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ネヴァーランド

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ジャングルは一気に開け、まぶしく輝く白茶けた長方形の土地が現れた。短く刈られた草地で周りを囲まれている。帝国前の広場より広い。ほぼ水平だ。そこに、見たことのない植物が大量に密生していた。薄紫色の萎れた花、炎天下だから仕方がない。ハート型をした緑の葉、ゆらゆら風に揺らめいて。丸い緑の実、だらりとぶらさがって。そして、地中から頭を出している黄土色の塊茎。デンプンではちきれそうだ。どれもこれもでかい。
自然発生したとはとても思えない。木の実食堂とは大違いだ。彼らは栽培という観念を知っており、それを実践していたのだ。市民は働かないとすると、奴隷達が栽培しているのだろうか。
兵士達はその土地の短辺に沿って下っていく。陣形はさすがにかなり歪む。土地は水平なので、左側の崖は下るにつれて、段々高くなる。崖の縁から見下ろしているのはニガーだ。
ヘンなものがある。土地の隅に、杭が三本立っている。狩りの際の獲物を肛門から口へと串刺しにしたのだろうか、醜悪極まるしろものだ。
いや、獲物であるにしては親近感が強すぎる。
腐敗した後に、干からびてしまっているので、よく見ないとわからないが、だから、よくよく見てみると、あれは奴隷ではないか? ここは刑場でもあるのか?
それとも、これから戦う敵方の捕虜であるかもしれない。この栽培地に侵入して捕まり、見せしめとして処刑された。それが戦争を引き起こした…… 
いずれにしてもいやなものを見た。なんの、まだまだ。これが見はじめだ、とも思う。すると更にいやな気分になった。
僕もまた栽培地に沿って、草原を下り始めた。驚いたことには栽培地は一面ではなかった。二面、三面と続いていた。第二の面には、妊婦の乳房のような果実をぶら下げた低木が並び、第三の面には、鞘豆をつけた蔦が枯れ木に絡み付いていた。それぞれにニガーがおり、三本ずつ杭が刺さっていた。
軍勢は三面目の湖側の崖下を左に延びていく。充分延びてから、再び方向を下に向け、ジャングルの縁に近づいた。
ジャングルのはるか奥の方から、聞きなれない鳥の声が聞こえてきた。か、か、か。随分沢山いるようだ。こちらの軍勢と同じ位の幅で広がっている。渡り鳥の群れが水辺に群れているのだろう。
僕の背後で、兵士達が歓声を上げた。陰鬱で、ほとんど朦朧としているやつらが、陽気な歓声を上げるとは異様だ。振り向くと、僕と同じように振り向いている兵士達の視線を一身に浴びて、ニガーに取り囲まれたモーゼが、最下段の栽培地の崖上で、仁王立ちになっていた。白っ子とハットリの姿も上半身だけだが傍に見えた。
モーゼはオペラ歌手のように朗々と歌った。兵士達はそれに和した。僕の知らない国歌だろう。モーゼは更に短いアジ演説をぶつと、あっという間に姿を消した。
僕らは再びジャングルに踏み込んだ。日は既に落ちかけているので、中は暗闇に近く、目が慣れない。
ゆっくり進む。
前方の鳥の声が、か、か、か、か、か、気のせいか、やや大きく聞こえるようになった。
また、ハットリが現れた。ニガーは軍勢から歩み出て、楔形の真ん中で出迎えた。さっきより長い話し合いがあった。結局ハットリはジャングルに戻らず、ニガーに並んでこちらにやってきた。
近くで見ると、眼窩は落ち窪み、体中傷だらけで、左足をわずかに引き摺っていた。疲労困憊の様子だが、一族のプライドか、姿勢だけはよい。僕が最初に見かけたあのハットリもよい姿勢を見せていた。
僕の傍を通り過ぎるとき、ハットリはニガーに耳打ちをした。ニガーは、僕を意味ありげに見た。どういうことだ? やつらとは知り合いではない。このハットリはあのハットリではない。このニガーはあの泉の番人ではない、と思う……
どうも、個の意味がわからなくなってきた。個体が、機能として有効性を明らかにしているときに、個は意味が無いのかな。個的に幾ら振舞っても機能として見られたら個は無いのかな。だから、機能一辺倒の社会では、個は、必要なくなり、個の残存、個の影が、自分勝手に主張しているだけとなる…… なにを? わたし、わたし、わたし! 
ハットリは栽培地のほうへ行ってしまった。恐らくモーゼのところだろう。それを見とどけてから、ニガーが大声で命令を発した。
それを聞いた兵士達はその場にうずくまった。僕も慌ててそうした。
たちまち蚊が集まってきた。僕らは蚊の雲の中に入ってしまう。何を見てもその手前に蚊がひしめいている。急に飛蚊症に罹ったようだ。ところがほとんど刺されない。これが石灰の御利益だったのか!
尻をつつかれた。半分かじった跡がある果実が手渡された。歯跡に血がにじんでいた。一口かじって前へ渡す。茶の小枝も。嗅いだだけで眠気を誘う。パス。スポンジに浸った果実酒が来る。思い切って吸ってみた。こいつはうまい。五臓六腑にしみわたった。さらに、投石用の石が転がってきた。次々にやってくる。土砂運搬作業とは逆向きに、脚の間から後ろに手を伸ばしてつかみ、前の者のケツの下に押し込んだ。
食料と飲料と武器は奴隷から、情報はハットリから、ローカルな指令はニガーから与えられる。兵士達は、集団としてのみ存在するねっとりとしたコロイドだ。奴隷、ハットリ、ニガー、兵士、彼らを僕は個別認識出来ない。
軍隊は巨大な一個のアミーバだ。
こんな状況にいる僕を、父が知ったらどうだろう。
嘆くのか、想定内だと思うのか。
ほめる、は、ないよなあ。
突然スコールが襲ってきて、ジャングルの表面を打ち鳴らした。見えない指揮者がタクトを一振りして、ざん、と交響曲が始まるように。樹木の葉は、その広さ、厚さ、形、質に応じて、無類の多彩な音を立てた。
僕達は、雨粒の直撃はほとんど受けなかった。しかし、埃と花粉と乾いた鳥の糞がたっぷり練りこまれた水滴は享受させられた。
頭が腹にくっつきそうなくらいに身を屈め、青緑色の蘚苔類をつぶさに観察しながら、ひたすら待った。雨上がりを、そして、敵の襲来を。
始まったときと同じような唐突さで、スコールが止んだ。
頭を上げると、ジャングルは、霧に浸っていた。
腐植土に沁みこんだ雨は、熱気でたちまち気化し、空気は水蒸気を持ちこたえられず、生ぬるい水滴が霧となって一気にジャングルを席巻したのだ。
蝉の鳴き声を皮切りにして、動物達の鳴き声による合唱が再開された。
あの鳥の声が、更に大きくなった。いや、鳥達が近づいてきたのだ。いや、鳥ではない。敵だ。前もって勝利を宣言するような、僕達の弱さと愚かさを嘲笑するような、作戦内容をわざとばらして余裕を見せるような、叫び。
樹林の葉が連なって造るドームの内壁に反射して飛び交っているという錯覚を起こさせる。
ジャングルの霧と闇の奥から、必殺の決意を固めた者たちがやってくる。

訶、訶、訶、訶、訶。訶、訶、訶、訶、訶、訶、訶。訶、訶、訶、訶、訶っ!

55)

うっ、痛。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦