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ネヴァーランド

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離散しているが同型とみなされるモノが複数すでに存在する場合が、散らばったヒマワリの種をベータが眼前に見ている今の状況に当てはまる。状況全体を無視する場合は、何も生じない。そうでない場合、ベータが、いくら熱心に探しても、ついにあの一粒は見つからず、任意の一粒を摘み上げざるをえなくなるのは時間の問題だろう。その行為は、同型複数という状況に条件づけられ方向づけられ動機づけられている。恣意ではなく、強いられているのだ。一に対応する数詞の発生は、同型を同一視してそのしるしを脳のどこかに刻むことを前提にしており、いきさつがハイパーなので時期的に遅かっただろうが、強い必然性を持っていたはずだ。個々のしるしの特異性を免れている分だけ一般性がある。強烈な同型性を前にしてついに差異を見出せなかったという挫折の後に、同型と見なされるものを要素とする集合にしるしが与えられ、次にその集合内の差異のない要素に番号が振られたはずだ。同一視し、その集合で割った後の世界は、もとの世界とは異なる。この操作が数え切れないほど繰り返された後の仮想世界に我々は生きている。
語一般の起源はどうだったのだろう。やはり、発生の時点では、発生を強いられた可能性はなかったか? たくさんのしるしが生まれ、社会が生成するに従って、しるしの倉庫は込み合ってきて、相対的に独立していたしるしたちは相転移を起こして、強い絆で結ばれるようになり、互いに自分以外に従属し、関係圧が意味を生み、言葉となる。もはやしるしは言葉としてしか生じえなくなる。我々は言葉に堪能になり、そのぶん同一視化は狙い澄ましたものになる。実は、この、強いられ、こそが恣意だった、としたら、ものも言いようというしかないが、生きのびるべしという至上命令が恣意として現れると考えれば、真実のにおいがしないでもない。いやむしろ、生きのびんがために“自然”を歪めて生きる我々の矛盾がよく見えてくる。ベータは、まだその矛盾にさほど汚染されてはいない。しるしの倉庫は、ヘレンというレファレンス装置としてとして外部に控えており、生きのびるべしという至上命令もヘレンという保護者によって担保されているので、比較的にだが恣意からは免れているからだ。
言葉と言語体系の関係を、個と社会、商品と市場、生物種と生命全体の関係に投射することはある程度まで可能だろう。自然科学もまた、多数の同型の存在とその繰り返しを成立の条件にしている。一般言語との違いは、言葉の一意性が保障されている点だ。一意性、一、いち……
「いちといっぱい。今日はここまで」
未だにヒマワリの種の上を這い回っているベータに呼びかけた。僕には計り知れない何かを目印にして、探し続けているのだろう。分節化されていてなおかつ差異のないものがあるのを理解するにはある程度成長が進んでいる必要がある。目の前に同時に散らばる同型だけではなく、時系列に沿って現われた同型を記憶の中で併置する場合のほうが多いだろうから。現時点でのベータは、固有名詞に相当するナイーヴ極まりない道具で世界を切り取っているのだ。ベータは呼びかけに気づかない。徒労に終わるしかない熱中に憑かれている。いくら探しても「一」自体はどこにもないのだ。徒労であることはこちらもわかっているが、意味ある経験になると思い、放っておいた。ついには、散らばっているそれらを同一視せざるを得なくなり、ヒマワリの種に相当する何ごとかを発見するはずだった。それもまたどこにもないのだが。かわいそうなことをしたと反省する。もっと早く止めさせればよかった。大声で繰り返した。今日はここまで! 夢から醒めたベータは僕の正面にやってきて、両手をついたまま、次を促すように僕の唇をじっと見詰めている。
おや、もっと聞きたいのか? 難題を出して欲しいのか? 今日はここまでなんだから、もうお勉強はしなくていい。夜寝られなくなるぞ。
しかし、余計なことを付け加えてしまう。
君にもドギーの様な友達が出来るだろう。いち、ではなく、いっぱい、できるだろうよ。そのころには言葉の学習も進んでいるはずだ。それらの友達に言葉を贈りなさい。友達を作ることと言葉を贈ることが結果として重なるといいね。
これからどうやってベータを教えていくか、何の見通しも持っていないのに、大それたことを言ってしまった。
言っていい資格があるとでも自分に言い聞かせるかのように、手を伸ばした。ベータの上唇の下に人差し指、下唇の上に親指をつけて、開けたり閉じたりしながら、パパ、とささやいた。四回、五回と繰り返した。六回目に、ベータは僕とハモッてパパと言った。ベータの声は僕のより大きく、パパは明瞭に、パッ、パッ、と分節化されていた。
ヘレンに聞きとがめられた。
「ちょっと、もしもし、あなた、何をしているの。私が黙っているからといって調子に乗らないで。いかがわしい行為は許さないからね」
ヘレンは怒鳴った。上半身を左右に揺すって抗議した。鼻を振るっているかのようにも見えた。いかがわしい行為か。そうだ、そのとおり、調子に乗っていかがわしい行為をした。僕を駆り立てたものは何だったのか。こんなことを繰り返さないために、早目にその正体を明らかにしておく必要があるだろう。
僕に対する関心というより、僕を媒介にした過去の自分に対する関心を、かすかだが少なくともさっきからヘレンが抱いているようではあった。市民が、通常は、持つはずのない関心だ。だからこそおずおずと後ろめたそうに、様々な目つきを駆使して、こちらを探っていた。この細い関心の糸を慎重に手繰り寄せていかねばならないのに、ヘレンの立腹で、それが切れたようだ。またもや僕は失敗したらしい。

101)

「まったく、油断も隙もありゃしない」
出た常套句は、やや作為的で、不似合いに下品だ。口調がうわずってもいる。ヘレンは、腹を立てているだけではなく、えらく緊張しているようだ。
近づいてくる。足の裏が、踵を支点にして、よく磨かれた岩床をはたき、湿った足音を立てる。斜め後ろで立ち止まった、と思う。
まーま、まーまと繰返し呼ぶ声が、右下から、ついで横から、そして右上から聞こえる。抱き上げられたのだ。僕はヘレンと言い争いになるのを避けるため、顔をそちらに向けない。床に散らばったヒマワリの種を、その新たな意味を見出そうとするかのように、実は、本気でそうしているのだが、見つめていた。
「いかがなさいました、おひー様」と寝室との境目あたりからメノトの声がした。これはあからさまにわざとらしい。さっきから覗き見していたのに。
おひー様で思い出した。体育館での演説の後、招かれた宴会の席で、ひーちゃんという呼びかけを何度か聞いた。隣の部屋で、甕からボトルに酒を注いだり、配給食を盆に盛ったりしていた、背中の膨れ上がった中年女が、そう言っていた。あれがメノトだったのか? 声が似ていなくもない。
「いいの、わたくしごとよ。モーには、」
「それはもう」
まーま、まーま。
「も少し、タダヨシは、いるらしいわ」
「そうは思いませんが」
「訊いてみる?」
「いやでございます」
まーま、まー……
「じゃ、わたしが」
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦