ネヴァーランド
相手がすぐ目の前にいて、立ち上がる時、内股のこすれる音や、膝の関節が立てる音はかすかだが、大集団が一斉にそうする時には、池の真ん中にいて随分離れている者にも、けっこう大きなざわめきとして聞こえた。
僕が立てた音は彼らに聞こえるはずがない。茎から手を離して仰向けになる時に、後頭部で水面を叩いた。ため息を深々とついた。長々と唸った。バタ足で水を蹴上げたが、足の甲は水面上には出さなかったから、盛り上がった水が滑り落ちる際の音は、僕でさえもやっと聞こえた程度だった。疲労困憊、でかい音を立てられるだけの力がない。
眠くてたまらん。
薄暗い天井が、睡魔となって掛け布団のようにかぶさってくる。
ほの白く発光する粘菌達がはびこり、刻々とそれぞれの勢力範囲を拡大しつつある。せめぎ合いの前線に視線を固定するとその動物的なうごめきがわかる。カビもキノコも、薄青やピンクに怪しく煌き、きな粉のような胞子をふるい落とし続け、その霞の中を金色の点滅を繰り返しながら蛍が流れ星のように横切る。天井に取り付いた蛍は、たくさんの金星のコピーだ。小モーゼの目が散らばっているようで気味が悪い。
眠ると溺れる可能性があるな。
僕は、顎を引き、頭を左右に振って、眠気から逃れようとする。はるか下方から呼びかけてくる友引の誘惑から逃れようとするかのように。
想念もまた、大内裏のドームがなすプラネタリウムから逃れ、天井を突き抜け、外に広がる宵闇の空に駆け上がる。星空を目指して、月と太陽の傍を過ぎ、たくさんの恒星や星雲を垣間見ながら、どんどん上へ、いや、上も下もない、はるか高みの深淵へ、上昇か下降かし、足下に白く輝く星ぼしを見、行方には暗黒しかない宇宙の果てまでやってきて、やがて足下の星ぼしとは異なる白点を仰ぎ見、それが段々大きくなって、白く輝く球体となって、その表面が頭上いっぱいに広がって、超平面になって、あっと思う間に、暗黒の世界から白銀の世界へと周囲が一変し、見下ろすと、今までいた宇宙が黒いボールとして見え、それが小さくなって点に限りなく近づくにつれて、そのような黒点が他にも無数に散らばっていることに気づき、たくさんの宇宙が並存していたことを悟り、輝く白銀世界は、空間が自らの弾性だけによって踊っている舞台でもあり踊り手自身でもあると気づき、ここが神の視点だと合点する。
ふーっ。一息つく。
神は、イロニーとして以外では、あくまで仮想的な視点の意味しか持たない。
少しでもキャラクターを持たせると、たちまち作り物であることが暴露される。
で、僕は、その視点にあることに飽きる。
それ自体は無内容だからだ。
辿ってきた道を遡行する。
どんどん降下し、たくさんの星雲を貫き、この惑星のここにある宴の池の表面に仰向けになっている僕自身を貫き、冷たい水の充満する深淵をゆっくり下降する濃い黒の手前で止まった。
地球の重心に引かれていくアルルカンは、もしも重心に重なれば、重力から解放されるはずだ。あくまで物理的な解放に過ぎないが。
僕は死を経験したかのような経験をまた持ったのだった。
自分の死を経験するのは、死の定義からして不可能であり、想念の戯れでしかない。
死の経験とは他者の死を観察することに過ぎない。
例えば、死にかけている者の、痙攣、呼吸困難、血中酸素濃度の低下を観察し、精神の錯乱、意識の混濁、言語障害、つまり発言が、文をなさなくなり、文節もなさなくなり、単語だけとなり、単語の頭だけとなり、生理的なあえぎと区別がつかなくなる過程を観察することだ。
閾を超えた瞬間、目の前には死体があるだけとなる。おお、チャーリー。
明らかな断絶が存在する。
たくさんの死を見てきたが、連続的で穏やかな変化であったためしはなかった。
たとえ体を揺すり、耳に呼びかけようと、観察からは、恣意的な感慨以上のものは出てこない。
いくら悲しんでも、それが自分のためであることを思い知るのは、屈辱的だ。おお、チャーリー。
我々は死から拒否されている。
経験であって経験できない唯一の経験だ。
当事者である死者自身でさえ拒否されているのだから当たり前だ。
とりわけ、アルルカンの死は、解釈をも拒んでいる。
市民による全会一致の死刑宣告に従順極まりなく従い、自らを硬直させて死へ突き刺さって行った。
いったいどんな精神構造を備えていたのか。それは単にアルルカンにのみ特殊なものではなく、市民にも共有されているはずだ。
ハラキリに似ているのかな? だが、ハラキリは畸形的ではあってもモラルの一選択肢だ。
ここはモラルのない土地だ。そんなこと、前々から承知している。
では、市民が虚無と退廃に陥ってはいるものの、ああ、コモンセンスと化した虚無と退廃! 混乱やアナーキーには陥っていない理由は何だろう。
ない、だけではなく、積極的に、なにかが、ある、からではないか?
歯を折って口の中に血の泡を溜めてその血と一緒に死者に向けて歯を跳ばすのは、モラルや優しさの残存であると思っていたが、それは見かけにだまされていただけで、甘かったのではないか?
別種の、一貫した、強力な原理の現われではないか?
アルルカンを見殺しにして平気であるのと同根の、モラルを無理やり注入すると混沌のように頓死してしまうような、全滅の可能性に晒されていることをひりひり意識している集団が、断固としてしがみついているような原理。そんな原理があるとしか思えないほど、市民の意見の一致は例外を持たず、ファシズムも仰天する完全性を誇っている。
アルルカンは切り捨て、小モーゼには熱狂する、確固たる判断基準の不可解さはほとんど神秘的ですらある。
僕は、自分が暮らして行こうと決意した土地が、いつまでも異郷であることを激しく意識し、悲しみかけた。悲しみに襲われかけた。だが、それ以上の感情の氾濫を押しとどめた。そんなこと、したくないし、されたくもない。
体をさすってゆっくりと過ぎていく水を意識した。
大量の涙みたい。
水の問題。食糧の問題とともに、大集団が生き延びるためには、解答が保障されているはずの問題。
さあ、そっちに向けて、意識を切り替えて。
底知れない水量を保つ宴の池が、水飲み場として使われてこなかったのはなぜだろう。
ふざけた話だ。タブーがあったのだ、合理的な解決はなかったのだ。
僕がやった汚水溜めの封鎖など、宴の池を開放すれば、自然に解消する課題だったのに。
今からでも遅くはない。ここを市民と奴隷のための水飲み場にしよう。出来るかどうかわからんが。
そのためには、まずタブーの意味を理解しないと。
降下して行く濃い黒、アルルカンが、タブーの意味を教えかけているような……
かつても、たくさんの濃い黒たちが、同じように、ここで、沈んでいった?
83)
頭頂のやや下が岸に当たった。水の抵抗によって充分減速していたので、当たり具合は穏やかだった。やはり、うたた寝をしていたのだ。
体を横転させ、右手を突き、左手を突き、バタ足をしながら上半身を岸辺に持ち上げた。
手を前に送って両膝を乗り上げた時、背後に殺気を感じた。左足を思い切り蹴り出すと、冷たいゲル状のものに当たり、聞きたくなかった鳴き声を聞いた。