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ネヴァーランド

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これらの大事、退廃のあられもない現出の向こうに論理的一貫性が見える。退廃の各要素が互いに支えあって例外を許さない。
この強固な一貫性がある以上、存在することを邪魔立てするものはないと彼らは心得ているようだ。ところが僕も、無矛盾なものは存在を許されると思う癖がついている。退廃のこんなザマは、真実の風貌を帯びているからこそ、僕の生理的拒否を拒否する強さを備えている。
むらむら、おぞましい。
机上の空論ではなく、この世のどこかに必ず実在すると思っていたものを、ここでこんな形で見つけたようだからだ。
強いアルコール度の、例えば、おまけに末尾に!のついた悪酒、dangerous99proof!、が及ぼすような胸焼けがする。えーっと、いつどこで飲んだのだっけ?
悪夢と思いたいけれども否定できないのがこの現実だ。僕はここで既に長く暮らしてきた。どこに他の現実があるだろうか。Oh, my, gosh! dangerous99proof!
さらに僕には弱みがある。仮に否定できたとしたら、その結果、僕の今までの理念、習慣、癖も否定される羽目になるだろうし、人格の否定にさえつながりかねないだろう。それが嫌だということ。いずれは克服しなければならないものの、自分なりの首尾一貫性を否定するのが嫌なのだ。否定の後の空白に対する恐怖が、それに対する期待を今のところ凌駕しているせいでもある。
僕は怯える。どうにも避けようがないようだ。
この瞬間でさえはらはらしているのに、あの記憶は、今後、白日夢として、悪夢として、僕が見る壁、天井、通りなどの前面に、おぞましい反吐のように、悪魔のような津波のように、繰り返し躍り出てこないことがあろうか? いや、ない!
ああ、僕の意識はまだはっきりとは覚醒していない。この段階での自己を信用できないので、できる僕が明瞭に浮かび上がるまで、もう少し時間をかけて待つことにしよう。
感覚もやはり覚醒していない。尻の動脈に血流が走るとき、右の尻と左の尻とで拍動が少しずれる。それを揺れと感じとってしまう。体を内側からあちこち探っていくと、脈を打っているのか揺れなのか判断がつかなくなり、眩暈がしそうだ。
再びヒトミが僕の体に腕を回して揺すり始めた。心配なのはよくわかるが、混乱はいや増す。
タダヨシ、タダヨシ、目が裂けたかい?
脳が裂けてしまったかも。
タダヨシ、おはよう、目が裂けたかい?
おはよう? 覚醒?
おはよう、おはよう、タダヨシ、目が裂けたかい?
おお、目が覚めているという確証を持てません、お父様。
覚醒とは、いったい、どんな状態のことですか?
あっはっは、ヒトミ、実は君はパパなの?
……まったく、情けない。体は元の場所に腰を落ち着けているようだが、頭がまだ戻っていないのだ。

85)

目の前の、酸っぱい息を吐く、むくんだ、土気色に変色した、醜悪な者もまた揺れていた。
僕は、押せば押せ、引けば押せ、という具合に、ヒトミのほうへ体を傾けていき、顎が額に当たったところで、醒めた、もう醒めたよ、と、実はそうでなさそうなので後ろめたく思いながらもささやいた。
少し上半身を引いて見下ろすと、ヒトミは半信半疑であるのが明らかに見て取れる表情を浮かべていたが、自分の体も傾いているせいで、揺する作業を終えざるを得ない。
誰かが見たならば、せっついて愛を具体的に求めてきたから、思いに耽るのを切り上げて、わかったよ、しょうがないなあ、などとささやいて体を持たせかけたところ、相手が態度の急変にかえって怖気づいて、ちょっと待ってと当惑しているといった、ホモ野郎どうしのいちゃつきだとみなしたかもしれない。
見る可能性のある者がそこにいる。
舌打ちをしてから酔っ払いに目を移す。
ヒトミが震源である揺れがおさまったので、酔っ払いもまた揺れなくなっていた。
ささやきを確言にしたかったので、つまり、できるかぎり早く覚醒したかったので、自分のことを意識せず、外部の対象にもっぱら注意を注ぎ、それに働きかけるようにこころがけることによって、脳の正常化を試みた。
ヒトミの肘をつかんで、ゆっくりと押し下げ、両手を両手で包んでやった。
酔っ払いに向けて足を伸ばし、踵で床をつかまえると、尻を浮かせて前方にずらした。
斜め上から、気息奄々、仰向けになってのびている酔っ払いを、見下ろすこととなった。
眠っている。臭い息が漂ってくる。臭すぎて目が痛い。かすかな悲鳴のように聞こえるのはいびきだ。内臓脂肪を溜め込んだ腹がゆるゆるとせり上がると急に落下する。手足に時々痙攣が走る。
いびきが止んだ。呼吸が止ってしまったのか?
いや、静かな、警戒するような息の音が聞こえる。こちらの様子の変化を、さっきから体で感じ取ってきて、とうとう目を覚ましたのだろう。左手下方で天井に向けられていた顔がゆっくりと上がってきさえしている。
僕はおののき、見えている面積を徐々に広げつつある顔面を注視した。顎が下りてきた。その先が膨れた腹を指す。腹がかすかに震えているのは、腹筋が緊張しているからだ。
顔面はねじれながらさらに起きて、僕を見据えることができる位置で止った。
額の皺の下の、腫れた瞼の下の、目やにが縁にこびりついている狭い裂け目の下に、イチゴのような炎症を帯びた脳味噌そのものがやっぱり控えていた。黒目は依然として自分の頭頂を見上げているのだった。
涙の跡と鼻汁とよだれの跡とが協同して、顔面の左右を横切るたくさんのナメクジの跡と言ってもいいような縞模様を描いていた。
黒目がゆっくり下りてきた。まず、こげ茶色の濁りが現れ、それに続いて境が明瞭な濃い黒が湧き出で、裂け目の中央から両端に向かって滲んできたのでそれとわかった。こげ茶―黒―こげ茶と色分けされた細い帯は、最大幅でしばらく留まった後、段々としぼんでいき、黒が消え、やがてこげ茶も消えていく。
僕は、待ってくれと言いそうになった。
待つはずがない。腹からも首からも急に力が抜けて、顎が上がり、後頭部が床を打った。
その痛みを感じないのか、酔っ払いはたちまち眠りに陥った。
呼吸は規則正しくなり、やがていびきに変わっていった。しかし長くは続かなかった。いびきが止み、しばしの沈黙の後、再び顔が起きてきた。途中で力尽きて、頭を落とす。それを繰り返してから、眠りに陥った。
何をしたいのだろう? 
酔っ払いの息が止まるたびに、僕の息も止まり、顔を起こすたびに、僕はたじろぐ。
何度目になるのか、顔を起こした。さらに上半身を起こす。左腕を宙に伸ばし、見えない支柱をつかもうとした。右のわき腹を床につけて、背中を伸ばし、ひざを曲げてこちらに倒し、顎をひいて、身もだえした。
僕はここで気がついた。酔っ払いは、何らかの意識的な働きかけを外部に向けてしているのではなく、自己の内部で死と格闘しているのだ。ついさっきまで僕が回想から帰還しようともだえていたように。昏睡したら、寝たら、もう死ぬ、もう帰って来れない、と思っているのだ。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦