ネヴァーランド
食糧倉庫には、乾燥食が、植物性と動物性の二種に大別されて、天井まで積んである。それを運ぶ場合は、木や竹の皮に乗せる。
酒倉には、中央のプールに、果実酒や穀物酒が溜めてある。僕とヒトミは、酒倉に配属された。壁際には、瓜科の植物の果実を割って乾燥させたタワシが山盛りになっている。軽くて、スポンジのようだ。それらをプールに浸す。酒を吸って重くなったやつを、やはり木や竹の皮に乗せて引き摺るのだ。
朱雀大路から歓声が聞こえてきた。倉の入り口に出て左を見ると、ニガーたちに囲まれ、小山のようなモーゼが、行進していくところだった。
僕らは、倉庫前に並んで、食料と酒を大路に向かって引き摺り始めた。
大路に出ると、ちょうど朱雀門から出てきた男たちの先頭に出くわした。五列縦隊に並び、延々と続く。男たちは、低く掛け声を掛け合っている。もう目が据わっている。既に出来上がっている。
僕らは大路の端に寄って、彼らと平行して進む。他の横道からも奴隷が出てきて、僕らの前後に並んで進んだ。ニガーが交通整理をする。壁際にへばりついた女と子供達が歓声を浴びせている。
そして、その時、吹き矢を吹くような音がした。
僕の目の前を、放物線を描きながら、男たちに向かって、何かが飛んだ。
間をおかずに再び飛んだ。
歯だ。
葬儀の時に、集まった市民達が、死者に向かって飛ばした。
どういうことだ?
男たちは死者じゃないぞ。
……僕は今や理解した。背筋に寒気が走った。
これから始まるのは祭りではない。
戦争だ。
53)
僕は、暗澹たる気分で、歓声と歯と茶が飛び交う大路を進む。戦争が近まっていたことに気づかなかった自分を愚かだと思う。土壇場までモーゼ達がしらばくれていたのかもしれない。しかし、見る限り、反対している市民は誰もいない。全員の合意が前々から成立していたようだ。完全な洗脳済み社会に僕は迷い込んだのか。
帝国維持の手段が戦争であることはわかっていた。こうなるまえに、何らかの行動は出来たのではないか。
この期に及んで、一介の奴隷が、戦争を阻むことなど出来ない。やめろ、と言っても、通じやしない。ニガーにも、市民にも、当然モーゼにも、相手にされない。身体をフルに使って、身振り手振りで示しても、やはり通じない。万一通じたとしても、黙殺されたり、暴行を受けたりはまだいいほうだ。反逆罪で死刑になるかもしれない。
段取りを間違えていたのだ。病気の蔓延を防ぐために、新しい水場を確保し、火葬システムを作ることにかまけて、だいじなことをおろそかにしていた。
だが、気がついた。
だいじなこととは、戦争を阻む行動ではなく、なぜ戦争をしてはいけないか、という論理だ。僕から見れば異常な、自分たちはまっとうだと信じている帝国市民すべてを、説得できる用意はあるのか。彼らが必要とする戦争に対する、僕からの代案は何だ。言語によらない、ジェスチャーにもよらない、一匹の奴隷からの説得がありうるのか。
得意の自己詰問にしばし時間を忘れてしまった。
羅城門を過ぎて、ホールに入った。そこではお祭り騒ぎが繰り広げられていた。大音響が炸裂していた。
湯気と埃と熱気が立ち込め、天井から僕の頭や背中に滴る水滴さえも普段よりぬるい感じだ。
だが、兵士達は真ん中を黙々と進む。
ホールの左右に舞台がしつらえてあり、左側では少年達、右側では女達が踊っていた。
左側の舞台は、枯れ草とドライフラワーを敷き詰めてできている。それは厚いクッションとなって、少年達を宙に跳ね上げる。二手に分かれて前転、後転、横転を続ける。トゲを踏んで痛さのあまりに異様に跳ね上がる者がいる。時々相手に跳びかかる。跳び蹴りあるいは頭突きを食らわせる。模擬戦闘を演じている。くんづほぐれつ舞台から転げ落ちると、新手が登場する。これを繰り返す。
右側の舞台は、乾いた砂と泥で出来ている。女達はすり足で優雅に踊る。腰を落としたり伸ばしたりするたびに、乳房が上下に跳ねて、時々乳がほとばしる。回転する時は、乳が白い点線となって中心軸から振りほどかれる。彼女らは、普段は子育てに忙殺されている主婦だ。乳牛のように、いつも妊娠していて、子宮の空く暇がない。ところが、今だけは、身をくねらせて妖艶な踊りを披露する洞窟の女王だ。
彼女らの背後には主に少年からなる楽隊がうずくまっていた。小石や木の枝や貝殻を打ち合わせてカスタネットにしている。弦楽器や管楽器はない。その代わりに、うめき、吼え、裏声を上げ、周期的に一斉に舌を鳴らす。たったったったったったった。
合唱隊が楽隊の背後に並んでいる。ヨイトマケよりは威勢のいい軍歌を歌う。戦闘場面が舞台で演じられているので、かろうじて軍歌とわかるのだ。樹林が風に揺すられるように、ぐらりゆらりと集団がゆらぐ。女性と少年からなるコーラス隊による軍歌など、冗談のように思えるが、新鮮な、この世のものとは思われない叙情がある。兵士を既に死者とみなし、哀悼のための悲歌を歌っているかのようだ。
そのまた回りには、腹を張らした女と飛び跳ねる子供がひしめいている。それぞれが勝手に喚いている。あちらこちらで女が茶の枝を頭上に振りふり踊っている。
僕は醒めた者がいないものかと探してみた。近い将来の自分の姿を見ながら、黙って憂鬱そうに突っ立っているモラトリアム少年はいないか。狂騒から浮いているやつはいないか。
無駄だった。
すべて歓送者だ。我を忘れて騒いでいる。
ニガーの女房達は、自分の子供と、仕えているうちの子供と両方の世話で大童だ。
老人達も子育てに協力しているので、点々と姿は見える。老いた男たちは生き残りの兵士であり、老いた女達は生き残りの経産婦だ。
彼らは、負担になりかけたら、すぐさま捨てられる。ここに出て来られた者達は、有用性を保って、サヴァイバルを勝ち抜いてきたのだ。
外に出た。
午後の太陽に目がくらむ。反射的に目を閉じて、眼底の痛みが去るのを待ってから、ゆっくりと開けた。
薄青色の中天に、入道雲が立ち上っていた。下から天辺まで見上げていくのにちょっと時間がかかる位巨大だ。西日から返り血を浴びて右半身が血まみれといった感じだ。
一斉の蝉の声は読経じみていて、腹にこたえる。
密林の甘酸っぱい臭いが生暖かい東風に乗って漂う。
兵士達は、広場の中央に進み、僕達は広場の縁に沿って左右に分かれる。僕とヒトミは、左側だ。行く手には、あのおぞましい蛇の籠が見える。
蛇の首は、普段は、ホールの中、出口の傍らに置いてある。専従のニガーが監視している。時々上に坐っているが。今は清水の舞台にあった。
うっすらと漂う鳥辺野の白煙を背景に、モーゼは、アジ演説の真っ最中だった。
背後の入道雲のように屹立し、やはり、西日を浴びて血だるまだ。その形相はものすごい。
巨体はジャンプし、そのたびに、蛇の髑髏が、歯をうち鳴らしてそうだそうだと相槌を打つ。
空洞の蛇の眼はあるものを見据えていた。
広場の真ん中に、石灰の山が築かれていた。突如現れた白無垢のコニーデ火山だ。
粉塵は木や竹の皮に乗せて、塊は転がして、裏山から奴隷が運んでくる。
塊は、歳のいった男達が、ぶつけ合って細かくする。