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ネヴァーランド

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死体たちもまたひし形に分布していた。陣形から飛び出したときよりは、随分面積が小さい。最期はさすがに身を寄せ合ったらしい。それぞれの死体に三、四家族の赤目がとりついていた。
幾本ものアリの行列が枯れ葉と朽木と石を超えて死体とつながっていた。肉食昆虫も死体にしがみついている。蝿や地蜂は、たちまち腹がふくれあがり、飛べなくなって地面に転がり落ちたり、臓物と一緒にかき混ぜられたりした。食べながらひり出す糞尿が周囲に散らばり、糞虫が泳いでいた。歩いて近寄ってきたくちばしの曲がった禿鷲は、執事のように姿勢を正して死体の傍に立ち、時々最敬礼して死角にはみ出た肉をついばんだ。
生が喝采をもって死を歓待していた。
四肢を精一杯広げている死体がある。うつぶせのやつは、逃げ場を失って翼手竜を真似て空中へ飛び立とうとしたのか。今は尻の肉を食いちぎられている。仰向けのやつは、さあもうどうにでもしろと観念したのか。今は腹腔の中にうごめく二つの頭を抱えている。横を向いたままの姿勢で硬直している者がいる。若くて痩せている。ベッドで背を丸めてモニターの教育プログラムを見ていた僕とそっくりだ。違いは、わき腹の皮膚がはがれて垂れ、肝臓がなくなっているかどうかだけだ。
皮膚を裂くのが上手な女がいる。男に仰向けの死体の首を持たせておいて、下顎の歯を喉の下に突き刺し、這って走って恥骨まで一気に掻っ捌く。血が前方に蹴飛ばされて弧を描く。ゆっくり開いていく切り口にいくつもの手と鼻が慌しくもぐりこむ。
死体から死体へ、ネットワークができている。軽めの臓物や身体の部位は投げられる。重いのは抱えて持っていかれ物々交換される。
吐いている女がいる。鼻からも吐いている。最後にどっと吐いてから、またいそいそと食べ始めた。
腸は多くの者が食べやすいように長々と引き出されて腐植土の上で湯気を上げながら蛇行する。まず消化途中だった中身が啜られる。直腸内の糞までだ。さらに腸そのものも食われるが、尖らせた歯には絡まったり、何枚も串刺しになったりする。それを嫌がるやつが、歯を掻きながらヒステリーを起こしている。美味そうなものが腸壁を透かして見えると、取り合いの綱引きが始まる。
肝臓、すい臓も奪い合いが起きるほどの人気部位だ。胃は内壁をそぐ。腎臓は体重をかけてよく絞る。皮膚は、内側の脂肪を掻き落としてから食う。その脂肪を拾って吸う子供がいる。
子供が胴体に直接食いつく例は少ない。脚や腕や石で頭を打ち割った首を与えられる。寝そべって脳の味噌を飲んでいた子が、首を放り出して、隣で上腕に食いついていた子を突き飛ばし、腕を奪おうとした。喧嘩になった。とられそうな子は泣き喚いた。足首が投げられた。泣き声がやんだ。あっさり腕をくれてやった。腕より足のほうが美味しいのだろうか。
ふとおかしなことに気がついた。死体も赤目達も震えていた。
五秒、六秒すぎてやっとわけがわかった。
自分が震えているので、視野もぶれているのだった。
帝国の市民は、労働せず酔っ払い続けて天国の日々を過ごし、戦場に来てまでも、奴隷達によって運ばれた食べ物と酒をとりながら、女房と子供がそばにいるかのように酔いしれていた。大した時間も経たないうちに、彼らは地獄の主役となった。土壇場では泣いたり喚いたりもしただろうが、これを予期していたからこそ、静かな狂気としての日常が成立していたのだ。両者は平衡を保っていた。どんなに異様でも平衡は平衡だ。
このカンニバル大宴会は、まるで帝国市民の深い憐憫の情と尊い自己犠牲の賜物であるかのようだ。食料を投げたことなど、なんともたわいなかった。自らの命を蕩尽することで、相手に労働力を提供させ、従属を誓わせるという互酬の提案、交換の一形態として戦争があるのではないだろうか? 僕は認識不足を大いに恥じるべきかも知れない。
女が大声で叫んだ。僕の隠れている木の傍に、子供、というより赤ん坊が這ってきた。目を大きく見開いている。しっ、しっ、近寄るな。女がまた叫んだ。母親だ。探している。赤ん坊は、枯葉をつかむと、万歳をして撒き散らした。足を投げ出し、祝福するように、僕を見つめながら、二度、三度。母親が走り寄ってきた。赤ん坊の視線を追って、木の幹に張り付いている僕を見つけ、耳をつんざく大声をあげた。
それに呼応するように、山側の方からもざわめきが聞こえた。振り向く。頭がいくつも笹林の上に出たり引っ込んだりしていた。後を追いかけてきた仲間達だ。
更にその後ろから、大きな、黒い塊が走ってくる。チャーリーだ。なぜ?
考えるのはいいが、立ち止まっていてはいけない。
女は赤ん坊を抱きしめて座り込んでいるのか腰が抜けているのかとにかく動かない。僕は罵詈雑言を浴びせられながらその横をすり抜けた。視野の隅で、男達が、次々に死体から顔を上げて立ち上がった。逃げろ、逃げろ。
僕は、鳥辺野を目指して、走り始めた。
湖と平行に進むべきだ。波状攻撃をかけてきているようなので、波と波の間の谷に沿って走るのだ。
後ろの暗い藪に向かって叫ぶ。まっすぐ行くな。こっちに来い。
答えの代わりに、赤ん坊のはしゃぎ声と女の喚き声が、重なって聞こえた。
まだ石灰粉は体についているものの、仲間やチャーリーからよく見えるように、時々両手を振り上げてジャンプする。敵にも見えるがしょうがない。
女のいた辺りから、潅木が折れ、笹が倒れ、肉体のぶつかり合う音が聞こえてきた。
男の唸り声が聞こえた。だれかがやられた。
また聞こえた。長々と続くあきらめの詠嘆は聞くに耐え難いものだった。
僕はひとりごとを繰り返していた。
僕の責任だ。みんな僕が悪かったんだ。引き返して戦うべきだ。
しかし、身体は僕を裏切り、微塵の躊躇もなしに走って逃げる。僕は保身という卑しいエゴイズムに蹂躙されるがままなのだ。
大樹の陰で待ち伏せしていた赤目が、ゆらりと行く手に立ちふさがって、訶っ、と吼えた。そいつの鼻に頭突きをかませ、押し倒し、跳び越えた。
上で葉がざわめく音がしたと思ったら、落下してきた小枝が視野をさえぎり、背中に跳び降りられた。
僕は体を捻ってそいつを木の幹に押し付け、首を出来る限り下に向けて噛み付かれない様にしながら、相手の目を指で突こうとした。何度目かで成功した。そいつは背中から転げ落ち、両手で右目を覆って、木の根に頭を叩きつけながらのた打ち回った。
前方から石が飛んできた。奴らも石を投げるとは思いもよらなかった。面と向かった僕に、石はスロウモウションで空中を這ってきたが、僕は、ひたすら真っ直ぐ走る脚以外は、金縛りにあってしまい、よけられなかった。噛まれた肩の傷に当たった。カウンターを食らった僕は二回転もして仰向けに倒れた。
石を投げた敵が、その勢いのままに襲ってきた。逃走を制しようとしたのか、僕を跳び越える途中で体を入れ替え、着地した瞬間に足を噛んだ。右足の甲と裏が歯でつながった。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦