ネヴァーランド
しかし火炎がおさまると恐竜達は右往左往に戻る。
中には噴火に飽きて、池の岸辺に身をかがめ、肺魚を狙うものもいた。
僕も噴火には慣れたが、危機感は失わない。
呆れたやつらだ。僕は興味を失う。
羽音と軋み声が聞こえた。
夜行性の翼手竜が僕を目がけて急降下してきた。
眼もくちばしも真っ黒なので、必死で姿を追っていないと、見失う。
ジグザグに飛跡を変えながら、両足の爪をむき出しにして迫る。目標を見定めているのがわかる。
僕は疾走する。
上を見る余裕はもうない。
羽音と軋み声が追ってくる。段々大きくなってくる。
僕は裸子の巨木を見つけて根方にうずくまる。
翼手竜は、音を立てて枝にぶつかり、空中を一回転して辛くも身を立て直すと飛び去った。
僕の周囲にも背中にも硬い実が降ってきた。
顔を上げた。木の葉が、錐もみ状態で舞い落ちていた。
その向こうに、大きな白い円盤がぼんやりと見えた。
衛星だ。月だ。
膨れ上がった雲が、ゆっくりと横から現れて、月の縁を侵食していく。
さっきの翼手竜の仲間達が、それを背景に乱れ飛んでいる。
ところが、さらに手前に、黒い塊がうごめきながら降りてきた。
月の光で、輝く白線が見えた。
タランチュラが糸の先にぶら下がっていた。
逃げろ、逃げろ。
7)
ほうほうの体でやっと大河の岸辺にたどりついた。
帰ってこれたのは、僕の嗅覚のおかげだ。シャワーや飲料水とは異なる天然の水のにおいを僕は忘れなかった。風に乗ったかすかな兆候に導かれてここまでやってきた。
樹林を透かして、川面がきらめく。月と星が波に砕けて映っているのだ。
地面は陽があまり射さないせいで湿っている。苔むしている
苔は蛍光を放っている。しかし、光の一箇所が、大岩の陰でまず消えた。岩を回り込んで消え、木の根に沿って消えていく。明かりのスィッチが順番に切られていくかのようだ。
黒い染みが揺らぎながら伸びてくる。苔を覆う長いものが這ってくる。僕を五重に巻くほどの長さのムカデが、体をくねらせながら近寄ってきたのだ。
左右のキャタピラがせわしなくうねる。自分で自分の足をよくも踏まずにいられるものだ。口がはさみになっていて、噛み付く練習をするように開閉を繰り返す。
キャタピラとはさみの音が聞こえるまでになった。
僕はダッシュしたが、苔で滑った。震える指の爪を立てて再びダッシュ。
ソテツの林に囲まれた広い草原に出た。
木は一本しか生えていない。僕はその根方で一休みしようと思って近づいていく。
僕の胴体の何倍もの太さの木がそこに佇立していた。
縞模様の幹を見上げる。どこまで見上げていっても枝がない。
大きくふくれた樹冠が先端に鎮座していた。そしてその樹冠は、両眼を大きく見開いてにっこり笑っていた。僕を見下ろしながらうれしがっている。
ヘビだ。
さらに大笑いすると、口が耳まで裂けた。
口から子ヘビを吐き出したと思ったら舌だった。
垂直に立っていた胴が後ろへゆっくり倒れかかったかとおもうと、その反動で僕をめがけて跳びかかってきた。
僕は横っ飛びに身を翻し、ソテツの林へ逃げ込んだ。
背後でヘビが地響きを立てて着地した。
僕は全力疾走する。
ヘビの鱗が土やソテツの茎を掻く音とヘビが口から吐く蒸気音とで僕は発狂しそうだ。
目の前に迫った針葉樹に跳びつき、体育館での訓練どおりによじ登る。
ヘビも胴体を木に巻きつけながら登ってくる。
僕は最初の枝に乗り移ったが先端ぎりぎりまで追い詰められた。
ヘビは鎌首を立て、枝の左右に均等に胴体を垂らし、跳躍に向けてためを作った。
木が土手に立っているので枝の先から地面までたいした高さではないのに気づいた。
僕は跳び降りた。
ヘビも枝から垂れ下がると下半身をほどいて胴体着陸した。
僕は頁岩の壁の上までやってきた。
目をらんらんと光らせたステゴザウルスが、咆哮しながら地響きをたてて突進してきた。
足の裏が地面を擦る音が気持ち悪い。
ヘビが追ってくる。ためらってはいられない。
僕は恐竜の前を横切った。
草むらに飛び込んだ瞬間、背後で破裂音がした。
見るとステゴザウルスがヘビをぺちゃんこに踏み潰した跡があった。生臭い匂いが漂ってきた。
8)
僕はよろめきながら再び土手を降りた。
草の根が脚にまといつき、葉の縁が目を切りそうになる。
元気よく伸びていく草もあれば、腐敗が始まっているものもある。緩んだ草か土か区別がつかない粘液の中を這って進んだ。
帰り道がわからない。
とにかく水辺に沿って上流へ向かう。
ティラノザウルスが交尾していた場所らしきところに来た。安心もするし警戒もする。
しかし、たちまちその判断を疑う。来た時の視点と帰る時の視点は異なるし、昼と夜の差もある。
頻繁に水を飲む。苔を舐め、茎をかじる。暗い水中に潜む海老や蟹を狙うが、とてもその動きについていけない。深刻な恐怖感にとらわれた。死が近づいているのか?
エネルギーの補給と睡眠が必要だ。しかし、今眠るとそのままになる可能性がある。
お父さん、なんでも知っているお父さん、僕はどうしたらいいの?
顎を石に乗せて水を飲んでいるところに、腐った魚のような体臭を発するなにものかが背後から抱きついてきた。なんと冷たい体だろう。吾郎とは大違いだ。
先端が丸まった四本指が僕の胸を押さえつけた。
僕はその指の一本に噛み付いて食いちぎり、川の中へ走りこむ。
指は臭すぎて、反吐と一緒に吐き出す。鼻に反吐が詰まったままになる。思いっきりフンと言ってそいつを吹き飛ばす。
水泳の練習は毎日やってきた。
背泳が得意だ。
僕は時々顔を水面にあげて呼吸をしながら、バサロで逃げる。
ところがしつこい敵も泳ぎが上手かった。
仕方がないので僕は反転して川底までもぐり、岩を抱く。
水音が頭上を過ぎていく。
敵は僕を見失う。
肺に水が入るまで我慢をした挙句、僕は岸辺に戻った。
長々と水と胃液を吐いた。
9)
疲労困憊した僕は、わずかでも睡眠をとりたい。眠らずに死ぬよりは、眠りながら死にたい。この誘惑には抗し難い。僕を陶然とさせるものがあるのだ。
崖にはところどころに洞窟が穿たれている。
空きはないかといちいち下から仰ぎ見る。
甲殻類の赤や茶色の腕や頭が暗がりを透かして見える。うらやましいかぎりだ。
しばらく見ていても生き物の気が感じられない穴がある。やっと空きが見つかった。
恐る恐る中にはいる。たいして深くはなかった。何者もいない。
壁も床も水浸しだし、天井からは水が滴り落ちてくるが、贅沢は言っていられない。
入り口に頭を向け、うつぶせのまま両肘に上半身を乗せてうずくまる。
たちまち睡魔に襲われる。夢の中で再び火山の噴火を見た。音さえ聞こえた。父の声も聞こえた。お帰り、タダヨシ。
だが、熟睡に陥る前に、異質で複雑な機械音によって眼を覚まされた。
入り口いっぱいに甲殻類が立ちはだかっていた。関節が音を立てていた。
関節と関節の間は、赤い甲羅で武装されている。棘がついたリベットが、たくさん打ってある。
短い触角は、鞭のようになびき、長い触角は、剣のように空を切る。それらのむこうで、顔面から肉が長々と突き出て、ぐりぐり動く水色の眼球を支える。