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ネヴァーランド

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赤ん坊の重さに我慢できなくなったからか、そういう見方でこちらを見るのに気が引けたからか、僕が誘ったとおりに、眼を下に向け、モーゼの席に腰を下ろそうとした。慣れていないふうではない。モーゼがいない時には、よくそこに坐るのだろう。いる時も坐るかもしれない。
体を下降させる途中のごくわずかな時間、ヘレンの頭が下がり始めてからすぐ後の瞬間、むかし頭のあった位置を通り過ぎた。つまり、少し屈んだ高さが、かつての身長を示していた。ヘレンも身長が伸びていた。
僕もヘレンのあとを追うように身を屈め、かつての位置からのパースペクティヴを一瞬思い出し、向かい合って坐ると、胡坐をかいた。坐ったとたんにベータが覚醒し、母親のため息を真似するように、長々、ふぉーーーっ、と、あくびをふぉーした。
横転してうつ伏せになると、這って母親の膝を転げ落ちるように離れ、僕を三白眼で見上げながら大げさに遠回りし、眼を前方に戻したとたん、何かを見つけて停止した。摘み上げると、すばやく口に入れた。はじける音が聞こえたので、すでにいくらか歯が生えていることがわかる。種子か赤ダニの死骸か何かを噛んだのだろう。口元にまだ右手を近づけたまま、両足は爪先立ちをして、股の間からヘレンを窺った。男子であるのがはっきりした。右の足首がねじれて転がった。僕も右足には自信がないが。ベータは泣かない。体勢を立て直す。反対側の壁際まで、這って走って、止まると足を投げ出して坐った。手を伸ばして、壁に挿してあるくたびれかけたヒマワリを抜き取り、食べ始めた。両脚を交互に送って尻を中心にして半回転すると、ヒマワリを持った手と持たない手とを同調させて上下に激しく振った。途中で握っていた手を開いたので、ヒマワリが宙を飛んで後ろの壁に当たって落ちた。口を開け、三白眼で、しばらく宙を探していた。口のまわりによだれまみれのヒマワリの種が張り付いている。
ヘレンは、ベータから眼を離さないが、何も言いかけない。メノトも居間から上半身をのぞかせて、ベータをしばらく観察していたが、引っ込んだ。僕は、ある関心に駆られているので、後ろ向きを維持してベータをみつめている。
ベータはヒマワリが飛んで行って帰らないことを確かめたらしく、やおら腰を突き立てて四つん這いになると、素晴らしいスピードでこちらに向かって走ってきた。僕の左肘をかすめ、ヘレンの伸ばした右手を頭で下から払い上げ、壁に衝突し、おそらくはスミレの花を潰した。やはり泣かない。スミレの花もまた食べ始めた。ふり向いたつもりの回転角度で首を回し、大きな声でやーだといった。口のまわりは真っ青で、種と花弁がまぶされている。それから、壁に両手を着いてつかまり立ちをした。粘菌を舐めているようだ。踵を浮かせて小刻みにジャンプしながら、うっうっうっうっ。ヘレンが、手を、トーントトンと打つ。奥からメノトが乾燥した川藻とカットした竹の皮を持ってベータの傍らにしゃがみ込むのと、赤ん坊のくせに大それた雲古を脚の間に垂らしたのとが同時だった。
「提案の理由や動機から言うよ」
ヘレンはふり向いて僕を見る。
「いえ、簡潔に、提案の要領だけを言ってくださいね」
「なぜ、簡潔でなくてはならないのかな? こういう話題にとっては大きな制約になる」
「長くなると、ベータがむずがるだろうから。下界からやって来た魔法使いが母親をさらおうとしていると思うでしょうよ。ベータは、聞くのは割りとできるようなので、私はおとぎばなしを話して聞かせるの。それにはいつもヒトサライが出てくるわ」
「わかった。ベータと君とをむずがらせないように努力するよ」
メノトが竹の皮にくるんだものを携え、ヘレンの背中側を過ぎて、玄関を出て行った。
僕はむずがらせないようにしながら説得するにはどうしたらよいかと思案しつつ語り始めた。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦