうなるな…。で、帰る日程が決まったのはついさっきだ」
「そうなんだな……」
こいつらが変に優しかった事と話がズレると思ったが、そこは特に気にしない事にした。
手に持っていたパピコを片方だけ和志に渡し、二人でそれを食べながら空を見た。
コーヒー味がものすごく甘くて、喉に引っかかるような思い感覚に不快感を覚えながらパピコを選んだのは失敗だったかもしれないと思った。
パピコを食べ終えて家に戻ろうとした時、和志は最後に「ありがとう」と言った。パピコの話なのだろうかと思って気にするなと言うと、和志はそうじゃ無いんだと首を振った。
「あんなに幸せそうな姉ちゃん、俺は初めて見たよ。きっと凌のおかげだよ」
「お礼を言うのは俺の方だ。けーちゃんや彰人、それからお前のおかげで俺は今までで一番充実した夏を過ごせたよ。ありがとう」
「また遊びに来るからさ。キャッチボールしてくれよな」
それぐらいなら何時でもやってやるから好きな時に遊びに来いと言い、俺は今度こそ家の中に戻った。
この日、俺は不思議なくらいぐっすりと眠る事ができた。
人間が眠る事ができない時は、大体の場合でその日に満足できていないからと言う話を聞いた事がある。それを踏まえるならば、俺はこの1日にとても満足していたのだろう。悔いというものが残らないほど満足のいく1日を過ごしたのだろう。
そして朝になり、七時に目が覚めた時にはすでに和志はこの街から居なくなっていた。
その一年後に和志はしいたけ婆ちゃんの家に引っ越してくる事になった。何かのたとえとかではなく、本当に、和志は向かいの家に越してきた。
俺はその事実を素直に喜ぶ事ができなかった。なにせ、引っ越してきたのは和志だけだった。
久しぶりに会った和志は随分とやつれていて、会ったばかりの頃のような明るさは微塵も残っていなかった。それを和志に伝えると、それはこっちのセリフだと笑われた。
この時、俺は初めて和志の家庭の事情を知る事になった。
そもそも、和志と彰人、それからけーちゃんが両親に連れられてこの町に来たのは、両親の離婚の話が原因だった。離婚の原因はこいつらの母親が鬱病になった事、その事で色々と耐えられなくなった父親が浮気をした事だそうだ。
以前、けーちゃんから家族五人で花火を見に行った時の話を聞いた。その時がいわゆるピークと言うやつだったそうだ。
時間が過ぎるごとに両親の仲は悪くなって行き、離婚の話が浮かび上がったところで、しいたけ婆ちゃんに相談するためこの町に来たそうだ。
けーちゃんや和志、それから彰人は両親の用事が終わるまでこの町にいると言っていたが、最初から離婚が成立するまでこの町で厄介な子供達を預かってもらうという意味合いだったらしい。
そうしてあの夏祭りの日。俺とけーちゃんが並んで花火を見たあの日。昼頃には離婚が決まり、役所に書類を届けに行っていたらしい。
家に帰った両親はその日の晩のうちに帰宅すると言い、それまでに姉弟《きょうだい》三人に選択をするよう言った。その選択は、どちらについていくかと言うものだった。
結果として、けーちゃんと彰人は父親を放っておく事は出来ないからと父親の方について行き、和志は一人でまともに暮らす事ができない母についていった。
これも後々聞かされた事だが、和志と星を見ながら話した時、すでに彰人とけーちゃんは父について町から出て行っていた。そして、朝方に和志が出ていったそうだ。
何もかも、俺の知らない事だった。
俺は何も知らなかった。
こうやって和志から俺の知らない情報を次々と渡され、俺はようやく知る事ができた。けーちゃんの涙の意味も、彼女が選んで放った言葉の数々の意味も、何もかもを想像する事ができた。
彼女はきっと、助けを求めていた。怖がっていた。
日常が崩れ去り、これまで積み上げられてきたものが消え去る事に恐怖を覚え、助けて欲しいのだと悲鳴をあげていた。けれど、俺はそんな事に気づけるほど大人ではなかった−
「で、何?いまも後悔してるって?お前本当にクサイ事ばっかり言うよな」
気持ち悪いぞとガハガハ笑いながら、和志は手にしていたグラスの中身を一気に飲み干した。
和志が深く吐いた息はアルコール臭がキツかった。
「クサイ事ばっかり言ってるわけじゃあ無いだろ。でさ、お前本当にけーちゃんの連絡先知らないの?」
「しらねぇよ。そんな事よりも呑めって。呑んで忘れろ」
それ以上つまらない話はするなと、和志は瓶の中の琥珀色の甘い液体を俺のグラスに注いだ。その勢いで和志は自分のグラスにもなみなみに注ぎ、中身を再び一気に飲み干した。
もう、俺は19になる。彼女がいなくなって4度目の夏が来る。
俺は大学一年生になった。訳あって行きたくも無い高校に通った後、その高校の先生からの勧めで行きたくも無い大学に通う事になり、俺はいまそこに通って経営学を学んでいる。
対する和志は高校二年生になった。これも後になって知った事なのだが、和志と俺は年齢が2つしか違わなかったのだ。てっきり5つ程度は違うものだと思い込んでいたからかなり驚いた。
ともあれ、俺たちは再会し、こうして社会不適合者として本来は味わう事のできない罪の味を嗜んでいる。和志の真似をして琥珀色の液体を一気に喉に流し込むと、香木のような香りが鼻に抜けた後、焼けるような感覚が喉を襲った。端的に言って不味かった。
そうやって美味しいなんて微塵も感じない液体の数々を嫌々ながらもヤケクソ気味で次々に喉へ流し込んでいると、昔好きだったアニメの曲が流れ始めた。俺の携帯の着信音だった。
今のご時世で無料通話アプリを使わずに電話をかけてくる人間なんて一人しか俺は知らない。
俺は画面の白藤雪乃と言う名前の下に表示された通話開始ボタンを渋々だけど押し、「もしもし」と通話相手へ言葉を催促した。
「あ!もしもし?今日ってさ、アパートか実家のどっちに居るの?」
「…実家だよ」
「あーそうなんだ。そっかー」
自分から聞いておいてその反応はなんだと思い、俺は少しだけムッとした。
「で、なんの用だった?」
「いや、ちょっとアパートの近くで遊んでたから今日泊めてもらおうと思って」
「あー。じゃあごめんな。俺いま和志と遊んでるんだよ」
「あ……そっか。じゃあ仕方ないよね」
全てを悟ったかのように言葉を残し、しらのは通話を切った。自分からかけてきておいてロマンティックのかけらもなく通話を切られるとは思ってなかったから、俺はしばらく画面に表示された通話終了の文字を眺めていた。
そんな俺の様子を見て、和志が諦めたようにため息をついた。
「いいのかよ。彼女なんだからもっと大切にしてやれよ」
「ああ。うん」
俺はそんな生返事しか返せなかった。
思い返せば昔からそうだ。昔から俺は都合の悪い事については生返事を返す事しかできない。そんな自分が嫌で何度か変わろうと試みた事はあったが、結局は今も変われずにいる。
本当、どこまでも子供のままだ。
「それよりもさ」
次々と美味しくもない液体を喉に流し込みながら、言うべき事があるとでも主張するように、和志が口を開いた。