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ネヴァーランド

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奴隷がニガーに尻を蹴られて、坂道に転げ落ちた。踏み固められていない土砂の山は、奴隷の手足を飲み込んだ。こけつまろびつ下までたどり着いたそいつは、作業の後の渇きを癒すために、鴨川目指して岩床を走った。水をむさぼり飲んだ。それを見て、自ら坂へ飛び降りる者が続出した。
僕は、戻れ、もどれと大声で叫びながら、奴隷達を必死に押し返そうとした。
無駄だった。僕自身が、群集に押されて転落しそうになった。
遠くから、油の切れたちょうつがいの音が聞こえてきた。
大変だ。
その音の主は、やたらと多い。
大路のざわめきが途絶えた。誰も坂を降りなくなった。
ちょうつがいの音に混じって、喜びいっぱいの奇声と、くぐもった重たげな羽音も聞こえる。急速にそれらの音は強まり、耳を聾するばかりとなった。
翼と背中で天井をこすりながら、怪鳥の群れが飛来した。
洞窟内からも僕の周りからも、一斉に悲鳴が上がった。
ニガーに囲まれた小モーゼが、群集を蹴飛ばして逃げ始めた。
パニックだ。誰も彼も逃げる。転んだ者を踏みつけ、前の者を引き倒し、全力で走る。
僕は、壁に身を寄せて動かない。傍らにヒトミがいた。僕に体を押し付けてきた。震えている。僕が、かもしれない。
たちまち大路には僕達以外はだれもいなくなる。
僕とヒトミは関門の縁に立ち、大音響をたてて演じられている眼下の惨劇に向かって、無茶苦茶に石を投げつける。手が震えて、何度も石を落とす。
逃げ惑う奴隷を追って、何頭もの翼手竜が殺到する。空中でもみ合いになる。獲物に向かっては、足の爪を使うより、直接噛みつく場合が多い。咥えて振り回し、地面にたたきつけて、ほんの少し食うと、すぐ舞い上がり、別の獲物を狙う。後からあとから翼手竜が飛んできて、既にいる者達の隙間に首を突っ込む。
洞窟の床が、もこもこ波打つ黒い翼のパッチワークで覆われた。
懸命に坂を登ってきた奴隷が、大路に片手をかけ、あと一息というところで、翼手竜が背後に舞い降りた。翼を開口部いっぱいに広げ、目を赤々と光らせながら、牙をむき出して首をかしげると、奴隷の後頭部を咥えた。羽ばたきによって送られる、冷たくてゴミ臭い風が、手を差し伸べた僕の体に当たる。僕はしりもちをついた。奴隷は悲鳴を上げて空中で体を伸縮させながら、あっという間に、捕獲者とともに姿を消した。
僕は、投石が無駄であることを悟り、身の危険を感じ、これ以上見るに堪えられなくもなって、ヒトミとともに逃げ出した。
二条まで戻った。そこは、逃げた者たちが、集まって来た野次馬と衝突し、混雑を極めていた。
群集に紛れ込んだところで、また一斉に悲鳴が上がった。後方から、ちょうつがいの音が追ってきたのだ。振り向くと、天井や壁にぶつかりながら、一頭の翼手竜が迫っていた。
通路が、狭すぎるので、飛べない。引き摺っている翼の縁がところどころ破れている。翼の半ばから前足が突き出ており、その親指についている鉤爪で、ヒステリックに左右の壁を掻き毟る。体だけでなく顔面もニガーより黒い。鼻の脇のひげを振り立て、耳まで裂けた口を開け、棘状の歯を剥き出しにする。耳をつんざく鳴き声には絶望の響きがある。 
僕とヒトミは封鎖した後の横穴に駆け込んだ。
すぐ傍を、迷路にとらわれて発狂した怪物が、走ったり跳んだりしながら、どたばたと通り過ぎて行った。
しばらくたった。遠くで歓声が上がった。
僕らは、道に残る血痕と糞尿を辿って、烏丸今出川にやってきた。
悪臭漂う四辻の真ん中に、仰向けになった怪物の死体があった。
取り囲んだ市民達が解体作業をしながら、湯気の立ち上るはらわたを食っていた。まだ消化されていない仲間の腕が見えたが、彼らは気にかけない。食べかすを、運搬作業に戻った奴隷に投げる。奴隷はそれに飛びつく。
僕は、眼を逸らした。口の中、こめかみの少し下がむずがゆくなった。腹筋がこわばった。足もとに、少し胃液を吐いた。

僕はその日の夜から、タコ部屋を抜け出して、関門に行き、遅きに失した観察を始めた。ヒトミがついてくる場合もあった。
以前は水音しか聞こえなかったが、騒動の後は、翼手竜の羽音や鳴き声も聞こえるようになった。新たな餌場を発見したので、居留地を洞穴の出入り口付近からこちら近くに移動したからだ。関門の傍はさすがに寒過ぎて嫌ったようだ。
下に降りて危険な実態調査をする必要がなくなった。
僕は自分の心臓の鼓動を、一拍一秒とみなし、翼手竜がどの時間帯に洞窟を留守にするかを計った。
心拍数を数える行為は、かつてノイローゼの原因となった。それを意識的に復活させると、再び強迫行為にしてしまう恐れがある。僕は怖気づくが、以前克服できたのだから、今回、もしそうなっても克服できるだろうと、楽観的に考えておくことにした。
数を数えるのと並行して、開口部の端から土砂を積み上げていった。岩の破片を組んでから、粘土で塗り固めるのだが、すぐ崩れてしまう。まことに、破壊は容易だが建設は難しい。
東大路で土砂運搬作業するときには、開口部のそばに陣取って耳を澄ました。
その結果、夜の観察から、やつらは、日没前約五千五百秒頃に出て、日の出後約五千五百秒頃に帰ってき、運搬作業中の観察から、日没後約五千五百秒頃に帰り、日の出前約五千五百秒頃に出ることがわかった。
僕は、作業が終わり、食事が済むと、すぐ眠り、日の出後約五千五百秒頃に目を覚ますと、開口部で壁の再生作業をしながら番をする。
水を飲みに来る者がいれば、市民であれ奴隷であれ追い返す。彼らには、羽音や鳴き声が聞こえないらしいのだ。僕は精一杯大げさに、体と声とで翼手竜の真似をする。ヒトミがいるときには、競演する。
日の入り前に部屋に戻り、短い睡眠をとる。
東大路の作業に何とかもぐりこむことに努める。ニガーにどうしても邪魔される場合は、致し方ない、神に祈るばかりだ。
左京の冷帯化が進んできて、市民が住居を右京に移すようになった。住居跡は奴隷のタコ部屋になった。以前からあった住居地域の区分がさらにはっきりしてきた。
ある時、再生作業が、僕のいない間に進んでいるのを発見した。
彼らはやっと気がついたのだ。
再生は進み、ついには大路の半分ほどの幅まで狭まった。冷帯化は、北左京で止まった。
彼らは水を飲むのに安全な時間帯もわかってきたようだった。

疲労困憊の果てに、望んでいた状況が、ようやく実現した。しかし、そのための犠牲は大きかった。敵の、また、仲間の、これまでゴマンと見てきた残酷さを、また見てしまった。
僕は、少女のように、いちいち悲鳴を上げはしないが、残酷さに慣れてはならないと思っている。
だから、僕の自責の念をかきたてる材料がまた増えた。
チクッた奴隷が悪い、小モーゼが悪い、悪鬼の鳥達が悪い、その他大勢含めて、みーんな悪い…… けれど僕が一番悪いらしい。いつもそう思ってしまうのだ。
責任感と自責の念とは異なる。前者はポジティヴ、後者はネガティヴな感情だ。僕は責任感をモチヴェーションとして行動にとりくみ、とった行動を反省して自責の念を持つ。
今は反省の機会だ。湧き上がってくる自責の念は、時を経るにつれて大きくなる。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦