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ネヴァーランド

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自らの選択に自信を持ちかけた、その鼻づらを、打ちのめされた。
痛恨のあの手紙。
償いようがない。責任のとりようがない。
償い、責任。実は言葉でだけしか知らない。
このようなときにふさわしい言葉であるとしか弁えていない。
僕のうちに沸きあがってくるこの圧倒的な悲しみ。ああ、しかし、悲しみと言ってしまったら、それも言葉だ。
沸きあがってくる自責の念、これも言葉だ。
親友の死にたいして、言葉で応えるのは失礼だろう、まやかしだろう、うわべだろう。
僕は、自分でも聞いたことがないような音声で、繰り返し、高々と、悲鳴をあげた。


14)


僕は、その後何日かを、ある時は悲しみに打ちひしがれ、またある時は復讐の念にいきりたって過ごした。
時が経つにつれて、悲しみは薄れて思い出だけが残った。ドギーがいなくても時間は容赦なく過ぎ、僕は彼が不在の生活に従わざるを得ない。
ところが、復讐の念は、より強固に、より深いものになっていった。反射的な激怒は揺るがない信念に変わっていった。
だが、復讐すべき敵の姿が見えない。三本脚のティラノザウルスというだけでは正体がはっきりしない。正体が分かれば、どうやってやっつけるか、たくらむことができる。攻撃計画を練ることができる。
そこで、父に尋ねた。
「お父さん、ボーハンカメラとは何?」
「監視装置だよ」
ぼくはわくわくする。
「それにドギーの記録が残ってないの?」
父は答えない。
「お願い。見せて」
しばらく間があった。
「今は見せない。将来、見せることがあるだろうね」
「どうして今見せてくれないの?」
「それはね、お前がはやまるからだよ。ドギーの二の舞になる。そういうのを返り討ちって言うんだよ」
父は僕の復讐心をとっくに見抜いていた。
父は以後、ドギーのことも、三本脚のことも、口にしなくなった。
さらにぼくはあることをひとりで考える。父に問うべきことではないと思ったからだ。
それは、責任ということだ。
語義は父から教えられている。問題は行為としての責任だ。
僕が手紙で冒険談を披瀝しなければドギーは死なずに済んだ。いかに困難でも冒険体験を隠し通すべきだったのだ。
ドギーの死のきっかけを作った僕は、どうしたらよいのか。取り返しのつかないことにどう責任を取るのか。
取り返しのつかないことには、失ったものと等価のものを犠牲にし、取り返しのつかないことを繰り返すことで、勘弁してもらうのだろうか。眼には眼を、歯には歯を、という論理を受け入れて、ドギーの死には僕の死を、だろうか?
同じ一個の生命であるし、特に僕らは似たもの同士だったが、それぞれの遠近法を持った別個の存在でもあった。等価と思えなくもないが、やはり思えない。
当惑の果てに僕は気がつく。
等価と判断するのは、僕以外の者にしかできないことだ。
たとえば、aというモノを持つAという者と、bというモノを持つBという者が、持ち物を交換するとする。Aはaよりbのほうが価値があると思っているので、交換できて得をしたと思い、Bはbよりaのほうが価値があると思っているので、交換できてしめしめと思うだろう。等価と思っていたなら交換は起こらない。交換が起きたので等価だと判断するのは観察している第三者だ。
もしこの交換の連鎖が一本線なら、その端と端とは、誰も交換する気が起きない大きな隔たりを持つかもしれない。だが、一つの交換を多数の者が観察し、一人の観察者が多数の交換を観察し、一方、観察者は当事者にもなって、交換行為を絶えず繰り返すことで、連鎖が分岐し、大小の循環を作り、全体として動きを止めない定常状態に達した時、個々の循環のリンク達は等価と見てよいだろう。
超越的な存在が判断しているのではない。同類たちの絶え間ない同様な行為がある判断基準をもたらすのだ。
問題は等価かどうかの判断だけにはとどまらないだろう。
ところが、ドギーと僕は、離れていても狭い密室に暮らしていたのと同じだっだ。ドギーと僕との関係だけが存在し、その他の者との関係はなかった。だから、たくさんの他の者が共有する判断基準を僕は知らない。
僕は、他の者を持たないまま、当事者であり続けてきたことをやっと今気づいた。
もちろん父は最初からいる。しかし、父は、特殊きわまる存在であって、僕と同列の多数の他の者にははいらない。
彼らに教えを請うつもりは現時点ではない。父がいるのだから。
彼らの判断基準は絶えず変動しているだろうし、まちがう可能性もあるだろう。だから父はそれについては故意に教えてこなかったと思う。しかし、正しいか正しくないかとは別の、尊重すべき参照項目であるだろう。
とても興味深い。誘惑をおさえかねる。
僕は、あのアパート群に住む同種族達を思う。彼らとの交流を始める時が来たのではないか。
父にチャンスを作ってもらおうと決心した。
急に心の緊張が解け、たちまち眠りに落ちかける。
ドギーとの思い出が駆け巡る。
そして、かすかに頭をかすめたことがある。
父もまた責任を感じているのではないか。ドギーの死についても、僕との今までの生活一切についても。

15)


「おはよう、タダヨシ、目が覚めたかい?」
僕はずっと前に目が覚めていた。マイルス・デイヴィスのキリマンジャロの娘が聴こえ始めたのはついさっきだ。
今や夜と昼が逆転してしまった。
夜が来ると、身体頭脳は活気づき、明るくなると猛烈な睡魔に襲われる。
だが、頻繁に昼寝の時間をとるようにして、毎日のノルマは果たす。
青い天井に向かって用意していた言葉を投げ挙げる。
「お父さん、僕の仲間達に会わせて」
「失望するだけだ」
「それならそれで諦めがつくよ。一度やってみさせておくれよ。友達を作りたいんだ。そのうちこの部屋にも招待したい。あんな高層アパートに詰め込まれいるんだから、この広いワンルームを気に入ると思うよ。なぜ彼らは集団生活をしているの?」
「彼らはタダヨシのようには孤独に耐えられないのだよ」
「単に慣れの問題じゃないの?」
「違う。彼らは、孤立させるとノイローゼになり、痩せおとろえ、最後には死んでしまう」
「外見上は僕と違いがあるとは思えないけど。とにかく会わせて欲しいな」
「ダメだと言ったら?」
僕は一息つくと、思い切って言う。
「僕、自分で自分を殺すよ。外で本物の死を見たんだ。死は頻繁に発生しているんだね。とても簡単だね。それに、ドギーに死んで詫びたいと思う時もあるし」
「ほほう、私を脅迫するつもりか」
「反抗期に入ったんだよ」
父の悲しそうな笑い声が聞こえた。

翌日、体育の授業はとりやめとなった。
同世代の仲間達が体育館いっぱいにひしめいていた。
僕が体育館の入り口をくぐる時、彼らは一斉にこちらを見た。
おしゃべりを止め、警戒の目を向け、身構えた。一瞬後に、緊張は解けた。騒音が再び館内に満ちた。
彼らは落ち着きがなく、下品で、ふざけるのが好きで、体臭が強く、おしゃべりだ。
ひどく訛る。近くの者に寄って、聞き耳を立てても、なんと言っているのかわからない。
僕は失望したが、予定通りに行動した。演台に駆け上がった。
僕の背後の壁に、巨大な額がかけてある。
Lern macht Frei と書いてある。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦