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ネヴァーランド

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そもそも僕に父からの受け売りでない何がある? 父に教わったことで、現実のこの世界と矛盾していることは一つしか見つからなかった。僕が何をしようと何を言おうと教えられた知識の応用問題を解いているにすぎない。観音様の手の中から逃げられない孫悟空なのだ。習ってから間もない宇宙論を語っても、自分の独創性のなさを確認するだけに終わった。
もうひとつ思い出した。父に教わらなかったことも例外的にやってしまったみたいだ。その内容もまた情けない。手伝いに動員されたどこかの奥さんの二の腕に破廉恥に寄りかかって心にもない誘惑のせりふを、えらい迷惑!、垂れ流したと思う。そのうちに、本気かもしれないと自分で疑い始め、しつこい男!、つい情熱がこもってしまった。
おお、いやだ、いやだ。なぜとりわけ忌み嫌う、恥知らずの、唾棄すべき態度をとったのだろう。酔っ払いは沢山見てきた。程のよい酔っ払いは稀だった。殆どが醜悪なザマを晒した。強すぎて記憶の深みに印象付けられてしまっていた嫌悪が、酒のせいで浮上し、表現欲動を刺激したので、自分でそれを演ってみせたのか? なぜ、彼らにむかってわざわざ僕が表現する必要があったのだろう。挑発ではないが、コミュニケイションを求めるための倒錯的な偽悪行為であったのかもしれない。確かにありうる。だが偽悪行為だったというのは、本当の自分はそうではないと言い逃れをしている疑いがあるな。実は、隠すことがストレスとなっていた本性を、出したくなったのではないか。最も嫌悪していた属性が僕の本性であり、嫌悪は自己嫌悪から派生していたとしたら……、うーん。
いや、うーんだけでは済まされないぞ。
たびたび小モーゼに会った。まるで先回りして僕らを待ち伏せしているかのようだった。
大内裏で会ったときとは打って変わって、露わな敵愾心など微塵も見られなかった。僕のそばを通り過ぎるたびに、大げさに目を剥いて鷹揚にうなずいてみせた。しかし、その目は、俺のお前に対する態度は昨日伝えておいたよな、もう繰り返さない、忘れるなよ、と言っていた。
祝賀会中、モーゼの王様振りとは対照的に、やつはむしろ道化役を演じていた。女装してきたのだ。乾いた花の蕚をくっつき草で胸に貼り付けていた。乳房としては小さく、乳首としては大きい。女達は、嬌声を挙げた。手を伸ばして触る女もいた。だが、男達は、ちらりと見ただけだった。男達だけの宴会では、よくやることだったのだろう。僕は、目で追いながら、あるいは、後をつけながら、小モーゼを時間をかけて観察した。女の身振り手振り素振り口振りを実によく知っている。やつの私生活が垣間見えたと思った。
緩いアーチ型に湾曲した竹の橋が、中ノ島へと架け渡されていた。小モーゼは、それを踊りながら渡り始めた。竹がきしんで音を立てた。やつは橋の真ん中で一回転すると、大池に飛び込んだ。大げさに池の面を両手でたたき、溺れるまねをした。助けて、助けて、溺れる、溺れる。女達が、大げさな叫び声とともに飛び込んだ。小モーゼと一緒に、助けて、助けて、キュワッ、キュワッ、キュワーッ。池の周りにいる男達に変化はない。見てはいる。小モーゼはしばらく暴れた後で、急に静まり、仰向けになって浮き身の姿勢をとると、頭の方向に進み始めた。小刻みに両脚を動かしているのだろう。僕が水晶を口に含んで下ったときのように、、小モーゼは、小川の流れに身を任せているかのようだ。そして、驚いたことに、高い裏声を張り上げて唄ったのだ。モーゼが唄った国歌ではない。フォークソングの類だ。短い歌詞が繰り返された。飛び込んだ女達は、取り囲んで、やつに合わせて唄いながら移動した。意外にも男たちも体を揺らしながら合唱した。大池の様子が見えない男たちも加わった。唄いたかった歌を唄う機会がたまたま来たので唄うのだろうか。それとも、前もってリハーサルをしておいたのだろうか。即興であるなら、小モーゼが大衆の好みをよく知っている証拠となる。そうでなくとも、小モーゼの動員力の証しにはなる。こういうことはよくあることなのだろうか。

柳の枝から水の中、身の災いに気づかない、かんむり握ってむかし歌、歌うは哀れオフィーリア。

モーゼが僕の肘をつつく。彼の顔を仰ぎ見ると、笑いの寸前だが、笑いを実現するためにはさらにどんな手を打つべきかわからなくて当惑していた。笑いを体験するまで、僕も時間がかかった。身につまされた。何もしなくていいよ、と背中を押してやりたい気はしたがどうすべきか教えようがない。やってみせるしかなかった。僕は、天井を仰いで、大声でウソ笑いをした。モーゼは、目を細め顎を突き出して僕を不審気に見た。僕がもう一度ウソ笑いすると、モーゼは真似た。恐竜の吐息に似ていた。その臭さも。しかし笑いにはなっていない。僕達は交互に笑いあった。何回目かの応酬の最中で、白目を剥き大口を開けてもだえるモーゼの馬鹿づらに僕は我慢できず、本当に笑ってしまった。それが功を奏し、モーゼは見事に笑った。自らの生理的反応に、戸惑い、驚き、喜んでいた。初めて射精した時のように。天井をめがけて放たれる笑い声は、僕が笑いやめた後も、三十秒以上ひくついていた。そして、モーゼは晴々とした表情で僕を見下ろした。感謝するぞ、と言ったようだ。僕は、薄々予想はしていたものの、困った時には僕を頼りにすればいいという傾向がモーゼの中に定着しつつあると感じ、ややうんざりした。周りのものは、モーゼの得た新しい能力に、どう対処すればいいのか困っているようだった。しかし、ある酔っ払いが、モーゼを真似て笑いを試みたのがきっかけとなり、あっちでもこっちでも、笑い声が巻き起こった。しばらくたって、集団狂気の笑いの中に、一つ、また一つと、本当の笑い声を聞き取れるようになった。それはたちまち増えていく。急激な進化を目の前にしているような感じだ。
擬似の笑いと真性の笑いが混在する中を、泡だらけの小モーゼが女達に担がれて大池から上がってきた。死んだまねが真に迫っていたので、近くの者が笑いをやめ、引き続いて、放射状のドミノ倒しのように、すべての笑いがやんだ。何せやつは息をしていないのだ。緊張感が拡がった。偽の介抱の手が、本気になりかけたとき、その手を振り払って、小モーゼはばね仕掛けの人形のように起き上がると、連続して前方宙返りと後方宙返りをやってみせ、まるでアヤカのように両手を?字型に挙げて芝に着地した。拍手喝采と歓声と覚えたばかりの笑い声に包まれ、かくしてミュージカルは幕を下ろした。

68)

僕とヒトミは朱雀大路に出た。さすがに幅広い。堀川の三・五倍、烏丸の七倍ほどもある。
規模だけではなく、その来歴も特別だと僕はにらんでいる。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦