ネヴァーランド
この部屋をあてがわれた最初の日、僕は、頭を奥にして寝てしまった。途中で、あまりの息苦しさに目を覚ました。穴にこもったアルコールと反吐の臭いに耐えかねて出ようとしたけれど、酔っていたから、天井に頭をぶつけ、子供用に入ってしまっていたので、身動きがとれず、閉所に拘禁されたと思ったとたん、パニックに陥った。ヒトミが、ばたつく両脚を腕に抱えて引きずり出してくれた。それ以降、大きな寝床に入っても、閉所恐怖症がぶりかえした。だから、小川のそばの葦原に行って葦を運んで床にベッドを作った。
ヒトミは嬉々として僕に添い寝しかけたので、それはナシだ、何をするかこっちにも自信がない、とよくよく説いて聞かせた。
入り口を背にして僕のベッドが部屋の右寄りにある。ヒトミがうらやましげに僕のベッドを見るので、左側にヒトミのベッドを作ってやった。
そこでヒトミは僕の顔を眺めながら眠る。
ひとつ心配なことがある。毎日、一センチぐらいずつ、そのベッドが僕のほうに寄ってきているようなのだ。
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僕は目の焦点を元に戻し、ヒトミの右目を見ながら、食堂に行くぞ、と言い、はなれた左目に視線を移し、それに向けても食堂に行くぞと言った。
ヒトミは正しく聞き取れたかどうか確信はないが、といった様子で、ゆっくりとうなずいた。後ろを向くと、壁に向かって進み、張り付いている粘菌にスポンジを押し付けた。
ヒトミの肩甲骨の間が、へこんだり盛り上がったりした。泥を落とすと、よく絞ってから、たるんだ直角三角形をなして部屋の隅にかかっている蜘蛛の巣にそっと下ろした。胴体だけで僕の拳ほどもある盲目の蜘蛛は、壁を伝って天井まで逃げようとして、慌ててヒトミの手の甲を踏んでしまった。ヒトミは我慢した。やがて手を離したので、スポンジは小刻みに宙を反復横飛びした。蜘蛛はしばらくすると降りてきて、現在の巣の上か下かに新たな同形の巣を張るだろう。飛び込んでくるキノコバエや天井や壁から落ちてくるゲジやヤスデが捕らわれるだろう。そしてそこは明日のスポンジ置き場となるはずだ。
朝の掃除をヒトミに任せてしまっているのは不本意だが、僕が目を覚ますのはいつも掃除が終わるころなのだ。いくら早く起きても、それより早くヒトミは起きて働いている。僕はあきらめ、別の場面でお返しをしようと思っている。
僕はベッドの上で葦のくずを払い落とし、石灰の撒かれた床に新鮮な足跡をつけながら入り口に向かい、粘土製の遮蔽板の隙間を抜けた。
僕達のいるところは、三条堀川通り下ガル西二部屋目だ。
部屋を出て堀川を上がり、西に折れて三条に出ようとすると、右の耳たぶが東へ引っ張られるような感じがした。そちらへ行くとヘレンの住処があるからだろう。
ヒトミは三尺遅れて僕についてくる。ヒトミを僕に近づけるためにはわざと小声で話しかける。よく聞こえないので、しょうがないからヒトミは近づいてくるが、すぐにまた下がる。そういうことはしないでくれ、と伝えているのだが、理解してくれない。そんな要求が僕のエゴから発しているかもしれないので、近頃はもう問題にしない。問題にしないことに慣れて平気になっていくことこそが問題であると少し思っているが。
僕は、違い、はわかるが、差別意識は持たない。無意識レベルでは、といわれれば、それは僕の関知するところではないと応じるしかない。違いには大いに興味を覚える。違いが知識を作り、違いが理解を生む。違いがあればこそ同感が生まれる、もしかして愛も。だから、施設とは大違いである今の状況は、世界全体に対して、同感と、もしかして愛も抱くべく僕を促しているのかもしれない。差別意識はこの促しを止めてしまうだろう。単なる認識欲をも阻害するだろう。
右手に広大な庭園がある。掘削の際に出た岩のうちで形がいいものが転がっていて、恐竜の背中のように築山が盛り上がり、赤や紫や黄色の巨大なキノコがあっちにもこっちにも生えている。二条大路を隔てて大内裏に接している。僕は神泉と呼ぶことにしている。普段は市民が入れない禁苑だ。戦勝祝賀会はここでも行われた。
幅広い門のそばを通る。アルコールの蒸気が沁みて目が痛くなる。発酵しすぎた酒を満々と湛えた大きな池が見える。着水した雲のように白い泡を膨れ上がらせ、沸騰する湯と同じ音を立て,鼻を痺れさせる臭いを吐き出している。入り口の両端や池の周りで監視しているブラザーたちの顔が赤い。蒸気だけで酔っぱらうのだ。門の右端から左端まで歩いている間、僕は自らの犯行現場を再訪する犯罪者の気分になっている。ゆっくり歩いていると酒の蒸気で僕も顔が赤くなりそうなので急ぐ。だが記憶を置き去りにして通り過ぎることは出来ない。僕はあれをあんなにも飲んだ。何箇所も記憶が切れている。その間何をしたか。とてもとても気になる。思い出したくはないのだが、思い出そうとする欲求もまた抑えがたい。ブラックアウトの塊がばらけて薄くなってきた。だんだん顔が羞恥で赤くなってくるのがわかる。
あの時、大池の周りは、酔っぱらった生き残りの市民兵士でひしめいていた。
どいつもこいつも酒池に這っていって酒を飲む以外は腰が抜けたようにすわりっぱなしだ。赤黄色く濁った目もすわりっぱなし。顔も体もむくんでいる。独白し、口喧嘩し、眠りこけ、自分の井戸の底に墜落する。中には退行してナイーヴな少年の表情を浮かべている者もいた。吐くまで飲んで、吐いてからまた飲む。回顧談に花を咲かせているのは少数の幸せ者だ。多くの者にとって、戦争の生々しい記憶は、精神を侵食しつづける。酒を飲むことで、侵食と競争しているように見えた。何をゴールとして競争するのか。精神の安寧だろうか。死ぬのが当たり前と覚悟して戦争に参加したはずだが、いざ生き延びて戦後になると、このような泥酔でしか侵食を乗り越えられないのかと思うと、哀れだ。いや、そうではないだろう。手段ではなくゴールがこの泥酔であったようだ。現に泥酔以外に彼らは何もしていない。戦争が死か泥酔かの二つに一つのゴールしか持たなかったのだから、生き残った者の時間稼ぎレースのゴールは泥酔しか残っていない。それがこれからの日常でもある。彼らのマゾヒズムはその定義を超えるほどに深刻だ。自壊を熱望しているからだ。
モーゼは、赤不動明王さながら、全身を朱に染めて、ふらつきながら苑内をへめぐった。僕は一緒に歩くように強いられた。
モーゼは頻繁に池の縁に身を屈めて酸っぱいビールを飲む。僕も最初は勧められたときだけおずおずと飲んだのだったが、ある時点を過ぎると、率先して飲むようになった。ディオニュソスの誘惑力は強烈だ。。
モーゼは兵士達それぞれに声をかけていく。僕は、延々と続く、聞きなれない、ほとんど奇怪な音韻に、興味津々耳を傾けた。