ネヴァーランド
僕は悪夢を生きているようで、発狂しそうになるのを押しとどめるのにしょっちゅう苦労するよ。しかし、この山と森と湖を見ていると強烈な親近感とでもいったものが湧いてくる。勿論、そこで殺し合いや、食い合いが起きているのは知っているよ。実地体験したんだ。忘れるものか。それでも、この風景を、殺戮も腐敗も含めて、全体として肯定するんだよ。風景が僕を肯定することなど期待していないし、そんなことはあるわけはないけれど、この親近感は友情に似ている。では、平気で殺戮し腐敗にまみれている我が同胞、帝国市民に対してはどういう心情を抱いているのか? 自分でもわからん。どういう心情を抱くべきなのか? わからんね。宵闇が迫りくるにつれて悩みは果てなく深まっていくぞ。
ヒトミは黙ったままだ。僕は後ろからその両肩に手を置いて、反応を探ろうとした。息をしていないかのように体は不動の姿勢を保ち続けていた。深い瞑想に耽っている。僕は余計なことをしていたようなので、あわてて手を引っ込めた。
前進した分だけ三十度増えて、左右百八十度に広がる眼下のジャングルは静かに低く唸っていた。追い、追われ、争い、跳び下り、羽ばたき、じゃれあい、交尾する音。葉と枝が擦れあい、芽が弾け、実が落ち、幹が朽ちる音。生き物達を支える大地さえも唸っているかもしれない。すべての音どもが融合して世界の通奏低音をなすかのようだ。聴きほれる。ジャングルの吐く生暖かい息には、蜜と樹皮と皮脂と腐敗の濃厚な臭いがこもっている。それをくり返し胸いっぱいに吸う、過呼吸に陥りそうなほど。
長い時間をかけて辿ってきた、川と川原、沼、滝といった思い出の地が、風景の左端、蛇の篭と針葉樹林の向こうに隠れ潜んでいる。
視点を移すに従い、ジャングルと湖と山脈はゆっくり左へと回転し、右手の落葉樹林の奥に僕は施設アメリカを幻視する。
さらに風景は左へ回転し、洞窟の玄関口が下端の中央に黒々と開いた山の斜面が、視野全体を占めた。太陽は僕たちが載っている山の反対斜面を照らしながら沈んでいきつつあるはずだ。顎を上げると、斜面は下に落ち、落日を浴びた入道雲が、もう立ち上がってはいられず、中天で融けて八方に広がっていた。体を回しながら顎を引き、再び顔を湖に向けた。
湖はフライパンの底のように平らに静まっていたが、その表面では大きな変化が進行中だった。背後で左右に延びているぎざぎざ尾根の黒い陰が、既に僕らとジャングルを覆い、刻々湖を侵しつつ向こう岸へにじり寄っているところだった。夜の最前線が、左端から右端まで湖面を水平に切り、,前進しながらその手前を青黒く染めていくのだ。
湖を渡りきった陰は、彼岸の山脈に順に当たる。山脈は五重か六重の衝立となって聳えている。衝立ごとに色は少しずつ彩度を変え、濃から淡へと青灰色のグラデイションをなし、重なりを残しつつもズレながら遠のいていく。最奥では、所々輪郭線が途切れて、山の端と山際が混じりあい、同一の青灰色が共有されている。陰は、ついにそこに至った。横長の確率波が山腹に当たって、中心付近に縮退し、実体化し、塊りとなって反射したかのように、あるいは、正規軍がさかのぼってきたのをやり過ごし、洞窟に隠れていたゲリラ隊が出現したかのように、突如、黒雲が湧いて出た。たちまち手前の山々を飲み込みながら陰の通い路を遡行し、湖の上に張り出し、こちらに近づいてきた。湖面がちりめん模様になり、空を映さなくなった。
仰角三十度の空中と水平面をつないで、黒雲の中に稲妻が走った。三カウント後に、神経症的な雷の音が、ら変型の活用変化さながら、カラキリキリクルケレケレ、轟いた。続けざまに幾筋も現れては消え、空がひび割れていく。瞑想に耽っていたヒトミは、雷鳴を聞くなり、跳び上がって僕に駆け寄る。僕の胴体に両手を絡め、震えながらなにやらわめき、すくめた両肩の間に陥没させた頭を、僕の腹に耳までめり込まそうとする。僕は後ろに回って二つのスプーンが重なるようにヒトミの背中を胸の下にくっつけて胴を抱え込んだ。そして、両手を甲の側からつかんで、耳に押し当ててやった。音に慣れるまでこうしていな。
雲の正体はスコールだ。黒い毛糸が糸車に紡ぎ取られていくように、雨雲と雨そのものが宙で回転しながらむくむく膨れ上がり、周りを急速に冷やしながら湖を越えてやってきた。ジャングルに強風が巻き起こった。木々は怯え、頭を前後左右に揺らしながら咆哮した。
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スコールは轟音を上げて地面を叩く。僕らはあっという間にずぶぬれになった。雨粒がやたらと大きいので、ばちにでも当たったように痛い。何をしたからばちが当たったのかとしばし戸惑う。ヒトミは震えている。怯えている。異様に怯えている。
雨粒にまさか放射性物質でも混じっているというのかい?
実際そうかもしれないね、ヒトミ。どこかで、地獄の釜のふたが開いてしまったのかもしれない。そもそも、この帝国が、すでに地獄だろう? いや、待て。天国と地獄といった二分法にどれほどの有効性があるかな?
彼らには宗教心というほどのものは見られないから、楽園と地獄か。モーゼもここを楽園と称していることだし。
ああ、ヒトミ。怖いんだね、寒いんだね。僕もだ。岩屋に帰ろう。僕はあまり速くは走れなくなったから、こんな調子でも、我慢してくれ。
ヒトミの左側の腋の下を抱えて引きつけると、右肩を僕の横腹に押しつけ、水煙の向こうに開いている洞窟の入り口に向った。だが、語りかけることはやめない……
我々は、ものごとを二つに分けて考える者とそうでない者との二つに分かれる、と僕は思うよ。僕は二つには分けない方に属する。あれ、矛盾が起きちゃったか? まあ、しばし許せ。
二分という、大鉈振るった結果の、原始的な、ちがい、が、対立を誘発し対立が闘争を誘発し闘争が歴史をつくる。この流れに抗することができる者は少ないと思う。
しかし、ちがい、はすべて程度の差であって、連続的に推移しているだけかというと、そうとも思わないな。連続は離散の近似だよ。比喩として使うのには便利だがね。離散が連続の近似であるという常識は甚だ疑わしい……
広場の表土はたちまちぬかるみと化した。びっこの僕が走るのはむずかしい。実際はむしろヒトミに助けられながらこけつまろびつ進んでいる。スコールで叩き出されて、腐植土の甘酸っぱい臭いが立ち昇る。臭いが目にも沁みて大きく開けていられない……
薄目を開けて見ている限りでは、世界は連続的に変化しているように見える。あれもこれもよく目を見開いて見られるほど、我々の脳の容量は大きくないから、自己防衛のための薄目さ。だが、重大であるとしかどうしても思えない対象を、已むを得ず、よく目を見開いてしかも連続性を前提にして追及すると、現象の像は発散してしまう。前提が間違っていたのだ。
現象世界を成り立たせているのは、対立でも連続でもない。非連続的な変異なのだ。真理は中間にあるという好例だ……
正面の崖に刻まれた無数の細い傷に沿って、雨水が流れ落ちていた。ぺんぺん草もママ草も、その土台である土塵の溜まりとともに、ずり落ちてくる。ヒトミ、泣くなよ、と言ってみたが手遅れだった。あばら骨がすでにひくついていた……