小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ネヴァーランド

INDEX|36ページ/98ページ|

次のページ前のページ
 

この、奴隷同士には特異な関係は、彼らにとって怪しく、しかも新鮮であるらしかった。単調な生活に対する香辛料や慰みとしての効果もあった。それを維持するのに、特に努力は要さず、からかうだけでいいのだから、興味深いこととなりかけていたようだった。
ところが、僕が、さっぱりと身ぎれいになって、市民の外貌を露わにしたので、あいつはやっぱり上の階級の者だったのか、と気落ちしたのだ。
腹いせにまたいじめてやろうと思いかねない。
市民から降格された奴隷もたまにはいる。罪を犯して、死刑にはならなかったが、市民権を剥奪されたのだ。やつらは、もとからの奴隷と異なり、僕と決して目をあわせない。同類を嫌がっている。
そういう態度はわからぬでもないが、僕の採るところではない。
相手が気づこうが気づくまいが、そんな同輩を見かけると、ちょっとした会釈を送ることにしている。

僕は、ずっとじろじろ見られている。
かまわず、目下の土砂運搬仕事に励む。
僕の心の中にも、鳥辺野の煙が立ち、清水の舞台を包んでさらに昇り、煌々と輝いている下弦の月を、徐々にかすませていく。

52)

これで何度目だろうか。僕は睡眠中に襲ってくる強い動揺感によって、目を覚ましてしまった。聴覚と三半規管に生まれつき若干の畸形があることは心得ている。しかし、この動揺感は、施設日本にいた時には経験しなかった。脳梗塞か脳溢血の前触れなのかもしれない。若くて痩せていても、血管障害はありうる。過酷な労働のせいなのか、木の実食堂での食事が偏っているのか。
単に精神的なものから来ている可能性もある。単にでは済まないが。
僕は、施設を出て以来、星空を見上げると、いつも不安に駆られる。遊弋する惑星に、振り落とされまいとしがみついている逆さ吊りの自分を想像して、危うく冷や汗を流しかけてしまうのだ。宇宙を揺らぎながら巡る地球から、今にも放り出されそうな、あの感じ。それに通じるものを睡眠中に味わった。昼間、星が見えず、地上の繁栄の中にあって太陽に祝福されている時には、ちっともそんな感じは持たない。夜、無数の星を見ると、こみ上げてくるのだ。地動説は、夜に思いつかれたに違いない。そもそも、同型の、あるいは均一のものが、繰り返して多数現れる状況でのみ、科学は生まれる。
今回に限っては、もっと単純な物理的な原因によるのかもしれない。足音が遠くから聞こえてくるからだ。だれかが走ってくる。岩床ベッドに押し付けていた僕の耳が、眠っているうちからそれを聞きつけていたのだろう。
荒い息をつきながら、ニガーが部屋に駆け込んできた。大声で喚いた。
僕らは慌ててベッドから這い出し、整列した。
点呼もそこそこに、ニガーは僕らを先導して、西へ走っていく。僕らは、わけもわからずついていく。いや、わけがわかっていないのは僕だけだろう。
以前、葬式に駆り出された時も、朝食は与えられた。今回はない。落盤でも起きたのだろうか。なるほど、その落盤のせいで僕は動揺感を味わったのかもしれない。

僕らは久しぶりに三条通を辿る。ニガーの首の後ろにめり込んだ深い皺を見ながら走る。そのニガーが時々大声を出して道を空けさせる。ヤツの皺が機械の接合部のように軋って、そこから、垢の溶けた汗と思われる濃い液体が背中に垂れる。
まだこんな時間なのに通りは女と子供で混雑していた。普段彼らは家の中に引き篭もっている。珍しい光景だ。全員が朱雀大路を目指している。なにやら浮かれた様子だ。女達のおしゃべりの声が大きく、キーが高い。落盤ではなかったようだ。お祭り騒ぎの前兆とみえた。大路で揃って踊りでもやるつもりなのか。男たちは既に準備のために出てしまっているらしく、姿が見えない。僕らは、手が足りなくなった彼らの手伝いをさせられるのだろうか。
心臓がドキドキしてきた。ヘレンの住処の前を通ることになるからだ。
僕は何度かあそこに侵入しようと試みたが、ことごとく失敗した。ニガーを撒けたのはあの僥倖の一回きりだ。タコ部屋のある周辺部と違い、大内裏に近い辺りは、市民の住宅地区で、奴隷がうろつくとたちまち見つかってお仕置きを受ける。僕は逮捕されなかったものの、小さな失敗を繰り返した挙句、現段階でこういう方面の問題で大きなドジを踏むのは不利だと判断して諦めた。泣く泣く優先順位に従ったのだ。
なぜヘレンに会いたいのか。ヘレンとつぶやいただけで、アンドロゲンが血中を駆け巡り、射精しそうになるせいもあるが、あの赤ん坊をよくよく観察したいという欲求もあるのだ。観察してどうするのか。僕の子かどうかを、身体的な特徴から判定する。僕の子であったらどうするのか。教育する。あの子にとっては余計なお世話だろうが、僕にとってはこの欲求もまた性欲と比肩できるほど、耐え難いほどに強い。考えてみれば不思議な欲求だ。教育者としての父の習性が移ってしまったのだろう。何をどう教育するかについて、身の程知らずにも、時々思いを巡らすことさえあるのだ。
目印である苔むす土塀の破れ目が見えてきた。赤や黄色や水玉模様の毒々しいキノコ類が土塀に沿って生えている。植えてあると言った方がいいのだろう。
たいていの住居は、施設日本の高層アパートの部屋と同じように、通りに面してすぐに入り口が開いているが、たまに、土塀で囲まれている場合がある。土塀の入り口と部屋の入り口をずらして造ってある。そういうところには、上流の者が住んでいる。だが土塀が通りにはみ出しているので、衝突を受けやすく、傷んでいるものが多い。修繕しないほうがむしろ粋であると、住人が洒落めかしている節もある。せっかく直に外から見えないようにとの配慮から造られたのに、破れ目や崩れから、中は覗けてしまうことが多いが、場合によっては確かに趣がいや増す。ヘレンのところのように。
通りを歩む婦女子らにさえぎられながらも、一瞬、隙間から中を覗いた。門を通り過ぎる時にも何とか斜めから様子が窺えないかと、殆ど立ち止まりかけたので、後ろの奴隷とぶつかってどやされた。
だれもいない。赤ん坊と乳母を連れてお祭りに出かけたのだろうか。

朱雀大路は混雑を極めていた。
女達は、赤ん坊を抱えたり、子供を周りで遊ばせたりしながら、おしゃべりに興じていた。噛んでいる香草を無作法にも時々口から地面に吐き出す。僕が蛇の胎内を走っていた時に初めて嗅いだ、よい匂いを立てる草だ。市民やニガーは普段チューインガムのようにこれを噛む習慣がある。奴隷には手に入らない。ところが、木の枝を扇子のように使いながら、それに噛みつく女を見つけた。枝には、縁がぎざぎざした濃い緑色の葉がついている。それを噛んでいる。初めて見た。香草ではなくて、薫り高い木の葉だったのだ。僕はやっと気がついた。彼らのチューインガムは、ティー、茶ではないか? それなら僕も施設で飲んだことがある。しかし、こんなに上等なお茶ではなかったと思う。
僕達は、女と子供を掻き分けながら、大路を渡った。右のほうの突き当たりにある朱雀門は大きく開かれ、土ぼこりの上がる内裏には、男たちが群れている。姿の見えないモーゼが、大声で祝詞のようなものを唱えているのが聞こえた。そろそろお御輿が出発するのだろうか。
僕達は、倉庫街に入る。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦