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ネヴァーランド

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この英雄伝の中に、野原での集団交合の場面があった。旧約聖書にもそんな記述がある。EU以外の施設でも同様な記録はあるだろう。施設の内外で、記録に対応する事実があったということだ。我々の種だけでなく、一般に高等生物はやりかねない。
一斉の交合の意味は何か。
ひっきりなしに戦いが勃発する状況では、効率的な種族保存の手段であるだろう。だが、プルターク英雄伝からは読み取れない特異な意味が、この帝国においてはある。奴隷であった僕にはわかる。
側溝で廃棄物の運搬作業をしていると、月経血に遭遇する時期が同じであるのに気づいた。すべての女達の生理は、一定の周期で回転する衛星に対して、正確にシンクロナイズした排卵周期と、同一の排卵日でもって反応している。一斉である排卵時に交合すれば、最も効果的に人口を増やせるだろう。男性人口が急減した終戦時にとりおこなって、早急に埋め合わせをするのだ。
さらに、驚嘆すべき、だが大いにありうる可能性が、考えられる。
戦争の終結を排卵日に合わせているかもしれないのだ。
もしもそうならば、誰が、健忘症の市民が伴侶の記憶をなくしかける程度に、なおかつ排卵日に間に合うように、戦争の時間と時期を設定したのだろう。
地に満ちるのは何であるかも、僕にはわかる。
死体だ。清水の舞台から蹴落とされる死体、戦場で果てる死体、食い荒らされる死体、敵と見做される者の死体だ。累々たる死体が地に満ちるはずだ。かつて見たり触ったりした死体が次々に思い浮かび、僕の頭には早くもそれらが満ちていく。
ヒトミを横に抱いたまま、遠くまで延びている痴態の数々を、揺れるの笹の隙間越しに、圧倒的な徒労感に侵されながらも、凝視し続けた。
奴隷は側溝で蹲っていなければならない。鼻まで顔を上げて盗み見していた奴隷の上に、竹橋からブラザーが跳躍して、踏み潰した。どこかの太い骨が折れる音がした。
全くの開けっぴろげでは羞恥心が抵抗し、全くの個別閉鎖状態では、共同性を乱す者が出る恐れがあるので、その中間である竹のカーテンによって仕切ったのか。見えたり見えなかったりする不確定さかげんは情欲を亢進させる効果があるが、まさかそれを目的にしたわけではあるまい。
生殖行為は、つつがなく進行し、いささかの遅滞もない。横一線に並んだ、幅広い徒競走を見ているようだ。
男達はうめき声か掛け声を発するだけで滑稽で野暮くさいが、女達は唄う時よりもさらに美しい、自分が出しうる最も良い声を出す。楽隊がそれに対位法で応じる。
太股にヒトミの硬いペニスが押し付けられているのがわかった。
やがて、微風に乗って臭ってきた。
自分以外の精液の臭いを初めて嗅いだ。感動的なほどに全く同じ臭いだ。
この同一性に、連帯感を感じてしまった僕は、変態漢だろうか?
笹竹が上がるとそれぞれの男女の組は、寄り添いあって女の住居へ去っていく。
彼らの局部には石灰がまぶされている。こんな使い方もあったのか。防腐剤として死体にかけるという使い方もあるが。
小モーゼを先頭に、楽隊が朱雀門に向かって近寄ってきた。その後ろには少年少女達がやはり一列ずつになって続く。
デヴューとはこのことだったのか。
大人たちのように、選択の自由はなさそうだ。迷妄の優生学に従って、センター試験の成績順に並んでいるらしい。
再び、モーゼの大音声が響き、笹竹が下りた。

精液と膣内菌とフェロモンの臭いでむせかえる朱雀大路を僕は決して忘れないだろう。だが、このおぞましい光景から早く逃げ出したい。
僕はいったいどこに存在していたのだっけ?
回想から抜け出して元の現実に戻るためにはどうすればいいのだ?
首を左右にねじって、声を挙げれば……
手伝ってくれ、ヒトミ!

84)

何重かの回想の内側に閉じ込められた状況から何としてでも脱出したいという切なる願いに駆られ、夢の中で飛び立つときのように、額で空間を突き上げ、体をそらせた。その効果は上々だった。
願いが何者かに伝わったのか、なんという不思議、身体が揺れながら、上昇し始めた。ゆらゆらゆらり。揺れがこのように快いとは初めて知った。哄笑が体を揺すっているかのようだ。昇天の際の官能も、これに似ているのかな。
おなじみの不安な浮遊感も、この時ばかりは解放感に化けて、僕を喜ばせた。喜びにうち震えながら上へ。夢の中でのようにどんどん上へ。
揺れることと浮遊することは別ごとだが、この時だけは重なり合ってプラスの相乗効果をもたらした。
熱気の霞の中に浮かんでいた羅城門が、ゆっくりと後退し、外から射し込んで複雑に屈折する宵の微光の氾濫に融け込んでいった。嬉しいなりゆきだ。
笹竹も、遠くからこちらに向かって、倒れると地に吸い込まれるドミノ倒しのように一本ずつかき消え、その間でうごめいていた汗と快楽にまみれる少年少女らも、笹竹と競り合いながら消えていった。乱れて剥げた石灰の下に赤黒い地が見える。
ところが、楽隊は、影を薄くし、楽の音を小さくしながらも、しぶとく残っている。
天井にぶつかるかと思っていると、あっさりと突き抜けて、また朱雀通りが現れた。驚いた。驚きが衝撃となって僕はさらに覚醒へと上昇する。
自分が、回想に深くはまって、眠りに入りかけの、回想が夢と混和する状態に、眠りに完全には入らないまま、どれだけの時間かはわからないが、身を委ねていたらしいと推定できた。
低い位置から見上げる第二の天井は、まだとても高い。天井を見る際にモーゼは邪魔にならない。眼前に立ちはだかって視界の半分近くを占めているモーゼは半透明だ。徐々に、皮膚の褐色が薄れて、筋肉と脂肪が揮発して、入道雲の輪郭だけになり、それもまた消えてなくなった。
第三の朱雀通りの床を突き抜けて首を突き出すと、楽隊が消えていた。楽の音も、しばらくのあいだ余韻を漂わせた後に、楽隊を追うように消えた。左右に居並んでいたブラザーもどこかへ行ってしまい、段々と深いところまで見えてくる側溝の中に奴隷はいない。
閑散となっていく大路を見下ろしながら、視野にあるものの多様性が衰えた分、自分のあり様に意識が振り向けられ、揺れながら浮遊していることを改めて自覚したとたん、恐怖に取り付かれた。
揺れは、酔って子供用のベッドにもぐりこんで寝ていたときに実際に起きたとしか思えない揺れの記憶を呼び覚ました。体がつかえて出るに出られずパニックに陥ってヒトミに引きずり出してもらった。あれで閉所恐怖症が亢進したのだ。
浮遊感は、いつも星空を見ると、不安に駆られながら味わう。宇宙に酔うのだ。バルサにつかまって長い間湖を泳いできたし、底なしの宴の池に、逆さになって沈んで行ったし。
そして、揺れと浮遊感は、古い古い記憶、生まれてまもない僕が、父に抱かれて、いや、多分父の手のひらにのっけられて、階段を上っている記憶において重なる。
上昇する加速度のかかった浮遊感と、恐らくは、階段を上る一歩一歩の振動が、父の体を経由して僕に伝わる揺れ。目がまだよく見えない僕がなんとか見上げた父は、巨大な灰色の影だった。お父さん、僕達はどこに行こうとしていたの?
ある時は不安、ある時は恐怖としてよみがえるこれらの記憶の系列の、いかに強固であることか。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦