ネヴァーランド
と訊ねると、白っ子2が次のように答えたからだ。
「ソレハ キミガ ジブンデ カンガエタ ホウガ キミノ タメダト、オモッテ、キタカラダ」
白っ子3が訊いてきた。
「キミハ ワレワレノ ナニヲ シッテ イルノカ?」
「君らも施設ニッポンの仲間だったが、体育館では少しはなれた所でかたまっていたな。ブラザーたちとは、動き方が随分異なっていた。あとは推察でしか言えない」
「スイサツヲ キカセロ」
白っ子4がさらに訊いた。
「ここには議会がないね。司法も必要ないようだ。市民兼軍隊と官僚の直接交渉体制のみだ。あと象徴が居るがね。単純で本質的だ。君らは官僚であると推察する。権力が市民と君らとにどんな割合で分配されているかは、想像でしか言えない」
最後に白っ子5が発言した。
「キミノ ソウゾウヲ ノベテ ミロ」
「実は割合がどうのこうのという話ではないな。市民が権力をにぎっている。君達は奴隷だ。帝国で今働いている現実の奴隷以下の奴隷だ。君達は個体数が少ない。女がいない。個体を守らなくてはならないが、所詮一代限りだ。市民との交雑を避けているのではなく不能なのではないか。みじめだ。施設ニッポンで何らかの事情があったのだろう。市民は、いかに命をぞんざいに扱っているにしろ、命がけだ。圧倒的多数が、フル回転で生成消滅を繰り返しているのだよ。生産活動などない、略奪と戦争しかない。しかし、市民の天下なのだ。退廃の極致だね」
白っ子たちはしばらく話し合っていた。
やがて、白っ子1が、諭すように顎を上下に振りながら言った。
「ソンナ センニュウカンカラ ハヤク ダッキャクスルコトガ デキル ヨウニ」
白っ子たちは一斉にきびすを返すと、出てきた住居に戻って行った。光を避け、恐らく耳栓をはめて、昼寝を続けるのだろう。
モーゼは、僕と白っ子たちが話している間、ふっ、はっ、あーっ、などと、言葉ではなく、音を出していた。小モーゼを探しすと、内裏で寝転がっていた。
風穴は鳴り続けていた。僕の背後に立っているモーゼは、黙ったままだ。息の音しか聞こえない。湖から山腹を這い上がる風は、刻々強弱を変え、音はそれに従って高低を変える。その旋律は、風がなぞってきた湖や川や滝やジャングルを歌う。僕は歌詞をつけたくなった。しかし、僕がつけるまでもなく、背後から歌声が聞こえてきた。段々大きくなった。
僕が振り返ったときには、もうモーゼは朱雀門に向かって歩いていた。
たくさんの女達が、体を大げさに揺らしながら、行進してきた。
あっ、ああー、あんなにあいしていたーのにー、あっ、ああー、しんでしまったの、あんたー。
あっ、ああー、あんなににくんでいたけれどー、あっ、ああー、ほんとはいきててほしかった、あんたー。
モーゼは門の内側で両手を広げて立ち止まると、入ってくる女達を抱き、鼻を摺り寄せ、時に持ち上げ、一緒に泣いた。おー、かさのいらつめ、かわいそうに。いやー、へぐりのいらつめ、まさかなあ。
……僕は、池のそばに戻った。ところが、次から次にやってくる新米寡婦達にたちまち取り囲まれた。内裏まで逃げると、小モーゼがつばを吐きかけてきた。仕方がないので、内裏の縁に背中をつけて、小モーゼに見えないように座り込み、情勢を観察した。
女達は、宴の池を取り囲んだ。二手に分かれてコーラス合戦が始まった。
74)
あふれた池の水が細い流れとなって溝に流れ込む。それを境界にして、左側の東軍と右側の西軍に分かれた。池を挟んで流れと反対側にも通路が出来ていて、その延長線上に内裏がある。僕は、その線が内裏にぶつかるところと内裏の奥のほうの角とのほぼ中間点で、膝を抱えて顎を載せ、縮こまっていた。女達の輪は何重にもなって膨れに膨れあがっていった。それぞれが、前かがみになってうずくまり、胡坐をかき、体育館坐わりをし、肘をついて寝そべり、腹ばいになって顎を手で支えた。あちらこちらで姿勢を短時間で変えるので、僕の視野はむずがゆくなった。増えてくる彼女達の背中や尻が目の前に迫ってきた。東軍の誰かが、ハイハイ、イェーイと掛け声をかけた。
わっすれられないのー、あーのひとがすきよー
初めて聴く類の歌だった。衝撃を受けた。荒々しく、猥雑で、扇情的だった。
東軍全員が声をそろえたわけではない。おしゃべりや唸りや叫びはノイズとなって絶え間なく歌声をかき乱した。にもかかわらず大集団のコーラスは、迫力満点だった。
こーいはー、わたしーのーこーいいはー、そーらーをーそーめえてー、もーえーたーよーっ。
いったい、男女の関係とは、こんなにも熱情的でありうるのか?
鮎たちが驚いて何匹も一斉に飛び跳ね、落下音はティンパニーの連打となった。重く低い唸り声が轟き、以後連続的に発せられた。興奮したあの両生類が通奏低音を受け持つこととなった。怒っているのかもしれなかった。
しーぬまでわたしをー、ひーとりにしないとー、あーのひとがいったー、こーいのきせーつよー。ちゃんちゃちゃんちゃちゃちゃちゃんちゃちゃーんちゃちゃちゃ……
仲良しグループと思われる一ダースほどの女達が目の前にやってきて同時に座り込んだ。背筋が浮き沈みしたり、肩甲骨が閉じたり開いたりするさまを見ると、そうすることで襲い掛かってくる悲しみを、あるいは嗚咽の痙攣を、肉体的な対応で打っちゃっているのかとも思ったが、そうではないことがまもなくわかった。試合の前の準備体操のような、健康で緊張を孕んだ動きだった。なんら屈託がなかった。悲哀の陰影とは裏腹の、異様な朗らかさが漂ってきた。尻をもじもじさせながら、首や肩を揺らしながら、さっきモーゼと一緒に泣いたカラスたちは、今はもうおしゃべりに打ち興じていた。
「確かにね、その約束は守ったわよね」「死ぬまで一人にしないってこと?」「うん」「残ったのは一人どころじゃないわ」「何人だったっけ」「あたしとばあちゃん入れて六人」「うちは、あたしと子供五人」「そんなにいたんだ」「長男は今日デヴューよ」「うちの娘とどうかしらん」「あんた達、子供のことより自分のこと考えなさいよ」「そりゃもう決めてるもん」「あたいは出たとこ勝負かなあ」
不思議な会話。その時は、何のことかと思ったものだ。
東軍に引き続いて西軍が声を張り上げた。
またきみーにー、こいしてるー、いままーでよーりもふーかく、まだきみーをーすきになれーっるー、こころーかーらー……
僕は、歌にもおしゃべりにも、興味津々、耳を傾けていた。
「まだなれるって? 死んじゃったじゃん、無理じゃねえ?」「出来る女もいるのよ」「やなことから忘れていくから死んだ男はトクだわね」「男によるわ」「そんなこと言っていいの?」「誰も聞いてないし、本心だし」「うちらが聞いてるでしょ」「あんたらだって、そう思ってるんだから、かまわねぇーよ」「あたし、まだ、生々しいなあ」「そりゃ、誰だって生々しいよぉ」「前の晩、やってないおんななんていなくねえ?」「出発直前までやってたわあ」「それがどうしたっていうの? なんかのあかしになるんですか!」「まあまあ、おさえて、おさえて」
女のにおいが濃密に立ち込めてきた。通風口の機能が一時的に止まったせいでもある。風の向きが変わる時刻だ。宵闇迫る頃となった。