ネヴァーランド
父によると、学習は自由をもたらす、という意味だそうだ。
昔、ある施設では、Lernの代わりに、Arbeitを使っていたらしい。労働という意味だ。
労働は自由をもたらす。
さて僕は、自分の障害も忘れて、演説を試みた。
壇上には僕がいつも使っているのと同型のパソコンと、いやに大きなマイクが置いてある。
はじめまして。タダヨシと申します。
第一声が館内に鳴り渡り、彼らはびっくりして僕を振り仰いだ。
わずかの沈黙の後、再び騒音が戻ってきた。
僕を見ている者はほとんどいなくなり、たくさんのおしゃべりの輪ができる。
頭が揺れる。うろつきまわる者もいる。体育館の端から端まで、混雑の隙間を走りぬけるものさえいる。
僕は怯まずに、マイクに向かって、つっかえ、またつっかえ、しかし懸命にしゃべった。
私は皆さんから隔離されて暮してきましたが、今日面会を許されて喜んでいます。
皆さんが何を考え何を望んでいるか、私のそれとつき合わせてみたいです。
友達として交流を深めたいのです。知識と経験を共有していきましょう。
誰も聞いていない。時々野次は飛ぶけれど。
私は皆さんへの貢献もいささかながら可能だと自負しています。
実は私は、皆さんのうちの誰も知らない経験を持っています。まずはこれを一緒に検討しようではありませんか。
背後の額の下に、大きなスクリーンが今日のために設置してある。
僕はパソコンを操作して、例のゲームを立ち上げ、吾郎の姿を映し出した。
あっちこっちから悲鳴が上がった。
ティラノザウルス。
ほとんどの者が叫んだ。
ヘビ。
これはもうパニックとなった。台風の回転方向に、ほぼ全員が駆け出した。逆方向に駆ける少数の者もいて、蹴飛ばされ踏みつけられた。混乱は、いや増し、足音は轟音となり、館内は阿鼻叫喚の巷と化した。
僕は画面を切った。呆然と目の下の騒擾を見呆ける。
なぜだろう。彼らは、見たことがあるのだろうか。怯える理由は、なんだろう。接触があったということか? やつらに追い掛け回されて、逃げ帰ってきたのか? 僕だけの経験ではなかったのか?
やがて、彼らは落ち着きを取り戻した。何事もなかったようにおしゃべりにもどった。態度の急変は彼らの特徴だ。似たような特徴を持った者がいたような気がする……
次々に疑問がわいてきて、集中できない。しどろもどろになりかける。いかん、と自らを叱咤し、必死で演説を続けた。
演説が終わるとすぐ、彼らは腹いせのように歓声を上げて駆け回った。さぞや演説が苦痛だったのだろう。シャッターが上がると、大半がアパートに帰ってしまった。
僕は、奮闘努力のかいもなく、一敗地にまみれた。情けない。ふがいない。
彼らの注意を引きつけることがついにできなかった。言葉がほとんど通じなかった。僕の障害が重症であることを思い知った。
そもそも内容が魅力的ではなかったのだろう。わがまま勝手な行動だったのだろう。演説という形式にも問題があったのだろう。
暗澹たる気分で演台を降りた僕を、ひと群れの仲間達がとり囲んだ。自分達の住処に僕を連れて行こうとしている。宴会に招待するつもりらしい。
かすかな期待。一縷の希望。一敗地にまみれた、は早計だったかもしれない。
アパートの中は、とにかく乱雑だった。かたづける、捨てる、という観念がないのだ。臭くてたまらない。風通しがよいのでかろうじて我慢ができる。パソコンもマシンもなかった。食って寝るだけの生活なのだ。
親切ではある。ここでも言葉はほとんど通じなかったが、食べ物を次々に持ってきてくれた。粗末な食べ物だが、量だけはあった。大きなボールに入った甘酸っぱいパンチを回し飲みした。
彼らは、互いにおしゃべりしながら、好奇の眼でじろじろ僕を見、周囲をうろついた。時々鼻をくっつけあうようにして、ひそひそ話をした。失礼だとは微塵も思っていない。
体を触りたがった。匂いを嗅ぐ者もいた。
芸達者がいて、とんぼがえりを続けてやってみせた。歌を歌ってくれる者もいた。異郷のフォークソングだ。
年寄りが、へたり込んで、何かぼやいているが、一言も分からない。赤ん坊がピーピー泣きながら床を這っていても誰も面倒を見ない。
僕は、愛想よく振舞った。友情を求める気持ちにうそ偽りはない。体育館で語ったことを、単純な呼びかけに替えて、何度も繰り返した。
勇気を出して彼らの体を触ってみた。体をぶつけてもみた。ふざけてキスした。こんなことを彼らはとても喜んだ。
満腹になり、眠くなった僕は、できる限りのことはした、これで終わりにしようと思い、彼らにさようならと呼びかけて、おいとました。
体育館から渡り廊下に抜けるシャッターをくぐった時に気がついた。
誰かが後ろからついて来る。
16)
僕は立ち止まった。テキも立ち止まった。
ゆっくりと振り向いた。
女の子だ。どんぐりまなこで僕を見ている。
アパートにいた子だ。ほとんどの者が、僕の周りに集まってきたのに、そうはせずに隅のほうでうろうろしていた子だ。
振り返るのは一度だけにして、いつもより時間をかけて歩き、部屋に入った。
その女の子も、小刻みに少しずつ入ってきた。
五六刻み分進んで立ち止まり、首も体も回しながらあたりを見回した。視野の隅に見慣れないものを見つけるたびに、おののく。
ため息をつき続けている。
震えながら、一足ずつ確かめ確かめ、移動を始めた。
壁、マシン、机、椅子、ベッドをいちいち触っていく。眼をいっぱいに見開き、鼻孔をひろげて鼻をひくつかせる。
ひとわたり点検した後、周囲への関心は急に失せて、部屋の中央にいる僕を、黒目でいっぱいのかわいらしい眼で見つめた。
僕がその眼に見とれていると、ふいに視線と肩を斜め下に落とし、一拍おいてから、ゆっくり上体を戻しながら、上目遣いに再び僕を窺った。
小声で何かつぶやいた。それを繰り返した。
聞き取るために近づく。
好きよ、と言っているようだ。
こんな単純な言葉なのに、なまりまくっている。しかし、僕は、少しうれしい。
おこなってよ、とも言っているようだ。
おこなうとは、何をおこなうことだろうか。
訊いてみた。何をするの?
おこなってよ。おこなってよ。
僕は思案する。そしてあることに思い当たる。
そうか。
眠気など吹っ飛んでしまった。
彼女に跳びかかり、若干の抵抗をはねのけて、床に仰向けにした。
おこなう前に、まずよく見よ。
毛をわけて観察する。だが目指す対象の周辺近くは無毛だ。
ペニスの付け根にあたる位置には、割れ目の奥にしぼんだ穴しかないけれど、肛門の前に、僕にはない特別のふやけた穴があり、麝香の香りを発していた。
その間彼女は、身を左右にくねらせながら、開いた両脚を持ち上げて、空中をこいでいた。
僕のペニスはカキンコキンに腫れあがっておっ立ち、心臓の動悸にあわせて下腹を連打している。
成り成りて成り余れる所を成り成りて成り合わざる所に今すぐ刺し塞ぎたくなった。
成り成りて……という表現は、体内受精を学習したときに、父から教わった。
女の子がうつぶせになって腕を前方いっぱいに伸ばし、胸を床にくっつけ、尻を高々と突き出した。ソプラノで長くうめいた。