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ネヴァーランド

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枯れ葉を蹴立てて別の敵が現れた。そいつは僕の肩を地面に押さえつけ、首を狙ってきた。僕も、そいつの腕を引いて横倒しにし、首を狙ってみる。こちらには格別の技能がないのだから、敵が最も得意とする戦法を封じるのに集中すべきだ。そのためには、その戦法の実際を知らねばならない。だから敵の噛み方を瞬間瞬間学習し、それをお返しに仕掛けていった。時間稼ぎにしかならないかもしれないが、コツをつかめたり、隙を見つけられたりするかもしれない。そいつは喚きながらよだれを吐きかける。噛まれている足を振り回されるので、首まで揺れて狙いが定まりにくい。時が経っていく。僕の内部に、絶望の湿気が漂い始めた。
耳元で大きな唸り声が聞こえた。首に噛み付こうとしていたやつが神隠しにあったように突然いなくなった。
チャーリーに引っぺがされたのだった。足を噛んでいたやつは、頭を石で殴られて、瓜が割れる音を立て、そのまま動かなくなった。
チャーリーは、死者の口を両手で裂いて、何本もの歯を足から抜いた。死者の頭が横倒しになり、ぬるい脳漿が僕の右足首に盛り上がり、左右に垂れ落ちた。
僕はそれから目を逸らし、四つんばいになったが立てない。
駆ける音が聞こえた。首を上げると、新しい敵がまさにジャンプするところだった。そいつのへこんだ腹と萎れたペニスが見えた。訶っ、と叫びながら、チャーリーに飛びかかったが、使ったばかりの石をもう一度僕の頭上で使われ、顔面の中央が陥没した。
落ちてきた体温の高い死体を尻を振って脇に落とした。
チャーリーは、血みどろになった石を放り投げた。それは土の上を転がって、枯葉の細かな破片と埃を全身にまとわりつけて停止し、うまそうなおにぎりのふりをした。
チャーリーは、四つんばいになって腹の下に頭を突っ込んできだ。僕はチャーリーの背中によじ登った。チャーリーが横を向き、小刻みに首を振った。なんだろう。耳をつかめ、か。
両耳を握った。
チャーリーは走り始めた。ゴローに初めて飛び乗ったときのことを思い出した。ゴローが喧嘩で死んだときのことも。
チャーリーの汗の臭いをいいにおいだと思った。土を踏む振動数と心拍数が二対一だ。においと振動が眠気を促す。あるいは、気が遠くなりかけているのかもしれない。木の枝がたたき、花が花粉をふりかけ、昆虫が衝突する。どれも不快ではない。金剛力士に背負われて、このまま永遠に駆けていきたい……
急に止まったので、びっくりした。見回すと赤目たちに取り囲まれていた。
あっと言う間に万事休す。
チャーリーは威嚇の大声をあげながら僕を巨木の根方に下ろした。腐植土に埋め込むように両肩を抑えた。吐く息は濃厚な茶のにおいがした。僕と目は合わさずに敵を振り向いた。
背中に向かって僕は叫ぶ。
チャーリー、逃げろ。僕などほっといて逃げろ。
敵は、増える一方だ。自分の姿など隠さず、下草から、竹藪から、蔦の間から堂々とたちあらわれる。
もうはっきりとわかった。僕は助からない。
振り仰ぐと、何重にも突き出た木の枝と葉の隙間から、あざのある、オレンジ色の半月が僕を見下ろしていた。
ああ、お父さん、お父さん、なぜ、僕を、見捨てたのっ!
鬨の声が上がった。訶、訶、訶、訶、訶っ!
敵は一斉にチャーリーに飛びかかった。
いくら叩きつぶしても、蹴倒しても、かみつぶしても、敵は後から後からやってきた。
チャーリーの体のあちこちで、皮がはがれ、血が垂れ始めた。戦闘用に尖らせた爪が、深く肉に食い込み、長い傷をつける。白い脂肪が湧いて出て、血がたちまちそれを覆う。敵の中には、隙を縫って僕を攻撃してくる者もいる。そのたびに、チャーリーは、振り返ってそいつを排除する。その時後ろから襲われてダメージを増やしていく。僕は見ていられない。
戦争の意義がどうであれ、火をつけられた憎悪は、自律運動を始め、敵にも味方にも蔓延し、肥大化し、深化し、誰にも押しとどめられない。これこそが戦争の悲劇だ。
僕は空しく叫ぶ。
チャーリー、もうやめてくれ。逃げてくれ。逃げてください。
決定的なダメージが生じた。赤目が椰子の幹から跳んで、頚動脈にかみついたのだ。チャーリーは、上体をふりまわし、敵の口を裂いて振りほどいたが、血は噴出した。
戦いはいつまで続くのか……
急に赤目が引き始めた。こそこそ逃げていく。
いったい何が起きたのだろう。
チャーリーは塔が崩れ落ちるようにその場に蹲った。
僕は急いで這い寄った。チャーリーは、腐植土に左側頭部から突っ伏し、半眼で、鼻の先に咲いている真っ赤な毒キノコを眺めていた。それは崩れかけた獣の糞の上で傘を開いていた。
右肩から右耳にかけて小刻みに痙攣が走っている。
血は、脈打ちながら、こすれる音を立てて吹き出ていた。右の総頚動脈が食いちぎられ、端が傷口からはみ出ていた。血管の中央部が噛みとられて欠損している。
僕は切れた動脈の心臓側を両手の親指で押さえた。たちまち指の後ろから血が押し出てきた。覆った左手の掌に、動脈血が間歇泉のように間をおきながら当たる。僕は、押したまま、左手を閉じ、口を傷口につけた。歯で動脈の端を噛んで血を止めようとしたのだ。
けれど、いくら強く噛んでも、どんなに噛み方を変えても血は吹き出した。僕は涙を流す。
噛んでいる歯と親指が微弱な振動をとらえた。
チャーリーの声帯が震えているのだ。
ぶっ、ぶぶ、ぶー。ぶいぶい。
やっぱり泉の番人だったのか? 僕が水に潜って清水の舞台下まで往復したのを見逃してくれた……
僕は、口がふさがっているので、鼻歌で、歌ってみる。ぶっ、ぶぶ、ぶー。ぶいぶい。
チャーリーの腹が揺れた。笑った?
ぶいぶい。
僕も、ぶいぶい。
ぶいぶい。
えっ、なんだって? ぶ、じゃなくて、ば、なの? 君は、バイバイと言っているの?
涙が止まらなくなった。
体育館で会った僕を覚えているのかもしれない。僕があの先生の息子であることを知っているのかもしれない。
君や、君の仲間達を、ニガーだなんて呼んできて、すまなかった、ブラザーチャーリー。
声帯が震えなくなった。息だけの歌になった。それも止んだ。
僕を横目で見ている。
頚動脈の拍動が、間遠に、そして弱くなった。
止まってしまった。
チャーリーの頭を地面にそっと置いた。僕の本質を見抜いているような横目で,こちらを見ている。やがて眼球移動筋がゆるみ、開いた瞳孔が正面を向いた。瞼が降りてきたが、眼の上半分を覆ったところで停止した。人差し指と中指を伸ばし、瞼を縁まで引き下ろしてやった。
黒い肌一面に、紫色の死斑が浮き出て、またたくうちに満開となった。

バイバイ、チャーリー。

59)

般若心経を唱えて、なったばかりでまだ慣れていないにちがいない死者に、慰藉と感慨を伝えよう。
その最初の一語を口にしようとした刹那、電撃を食らったように僕は悟った。
このお経の内容は、親しい者の亡骸を目の前にして立ちすくむ、後に残された者の、偽らざる実感なのだ。心の底から沸きあがってくる慨嘆なのだ。
あるイメージが湧き上がった。
場所は施設インド。僧房でともに修行していた学僧達の一人が志半ばで死んで、その友が、亡骸を見下ろしている……
僕は誰もが残された者だと気づいた。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦