ネヴァーランド
異常な生まれであるせいで遺棄された小さい者たちが僕を暗澹たる気分に引き込む。
異常や畸形を忌むのは、市民の純粋性志向と関連する。
市民は、奴隷はもちろん、ブラザーとも白っ子とも交雑しない。近親婚が進むと、遺伝子疾患が発現した子供が増える。閉鎖性を打破しない限り種としての衰退は避けられない。
純粋は、全会一致の原則とも関連する。
集団の判断には個別の例外がない。集団の運命についての原理的合意があるらしい。多数派と少数派が根回しと手打ちで下準備を済ませて意思決定の際には全会一致で決着をつけ同意した決定に従う、という在りようではない。
市民は本態的に一致している。ここ帝国では、問答無用、心情レベルでメンバーが同質化している。近代以降では不可能な原理主義的民主主義が実現している。
一般に、いさかいはあっても議論というものがない。 合意は神秘のテレパシーで達成されるかのようだ。これが共同体であるとして、強力であるとも儚いともとれる。
異常児をちまきにして木にくくりつけることも全会一致で決まっていることの一つなのだろう。皆が同意した習俗なのだろう。
ちまきにされた赤ん坊は死んだままで生まれたとは限らない。死産の方がむしろ少ないのではないか。
大人たちの都合で赤ん坊は殺された。泣き声が急にくぐもったことだろう。大した時間もかからずに絶えただろう。絶えさせたのは、あの濡れたスポンジに違いない。鼻と口をあれでふさぐ。
なすに任せない個々の状況では赤ん坊は言葉を持たないので泣くしかない。悲しくて泣くのではなく、要求し、怒っているのだ。
赤ん坊の本来の習性は、泣くことではなく笑うことだ。
未知への呼びかけや働きかけの一つ一つは、赤ん坊にとっては解放であり、未知からのそれらは快楽である。解放と快楽は赤ん坊をしょっちゅうくすぐり、笑いを誘う。
赤ん坊は意識も経験も持たない不完全な生き物などではない。出生段階ですら赤ん坊はすでに明瞭な意識を持ち、様々な経験を経てきている。それには証拠がある。
たまたま僕は母親の胎内にいたときのことをかすかに覚えている。
光が入らないはずだからあたりは真っ暗だろうと普通は思うだろうが、違う。
赤い。瞼を閉じていても透けて見える世界全体は、大火事のように赤いのだ。
体がだるく、眠くて眠くてたまらなかった。
複数の種類の話し声がよく聞こえた。なぜかは今でも不明だが、一般の雑音とは明らかに異なるのがわかった。
呼びかけもあった。特に、自分の声を聞く場合と同じく、内と外から同時に同じ声が聞こえる時があった。女の声だ。母だったはずだ。
それに答えるすべが無く、もどかしさに身をよじった。
歌が続いた。子守唄だったのだろう。
こんなことを覚えているのは、出産の直後に極めて大きなショックを受けたので、その前後の記憶が残ってしまったからだ。
空中に舞っているような感じでこの世界に飛び出した直後、僕は至近距離から何本もフラッシュを焚かれたのだ。
シャッター音から推してカメラで撮られたらしい。
頭の中が、ホントウニ、真っ白になった。
呼吸はまだ機能していなかったが、よくぞ心臓が止らなかったと思う。
若い女の声が、外からだけ聞こえた。母だ。
動いた? 動かない?
胎内にいた時や出生の瞬間を覚えていると父に伝えたことがあった。父は初めて知ったと言っていたので、父から聞いた話を自分の体験であるかのように錯覚していたのではないことがわかった。
ありうる、と父は答えた。父にもそれらしい記憶があるそうだ。
フラッシュの件はとぼけられた。
真っ赤な世界が真っ白な世界に変わったことに僕が仰天したのと同時期に、今周囲に散在する、残骸と化した赤ん坊達は、水を含んだスポンジで殺された。
周囲の物音の間隙から、死んだ赤ん坊たちの沈黙の泣き声が聞こえてきそうな気がする。
僕は愚かにも両手で耳をふさごうとしかけた。
降りかかった理不尽に怒り狂う泣き声は、頭の中で止まりそうにない。
90)
早くこの場を立ち去ろうして手を岩から離し、腰を浮かしたところで、押し戻されるように後ろにひっくり返った。その拍子にこの場所に来たもう一つの目的を思い出した。トンと忘れていたその目的を思い出させようとして何かが僕を押したのかもしれなかった。
ヒトミ、真似しなくていいんだよ、と叫んだが遅かった。
僕達は水中で抱き合い、ちょっとの間もがいてから立ち上がった。
ヒトミは濡れた額に皺を寄せている。このことの意味を探り始めたようだ。僕は、すまなかった、バランスを崩しただけだ、と言って、目を剥いて見せ、もう一つの目的の意味を再確認するほうへ心を向けた。
木の洞に隠した水晶のかけらをとりに行くことの意味だ。
火をまた使おうと考えているのだ。いつだったのかは知らないが僕の内部のどこかで火がついた。どんな類の火であるのか。
施設ニッポンで火を実際に見たことはない。化学の課程で学習はした。実用面では、水素はともかく、炭素化合物を燃焼させることは、エネルギー供給法としては過去のものだと教わった。仲間達が学習したかどうかはわからない。ただ、僕は、ここ帝国では火が有用であると思う。
市民と奴隷の間に、感染症が蔓延している。施設で無菌状態にあった疑いのある市民は、抵抗力が著しく低いので、病原菌の培養基となっている可能性がある。
僕は、外の世界からほうほうの体で逃げ帰ってきて眠りこけている間に、注射と点滴を打たれ続け、手術さえされていたようだから心配は比較的少ないと思う。仲間達には問題がある。
僕が帰ってきた後、河への出口の鉄柵は塞がれたはずだ。暗渠への入り口もふさがれただろう。
にもかかわらず、仲間達は、たちまち姿を消した。僕は呆然として空っぽの高層住宅群を見上げ、ふらふらとそれらの狭間の道路をさ迷い、ヘレンとその家族達が暮らしていた部屋を訪れたものだった。
彼らは、予防注射など待っていられず、見たばかりの新世界に幻惑され鼓舞されて、集団戦術で、封鎖を物理的に強行突破したのだ。団地を取り囲む塀を破り、暗渠への遮蔽を破り、河へ出る柵を破った。
彼らが体当たりし、引っ掻き、噛みつく音が聞こえるようだ。コンクリートが腐食して剥き出しになった鉄筋を折り取って引っ掴み、掛け声勇ましく突進する姿が見えるようだ。
彼らが気長に態度で示せば、父は外で暮らすのを許したはずだ。
何せ僕が命がけで頼んだのだから。
だが彼らは待たなかった。許しが出るとは思えなかったのかもしれない。
エクソダスへの願望が、いかに深刻で強烈であったかがわかる。外の世界を一瞥したことが、 既に臨界点間際までつのっていた願望を、一挙に解放したのだろう。
彼らの性急さを責めるのは公平さを欠くと思う。
その教育システムに素直に身を任せていれば、飢えることは決してなく、清潔で安全で安楽な生活が保障されている施設ニッポン。それを捨てたのには、それなりの理由があったはずだ。この理由を明らかにすることによって、彼らの、ひいては僕の本質が露わになるだろう……
ともあれ、強行は強行だった。そのつけが今回ってきた。



