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ネヴァーランド

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食事と水飲みの後、僕とヒトミを含めて、部屋にいる者の半数が、ニガーに率いられて四条通を右京に向かった。
途中、ヘレンの住居の近くを通った。
しばし妄想にふけらざるをえない。
朱雀大路は、以前何度か横切ったことがある。さすがに人通りが多い。
下水に張り付いている奴隷以外には、男の有閑市民がうろついている。女や子供はいない。酔っ払いがかなりいる。いつも思うが、不思議な光景だ。
大路を過ぎると、食糧倉庫と酒蔵が多い。奴隷の宿舎は、ほとんどない。
食糧倉庫には、木の実や木の皮や芋等の植物性のもの以外にも、ミイラ化した動物や魚や昆虫が積んである。
酒蔵には、木の実や果実の漬け込まれたプールが部屋の中央に掘られ、酒と香の臭いでむせかえっている。貯蔵中に発酵して酒が自然発生的に出来たのか、意図的に醸造されたのか、定かでない。
暇をもてあます男たちがプールを取り囲んで、飲んだくれている。足元で奴隷が、そいつらが吐くゲロを手で床からこそぎ落として、下水にはけているのに。
西大路の手前の一戸に、群がる者達を掻き分けて入った。
死者が床に並んで横たわっていた。
年寄り3、成年の男、女、各1、子供4、一家全滅だ。外傷は見られない。病死者だ。食あたりか、伝染病か。
僕らはこれらの死体を運ぶために来たのだった。
奴隷が死んだ場合は、土砂運搬の流れに放り込まれ、蹴られに蹴られ、泥まみれの団子となって捨てられる。この一家のような市民は、木の皮に乗せられて運ばれる。
儀式らしいものはない。僕にしがみついているヒトミ以外は誰も泣かない。そのヒトミも泣き止んだ。
しばし静かだ。
沈黙を破って、吹き矢を飛ばすような音が聞こえた。
僕の目の先を、何かがきらめきながら、放物線を描きつつ、空をかすめた。
誰かが、死者に向かって、口の中の自分の歯を吹いたのだ。岩にたたきつけて折り、口に含んで吹き飛ばしたのだろう。
僕は、自分の欠けた歯の跡を、舌で撫でながら、体が熱くなってくるのを自覚した。
同様な行為が続いた。それらの歯は、乾いた吐しゃ物がこびりついた死体の腹や胸に落ち、転がらず、音もたてない。
歯の根元で、血が赤く、生々しい。
僕は興奮状態に陥った。
取り囲む者達それぞれを、深い関心を持って見つめていった。
ふだん、男達は、飲んだくれのなまけものだ。女達は、子育てに忙殺され、なりふり構っていられないおかみさんだ。
ところが今この瞬間、彼らは全く別の相貌を露わにしていた。威厳を感じさせるほどに身動きひとつせず、黙って死者を凝視し続けるのだった。
僕が眼にしているのは、集団の共有する同一の感情の発露だ。あるいはモラリティーの表明だ。僕がこうむった見せしめのための暴行や嘲弄とは天地のひらきを持つ、死者への篤い弔い感情だと思われた。
ニガーたちは、部屋の外で交通整理をしている。彼らの命令のもとに、強制されているわけではない。だから、彼らの態度は自発的な、心からのものだとも思えた。
だが、僕は、習俗としての機械的なものである可能性も残ると、自らに、冷水をかけるように、言って聞かせた。何らかの判断を下すときに、このように対立項を立てることを、僕は習慣として、忘れないようにしてきた。
結局僕は、この場だけでの甘い評価を慎むことにしたが、彼らの複雑さは認識した。
ニガーに促され、僕らは、木の皮に乗せた死体をひきずって、外に向かった。彼等はその場を動かず、死者を見送る。
外は真っ暗闇だった。
いくつかの同じ作業を見た。他にも死者が出ているのだ。?団子?も入れると、かなりの数だ。感染が広まり始めたのか。
死体を崖の先端から投げ込んだ。二秒ほど過ぎて、遠い激突の音が聞こえた。次々に投げた。この「清水の舞台」は、見張り台でもあるが、死体投下の場でもある。下の様相を想像したくない。
僕は心配だ。舞台の下の死体が病原菌に侵されているとする。
動物がそれを食べ、我々がその動物を狩って食べる場合がある。あるいはその動物が野垂れ死にし、その死体を見つけて食べることもある。そうすると菌は指数関数的に増殖しながら我々と動物達の間を循環するだろう。
肉食を禁じる必要が出てくるかもしれない。だが、その必要性を訴える手立てはあるのか? 
何度も試みては挫折してきたが、彼らの言葉を身につけざるを得ないのではないか?

48)

翌朝、僕は誰よりも早く起きた。
前の晩、寝しなに練った行動計画が、目覚まし時計の役割を果たしたのだ。
うまくいくかどうか。計画を反芻しながら、しばし寝床で待機してから、おもむろに床に降りた。
僕は興奮を回りの者に気づかれないように、まだ寝ている者を起こさないように、粛々と朝の掃除にとりかかる。ヒトミを含めて数名がやはり掃除を始めた。
刑務所に模範囚がいるように、今や僕は模範奴隷だ。
今朝ほどではないが、早起きは習慣化した。前の日どんなに疲労しようと、寝坊はしない。夜中に忍び出て睡眠時間を削ってしまった前日の朝が、危うく例外になりかけたが。
作業に手抜きをしない。
僕らは、廃棄物運搬作業以外にも、ありとあらゆる肉体労働を引き受ける。帝国のインフラは奴隷労働でもっているのだ。奴隷がインフラそのものだ。
僕は労働現場において、ケチがつけられないように振舞う。今後の行動の足を引っ張るようなマイナスの印象を周囲に残さないように気遣っている。
その結果かどうか、ニガーたちが僕をいじめる機会は減った気がする。同室の奴隷達も、僕に対する嫌がらせを頻繁にはしなくなった。僕が、そうされても慣れてきたので、やりがいがなくなったせいもあるだろう。
僕が属する班全体の待遇もやや向上した。食事と水飲みは、作業の前後二回とれるようになった。僕がもぐりこんだ班が、そういうところだったと言った方がふさわしいか。
部屋割りは、人足の大まかな頭数あわせをする程度の雑なものなので、僕はこっそり移動できたのだった。
相変わらずの夜間労働だから、僕らの朝というのは、外の世界では夕方にあたる。
星が瞬き始めた紺色の空の下、木の実食堂で腹を満たした後、泉で水を飲んでいるとき、僕は不思議なものを見た。
黒い大きな塊が、水面に現れたり、水中に沈んだりしながら、悠々と泳いでいた。淡水ジュゴンかと思われた。それは、ゆっくりと体を捻り、鯨が潮を吹くように水を噴き上げると、ぶっ、ぶぶ、ぶぶー、と歌ったのだ。
ニガーが泳いでいる!
施設日本のプールには、仲間が利用した痕跡はなかったと記憶している。ほとんど僕専用になっていた。
大長征の過程で、雨に降られ、川を渡っているうちに、水に適応したのだろう。
僕は耳を澄まして、その歌の文句を聞き取ろうとする。
いつもの怒鳴り声ではない、聴いてくれと訴えているようなリフレイン。
彼らの言葉を覚えるいい機会だ。
僕は、ある種の見当がついたので、ぶーぶ、と大声で応じてみた。
その黒ジュゴンは、泉の真ん中で仁王立ちになると、怒鳴り声を上げ、声の主を見つけて懲らしめようと、太い首を左右に捻った。
僕は、ライオンから身を隠そうとするダチョウが、砂の中に頭を突っ込むように、あわてて水に顔をつけ、自分の軽薄さを罵倒した。
今日の作業場は、河原町今出川を上ったあたりにある。
作品名:ネヴァーランド 作家名:安西光彦