ネヴァーランド
EU、GB、UA、RC。
イズラエルという妙な名前の施設もある。
僕は父に施設の外はどうなっているのか尋ねた。
意味あるものは何もない、と父は答えた。
けど何かあるんでしょう?
多彩な現象はあっても全体として空虚だ。茫々たる虚無が広がっている。
僕の仲間は外にもいるの?
姿かたちは似かよっていても中身は似ても似つかない。
会ってみたいな。
施設の中に暮らしているましな者たちでさえお前をいじめるに違いないのに、外の野蛮なやつらがお前に何をするか、考えただけでもぞっとするよ。
昔僕を襲った者は外から来たのかもしれない。
恐怖と期待で興奮してしまう。
僕は体育のレッスンを終えて渡り廊下をのろのろ歩きながら外を想像しようとする。
意味のないものがきっとたくさんあり、野蛮なやつらがきっとたくさんいるのだろう。
意味のないものがなぜあるんだろう、なぜ野蛮のままなんだろう。
しかしいつものように、僕の好奇心を満たしてくれるなにものも思い描くことができなかった。
想像のための素材を僕がほとんど持っていないからだ。
日々の学習が、まだ初等的な段階を超えていないのを思い知らされる。
部屋に帰るとさっそくシャワーを浴びる。
たらふく食べて飲んでぐっすりと眠る。
そしてまた音楽が聞こえてくる。
寝ぼけまなこの僕は、腕輪が眠っている間に取り替えられているのに気づく。
父の優しい声が聞こえる。
「おはよう、タダヨシ。目が覚めたかい?」
4)
父が日本にいないことがある。
朝の挨拶は同じでも、僕の問いかけにすぐ反応しない場合はその可能性が高い。
ドギーのところだろうか。
父がいないらしいあるとき、体育館で訓練をしていた僕は、新しい趣向の音楽を聴いた。
不協和音を多用したその交響曲はだんだん大きくなり、最終楽章は炸裂するノイズで急に終わった。
床が振動した。僕は一瞬中に浮く。
父の手に赤ん坊の僕が抱かれて揺すられた時の浮遊感を追体験してしまう。
体育館の四面をふさぐシャッターが一斉に跳ね上がった。
こんなことは初めてだ。
僕は父のいいつけを無視してそのひとつに入り込む。
今まで知らなかった駆り立てるなにものかがそうさせた。
いいつけとは、急激な変化に対して、急激な反応をするな、ということだ。
僕は見事にそれを破った。
反抗期なのだ。
廊下とシャッターを繰り返し通り抜け、最後に大きなシャッターを抜けた。
シャッターの後ろにこんな世界があったのか。
幅広い道路が続いている。
道路の左右には、高層集合住宅が立ち並び、僕の仲間達が住んでいた。
彼らは大声で喋り捲り、せわしなく動き回り、団地全体が唸りを挙げていた。
道路は行き止まりになっていたが、左側の路肩を降りたところに干上がった川があったので、僕は川床に跳び下りて走った。
川は暗渠となって緩やかに下って行く。
暗闇と下降は僕の好奇心をいや増していく。
遠く前方に見える小さな円形の穴からわずかに光が漏れているだけだ。
僕が出口にたどり着いたとき、耳をつんざくうなり声が聞こえ、臭い風が吹いてきた。
そして出口いっぱいにせわしなくうごめく球体が出現した。
僕の頭ほどもある巨大な目、恐竜の目だ。
せわしなく動きながらも、僕をいろいろな角度から見つめる。
windのうしろにつくowsは、目のことではないか?
出口を、その恐竜が、牙の剥き出た前足で引っかいた。
鉄製の柵がはがれ落ち、恐竜の顔面が出口をふさいだ。
瞳孔が開いて金色に輝いた。
唇がまくれ上がって、内側に湾曲した牙が並んでいるのが見えた。
咆哮が暗渠に反響し、臭い息が突風となって吹きつけた。
顔が消えた一瞬後に、爪を剥き出した前足が伸びてきた。
僕はでんぐりかえって身をかわした。
左腕にまいた防御装置のボタンを右手で押した。
恐竜は、唸って跳びのいた。
父に心から感謝した。
僕は出口から上半身を乗り出してあたりを見回す。
目の遠近感と絞りを調整できなくてくらくらする。
そこは河のほとりだった。
河辺は密林で覆われており、かなたで大河と合流していた。
眼のすぐ下で、僕の体の五十倍はありそうな恐竜が手足を縮めて体の下に隠し、首をねじってうらめしそうに僕を睨む。
口は耳まで裂け、密集した牙の間から、よだれが垂れ、敏捷そうな背中の筋肉の端で長い尾がゆらめいていた。
僕は再び装置のボタンを押すと、恐竜は体をびくりとふるわせて立ち去ろうとした。
恐竜は反応するが、押している僕には何の影響もないのは、父がこの恐竜を想定して振動数を設定しているからだろう。
かつて僕を襲おうとした乱暴者は、この恐竜だったのだろうか?
僕はさらにボタンを押す。
あるアイディアがひらめいたからだ。
恐竜は立ち止まる。
しばらくの間、僕はボタンを押しながら恐竜の行動を観察し、コントロールの仕方を会得する。
僕の意に反する行動をしようとしたらボタンを押す。
ためらっている恐竜を僕の意にかなう行動をさせるためにもボタンを押す。
二通りの意味を噛んでふくめるように教え込む。
僕は夢中になった。どのくらい時間がたっただろう。
ついに奴隷となった恐竜の背中に
僕は跳び乗った。
5)
背中の剛毛を四肢の指でつかみ、腹をくっつけた。
皮膚は意外にもピンクがかった灰色だ。
しかし、脂でねとついている。臭いし、ダニがうごめいてもいる。
そいつらを、息で吹き飛ばそうとするが、なかなかうまくいかない。
やつらも僕と同じようにしがみついているのだ。
怖気を震うが、そんなこと、言ってはいられない。
最初は跳ね飛ばされそうだったが、ニンテンドーを鼻で押し続けて、奴隷を何とか制御した。
僕は奴隷を吾郎と名づけた。
唸り声がそう聞こえたからだ。ごろうーっ。
外は、父が僕に語っていたとおりの未開世界だった。
ここはパンゲア大陸か?
ロボク、リンボク、トクサ、ソテツシダ、ヒカゲノカズラ、ナンヨウスギ、セコイアが生い茂っていた。
始祖鳥が群れをなし、密林の枝にとまって鳴きわめいている。
悠然と水面すれすれに飛んでいる昔トンボがすばやく反転して空中捕虫した。
イルカのような水生恐竜ショニザウルスが跳ね上がる。
水面に目と鼻だけを出して低いがよく響く唸り声をあげているのは、ワニ型恐竜のサルコスクスに違いない。
アンモナイトが点々と浅瀬の岩に張り付いている。
段丘のほら穴から、甲殻類の巨大な腕がのぞいている。
大河は悠然と流れている。
水が輝いているのは、遥か上方に高ワットの白熱電燈がついているからだ。
いや、あれが太陽という恒星か?
直接見た。
目に激烈な痛みが走った。
眼底が焼けたかもしれない。
外の者達は、こんな地獄の業火を頭上にいただいてよく平気でいられるものだ。
僕の部屋も体育館も天井は青い。
やはり外も同様だった。
ところどころ、まだらな白い浮遊物に汚されている。
水蒸気と氷の微粒子で出来たかたまり、つまり雲だ。
あれが雲なのか?
なんという質量感だろう。よくも空中に浮いていられるものだ。
その移動方向は、僕の頬をなでる風の向きとほぼ平行だ。
風が運んでくる花粉、樹液、金属イオン、オゾン、腐葉土の匂いに僕はくらくらする。
吾郎を操りながら大河に沿ってすすむ。