ネヴァーランド
目と目の間がいやに広く、頬骨が張り出しており、耳たぶが尖り、身体の骨格バランスがずれている。異民族の特徴が出ている。
僕はこの少年を知らない。なぜ少年はここにいて、僕を助けたのだろう。
少年は、僕の意図が何か、探っている。
彼は、壁に額を押し付けて、両手で空を掻いて見せた。堀削する僕の真似だ。
ははあ、思い出した。堀削していたとき、となりの列で、肩車されていた奴だ。僕が後半肩に乗って作業していたときは、僕の列に入り込んでいたと思う。昨夜寝入るとき、ベッドが隣り合わせだった。
僕は誰にも知られずにベッドを離れたと思っていたが、少年が後をつけてきたのだ。
僕は少年に近寄り、ありがとう、と何度も言いながら、手をとった。少年は、さらに眼を輝かせ、頬を真っ赤にして、にぎり返してきた。
僕は、床から泥をさらって、窓をふさぎ始めた。
翼手竜達が通過するほど充分大きな開口部が、窓の向こうの洞窟のどこかにある。
僕は施設の暗渠の端に続いて、また、ウィンドウを見つけた。さらにその奥にまたまたウィンドウを見つけることになるはずだ。
この少年だけでなく、すべての奴隷を脱出させられる自由への道だ。僕は脱出するつもりはないが。
翼手竜が邪魔だ。ニンテンドーさえあれば……
細い足が、泥を押してきた。少年は泥集めを手伝ってくれた。
窓をふさぐ作業が完了した。縁の部分をなすって、よほど丹念に見ない限りわからないようにした。現段階では、この少年以外に、窓の存在を知る者があってはならない。
タコ部屋に帰る途中、少年は跳びながら僕の前や後になって、僕のしぐさを真似た。
僕が大きく肩を揺するところ、頭を強く振るところ、わずかに内股であるところ。次々に繰り出した。よく似ていると思った。自分が自分に出会ったような羞恥と驚きを味わった。
彼は、一瞬も手を休められなかったはずの作業中にもかかわらず、頻繁に余所見をしていたにちがいない。
僕の腹筋が痙攣を始めた。抑えられない。久しぶりの笑いの発作だった。声帯が震えないように、困難な大笑いを強いられた。
少年は、追い討ちを掛けてきた。仁王立ちになって、オー、マガッ、とボーイソプラノで怒鳴ると、唇の右端を上げて、舌ったらずの舌打ちをした。
何のことだろう。オウムがどうしたって?
少年は、得意そうに、それを繰り返す。
段々、その音声が親和性を帯びてきた。ああ、わかった。僕の口癖を真似ているのだ。
Oh! My Gosh!
僕は大声で言い、舌打ちをした。少年は小躍りして喜んだ。
少年は、鸚鵡のように、人の言ふらむことをまねぶ。いとあはれなり。
僕は、思いがけなく湧き上がった解放感を享受し、二人の間のぬくぬくした狎れの感情を寛大に許した。
僕達はタコ部屋に足音を忍ばせて入った。皆眠っている。聞こえるのは歯軋りといびきと鼻水が鼻腔を行ったり来たりする音だけだ。隣り合ったベッドの一方に少年がもぐりこんだ。僕は、おやすみ、とぎこちなくつぶやいて、自分のベッドについた。
意外にも、誰かにおやすみと言ったのは、それが生涯で初めてだった。父には、何度も言われていた。おはよう、タダヨシ、は毎朝だった……
まどろんだかと思ったら、横腹の辺りがくすぐったい。
いつのまにか、少年が、僕のベッドに横たわっていた。顔をむこうに向け、尻をこちらに突き出し、左手で僕の腹を、わずかな圧をもかけないように用心しつつ、まさぐっていた。やがておもむろにその手は僕のペニスにのび、それを掴んで、括約筋でカチカチに閉じられた肛門に押し当てた。
いったい、何を、教わってきたのだ。
こちらにはその趣味はない。少年の手首を強く払った。
少年の体に、痙攣が走った。静かになった。やがて、かすかな啜り泣きが始まった。息を吸うときは、可愛らしいしゃっくりが連続した。僕は少年の耳たぶを唇で抑えながら囁いた。
いいかい。君を嫌ってなんかいないよ。ただ、それとあれとを結びつけないでくれ。
僕は、ブラームスの子守唄をハミングしながら、少年の肩を撫でた。耳から首へ、首から耳へと舐めた。貧弱な腿をさすった。
いつの間にか、それらを、夢の中でも続けていた。
47)
僕の体がゆらゆら揺れている。
昨晩、夢の中で、泣き止むまで少年をあやし続けた。やがて倦怠が僕の全身に浸潤し、眠りの中で眠りに落ちた。
その眠りの中で僕は再び夢を見た。
僕は、バルサを枕に、日光浴を楽しんでいた。
突然嵐が襲来し、水面は一挙に掻き乱れ、体は大波に翻弄された。
太陽の周辺だけは、不思議に明るく輝いて、平穏だった。
アヤカ、あそこを目指して飛べ! と言おうとしたが、声が出ない。
僕のほうが飛んでしまった。
赤ん坊を救わなくては、と思ったのだ。
ヘレンに違いない女が、後ろ向きに座って、明らかにあの赤ん坊に乳を飲ませていた。
女が首をかしげた。何度もかしげた。
僕は駆け寄ろうとしたが、今度は足が出ない。
見下ろすと、モーゼの大きな手が僕の両足首を掴んでいた。
ゾッとして夢から醒めた。
醒めても起き上がれなかった。金縛り状態だった。
眼を開いても閉じても変化がなかった。
まだ夢の中だとわかった。
閉所恐怖症の発作が出て恐慌状態に陥った。
悪夢よ醒めてくれとこいねがいつつ、必死で首を左右に振った。
僕の体は執拗に揺すぶられている。
目やにで半分糊付けされた目をようやく開けて、安堵の息を深々とついた。
少年が、何とか早く現世に引き戻そうと、つぶらな瞳で僕を凝視しながら、肩を揺すってくれていた。
しまった、寝過ごしたか。
新しい一日がそこに来ていた。この一日が、またもやの悪夢でないことを願う。
山積していく課題を列挙しながら、ここへ来た本来の企図を思い起こしながら、僕は奮い立つ。
だが、慌てて体を捻った瞬間、脚がつった。しかも両脚同時にだ。尻もひくつき、つる気配を示している。
僕は横になったまま、壁に邪魔されながら体を縮め、両足首を手で引っ張って、嵐の去るのを待った。
ようやくベッドから這って出た。体中の筋肉が凝り固まっている。まるで油の切れたブリキ男だ。
ニガーはまだ来ていないが、清掃を既に始めている奴隷達は、彼ら特有の制裁法を実施しようと、期待に眼を輝かせながら、僕をちらちら見ていた。
少年はとっくに場の空気を読んでいて、先取りした恐怖に震えながら、清掃作業に励んでいた。半睡状態で床に立った僕を背にして、けなげにも警戒を怠らない。きっとその黒くてつぶらな瞳で奴隷達を窺っているのだろう。
僕は少年をヒトミと呼ぶことに決めた。
僕への真情あふれる心配りをねぎらう気持ちを込めて、さっそく呼んでみた。
「ヒトミ!」
驚いたのだろう、ちょっと跳び上がったが、振り向かなかった。失礼した。
奴隷達が、ヒトミを裏切り者とみなしていじめる時、どうすれば勇敢に振舞えるかと、僕は早くも考え始めた。
ゆっくりとストレッチングを兼ねて座り込む。
いててててて。
また穴掘りを命じられたらどうしよう。
病気の振りをしようか。しかし、それをやると、役に立たない死んだものとみなされて、処理される恐れがある。
ところが、穴掘りは免れた。