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ネヴァーランド

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モーゼの左右にも僕を背負っているブラザーの左右にもガードマンがいた。その外側を兵士達が、石灰を蹴立てて、ウーラ!、と叫びながら駆けていった。彼らは、自分の妻の前で急停止した。彼らは抱き合ったりしゃべったりキスしたりなどせず、小声で合いの手を入れ、顔を左右に振りながら鼻と鼻をぶつけ合った。中にはフックの応酬のようなすさまじいものもあり、愛情の表現なのか憎しみの表現なのかよくわからなかった。ペアーは、次々に横道に消えていった。
僕達は同じペースで進み、朱雀門から大内裏に入った。僕にとっては初めての経験だった。
広さは神泉の十倍ほどもある。地面に直線に沿っていくつも穴がある。それに竹竿を垂直に挿して柱とし、柱と柱の間に、竹や棒を水平に渡し、それに竹の皮やなめした木の皮を垂らしてカーテンにして個室を造る。白っ子たちや市民の代表が逗留する。この日は竹竿は抜き取って壁際に積んであった。このような場合のほうが多い。
見晴らしのよくなっている大内裏を見渡すと、中央右手に一段と高く土を盛った長方形の台座があり、ここの竹柱は固定され、竹皮のカーテンが垂れている。モーゼが演説したり昼寝をしたりするところだ。ここを内裏と呼ぶことにした。
彼の寝所は、正面の高い土塀にさえぎられた三間続きのホールだ。
ただし、モーゼも、官僚達も、実際に大内裏で日常的に寝食をともにしているのではない。居住環境がよくないからだ。内裏の左側に大きな池がある。その池の真上に空気穴が開いている。いつも音を立てているのでやかましい。そこからは外の光があわ立つように差し込むのでまぶしい。寝るどころか長く居られさえしないのだ。その穴からは植物もまた侵入する。あるものは茎を池に浸すとヘビのように頭を上げて岸に向かって伸び、持ちこたえられずにまた水に没し、ついには岸に達して壁に向かう。またあるものは、白い根を垂らして降りてきて、水中で繁茂し根毛を揺らめかせる。それら植物にまとわりつきながら細い流れがこれまた音を立てて池に注ぎ、池の縁の最低地点から水が側溝へとあふれ出ることになる。
大内裏は儀式のための場とみなしたほうがよい。
僕は池のほとりでブラザーの背から下ろされた。ありがとうと言ったが、相手は無言だった。彼は門の辺りの警備についた。
僕はこの池を、宴の池と名づけた。
やや熱を持っている右足を水に入れた。
むずがゆくなるほど気持ちがよかった。
水は澄み切り、日光が底まで射し、群れなす鮎が三倍に拡大した自らの影を追ってきらめきながら泳いでいた。時々水面から跳ねて蚊や蝿を呑んだ。小指を甘噛みしたり土踏まずを腹でくすぐったりするのでさらにむずがゆくなった。一匹が第一指と二指の間に頭を突っ込んでもだえた。
池の真ん中には天井から下りてきた植物達が小さな浮島を造っている。その陰に僕と同じぐらいの大きさの生き物が潜んでいた。島の下から水かきのついた茶色い大きな足が見えた。島の横からは水面に突き出た目が一つだけ見えた。
思い出した。かつて大河で後ろから抱きつかれた両生類だ。噛み切ったあいつの指の悪臭が鼻と口の中によみがえった。また吐きそう。
鮎も両生類も外から侵入する昆虫類を始末させるために飼っているのだろう。
金色の額縁つきの目を下から白い瞬膜が覆い、それを追う様に水面が上がり、頭が水中に没した。優雅なキックによる波紋を残して向こう岸に向かった。こんなヤツと競泳したのか、川底に這いつくばらなかったら、たちまち追いつかれ、抱きつかれて溺れ死ぬところだった、と恐怖の感を新たにした。
モーゼが声をかけてきたので、振り向いた。

73)

小モーゼが並んで立っていた。
紹介されたが、言っていることがよくわからなかった。
何度も聞き返して、弟だと了解した。体格も顔つきも表情の変化の仕方も随分異なる。父親か母親が違う可能性が高い。この国では、正式に挨拶する際は、鼻の左右をこすりつけあうか、右の頬同士をくっつけ、左の頬同士をくっつけあう。僕は観念し、目をつぶって顔をやつに向けて突き出した。何も起こらない。目を開けると、やつは、体を斜め後ろに反り返して、顔を背けていた。僕が屈辱感を振り捨てながら姿勢を正すと、いかにもほっとしたという風に大げさにため息をついて、僕に引っ張られたかのように姿勢を戻した。その後、やつは、僕の体のあちこちを、端に目ヤニの塊のついた細い目から休みなく矢を射るように点検した。後ろに回って見かねない熱心さだ。その後も、僕をにらみ続けた。嫌っているのが一目瞭然だった。むしろ、そうであることをはっきり知らせておこうとしていた。
溶岩洞窟の発見を自分の手柄にしたかったようだが、うまく行かず、その後の成り行きも、こちらの願っていた通りになったので、えらく嫉妬しているようだった。僕を側近に加えることに関して、兄と激しい議論があったはずだ。
弟のくせに、モーゼの発言には、鼻で音を出して応えるだけだった。僕は時々モーゼを窺うが、やつは僕から目をはずさずに、小声でなにやらつぶやいている。相手の目を見ながら話しなさいと子供の頃に教わって、それを頑なに守っているといった様子だ。不快そうに口を捻じ曲げた。その口は、元に戻っても、独立した小動物のように、波を打ってうごめき、なかなか止まらなかった。唇の間から大きな前歯が見え、その隙間から息と声が漏れてくる。三十度ほど首を捻るとつばを吐いた。なぜ今わざわざつばを吐かなければならないのかわからない。捻り方が足りなかったので、つばは僕の左足の小指のすぐそばに落ちた。かすかな跳ねが左足の甲にかかった。お前にはこういう態度をとっていいんだよ、と全身で語っていた。人品卑しい態度が、よく身についていた。何度もやってきたことなのだろう。この種のしぐさのストックが豊富であるらしい。僕は忍耐力があるほうなので、この程度の不快を我慢するのはなんでもなかった。もちろん、このチンピラめと、思ってはいたが。
あくびや咳の音で振り向いた。正面の住居から白っ子たちが出てきた。五名いた。僕は会釈をして小モーゼに背中を向けた。
戦場から戻っていない者もいるし、広場で奴隷の訓練の指示をし、少年少女の体力測定をしている者もいるので、総勢は、そんな程度ではないものの、せいぜい、帝国全体の一割に満たないくらいか。僕は現時点での印象でしかないが、人口配分は、市民が六割以上、奴隷が二割弱、ブラザーズが一割、白っ子が一割弱、あと、ハットリ一族や、占い師などの特殊技能者が若干、というところだと思っている。
白っ子たちは、全員がひどく小柄で、男ばかりだ。僕は女の白っ子を見たことがない。眼のまわりに黒い墨をなすりつけている。光が苦手であるらしい。
「キミノ コトハ ヨク シッテ イル」
一列に並んだ白っ子たちの右端の者が言った。びっくりしたが平静を装う。
「例えば、何を知っているんだい?」
「キミノ スウガクノ グレイドハ F3ダ。ワレワレハ B1 マデダッタ」
初めて白っ子と会話をした。こんなことが出来るとは予想していなかった。印象は強烈だった。彼らはそれまでわざと僕と話すのを避けていたのだ。なぜかは、今も考えている最中だ。なぜなら、
「知っているならなぜ僕を避けてきたんだ?」
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦