ネヴァーランド
もともとは、玄関ホールと大内裏や神泉がヘビの一族のねぐらだったのだろう。それらをつなぐトンネルが一本だけあったのだろう。占拠後に他の縦横の通りが掘られたようだ。色でそれがわかる。新道に比べると、朱雀の壁や天井は、表面から深いところまで酸化が充分に進んでいて、まさに朱に染まっているのだ。その上に何重にも塗り重ねられたヘビの皮膚の粘液が固まって、すべすべした半透明のコウティングとなっている。それを透かして、川底で光る気になる落し物のようなヘビの鱗が、ところどころにうかがえる。ここを通るたびに、怖いもの見たさのような臭いもの嗅ぎたさの欲望に負ける。今も側溝を跳び越えると、壁に鼻の頭を押しつけた。かすかに生臭い。散々嗅いだ動物の死骸の臭いとは異なる、生きものが分泌する精気に満ちたあぶらの臭いだ。この臭い、あるいはコウティングのせいなのかもしれない、とにかく朱雀大路には苔も粘菌もキノコもほとんど生育しない。さらに頬を壁にくっつけてみる。結露のない冷んやりとした吸い付くような壁は、まさにヘビの皮膚だ。二匹の大蛇が互いに絡み合い、壁や天井に体をこすりつけ、過剰に生産した毒液を垂れ流しながら、ここですれ違う様子を想像してしまった。
振り返るとヒトミの手が側溝をまたいで伸びていた。それをつかんで通りに戻る。ヒトミの不審気な顔に、微笑みかける。
歩きながら、これまでの日々の発見を反芻し、想像力の糊でつなげていく。生活インフラだけをとっても、いかに合理的に整備されているかを思い知り、感嘆する。
そもそもヘビは穴を掘れない。掘削作業には手も足も出ない。ヘビもまた何者かの巣を奪ったのだ。ヘビが住む前は、大型哺乳動物の住処だったのだろう。恐竜の可能性もあるが、冬眠する必要のないこの亜熱帯の地域では、青天井の巣を営むだろう。
ここには玄関の間と奥の間とに少なくとも一グループずつ、合計二家族あるいは二世代分の個体はいただろうが、集団戦術で立ち向かうほどには多くなく、皆ヘビたちに呑まれたのだろう。
その大型哺乳動物は、大内裏の天井にも穴を開けていた。戦場から帰ってきた後、初めて内裏に入ったときに僕は見た。周りを固めた粘土はいかにも古びて黒ずんでいた。仲間の仕業ではない。二段三段のピラミッドを組んでも穴には届かない。そこからは常時悪魔の吹く角笛のような音が聞こえてきた。風が吹いているせいで穴が鳴るのだとしばらくしてわかった。外に向かって突き出した唇のような、じょうごの形をしているらしい。穴の口を風が水平に横切ると、外気の圧力が減って吸い込み効果が生じる。洞窟内の空気が排出される。朝夕のなぎの時間を除いては、山風か谷風が常に吹いている。だから朱雀大路にはいつも入り口から大内裏に向かって風が吹いているのだ。
ホールの明かり採りと入り口から入る光は、大内裏の天井から差す光と朱雀大路で二匹のヘビのように交錯する。コウティングがそれらの光を光ファイバーのように反射して伝達する。空気の循環と光の供給が哺乳動物とヘビの二代にわたる作業によって成就されたのだ。すばらしい。
朱雀大路は、大内裏から羅城門に向かってほぼ水平に伸びている。両側の側溝は、わずかに下降しながら羅城門を過ぎホールを横切り玄関口を出ていく。路面と側溝の底との距離は、門までは広がっていくが、門からホールへは坂になっていて、以後はホールの面と溝の底との距離は一定だ。
ホールの天井にある明かり採りが以前の入り口だったとつい近頃思い至った。大型哺乳類は、明かり採りから入って、急な坂を下りて、ホールに着いたのだろう。動物は外から斜面に対して穴を掘る場合には、下向きに掘るものだ。水平や、ましてや上向きに掘ると、掘ったそばから天井が落ちてくるからだ。僕の仲間達は、土砂と廃棄物を捨てるために第二の入り口を、内側から外に向かって、朱雀大路の延長線上に掘ったのだ。清水の舞台は、もともと多少岩盤は露出していた場所かもしれないが、この土木工事の際の土砂が捨てられた跡だろう。意外と脆いかもしれない。今ヘビの骨は広場の端から垂れているが、かつては単に山腹に横たわっていただけだ。徐々に土砂が押し寄せ、ヘビの上体が立ち上がっていって、ある日首が折れて転がったはずだ。
朱雀大路に平行に走る左右の大路小路は、少しずつ高さを増していく。つまり、朱雀は、半紙を谷折にしてから百八十度近く開いた時の折り目のようなもので、左右の斜面に大路小路が並んでいることになる。左京の通りには、側溝が左側だけしかない。左の横道から廃棄物が斜面を降りてくる。右京の通りには、当然側溝は右側しかない。最も低いところにある朱雀にだけは、両側から廃棄物が流れてくる。朱雀の側溝は御所に入ると、大内裏を半周ずつ巡って閉じる。掘削工事がないので、土砂は流れてこない。下水溝としてのみ機能する。
下水と廃棄物の処理システムの完成度は高い。
ここに来てから、すべての大路の土砂運搬作業に関わった経験を持つほどに、地下帝国の土木的下部構造を鳥瞰できるほどに時間が経った。だが、この方面で出来たことは取るに足らない。わずかに、上水源の追加、汚水池の封鎖、遺体処理の改善に成功したに過ぎない。しかもそれは鴨川の発見という偶然に負っている。これ以外に僕の貢献はない。
父に与えられて優越的に持っていることはすべて吐き出すつもりだから、僕の野心は、こんなこと位では沈静しない。沈静はありえない。
吐き出したあとに自分が見えてくる期待もある。吐き出したものに依拠しない自分があればの話だが。そもそも自分というものがあるのかさえも近頃は怪しみかけているのだから、期待はごく薄いものだが。
僕とヒトミは、漂う柔らかな光の中を進む。後方から射すオレンジの午後の輝きと、前方から射す青みがかった早い夕闇のほの明かりが、僕達のところで交錯したままわだかまり、内側が紅色の壁照明を施された筒の中を、歩みに合わせて雲のようについてきた。昼と夜との境目で、まだ昼を演じる背後と、早くも夜に着地しかける前方が、戯れの綱引きをしている。必ず勝つ夜に僕達は誘われていく。
羅城門に向かって右側、二ブロック先の側溝では、十個の頭と尻が連なって波打っている。僕もヒトミも何度もやったことのある作業だ。この作業を毎日強いられる階級から離脱してからまだ十日も経っていないが、赤の他人の珍しいパフォーマンスを遠くから見物しているような感じだ。この感じはいいものではない。いいものではないという感じを忘れないようにしようと思っている。